TETRA’s MATH

論理学の幾何学的表現

 2つの集合a、bについてのべン図をかいたときにできる4つの領域に、次のように1,2,3,4の番号をつけます。

  

 そして、集合{1,2,3,4}のベキ集合を考え、含む・含まれるの関係をハッセ図に表してみます。(集合を示す{ }は省略)

  

 空集合を黄色、元が1個のものを赤、2個のものを緑、3個のものを青、4個のもの(もとの集合)を黒で表してみました。

 さて、同じ図を、番号ではなくa、bの記号で表すと、次のようになります。∩は省略して、a∩bをabと書いてあります。

  
          
  

 論理学の構造は、つまりはこういう図で表せるらしいのです。(山下正男『論理学史』図4を参考にかき起こしたもの)

 さらに、この図を少し変形することで、とても美しい図ができあがります。その美しさの意味がようやくわかってきたきょうこのごろ。(山下正男『論理学史』の図1をほぼそのままかき起こしたものですが、点の色はこちらでつけました。また、式を一部省略してあります。)

  

 上下の対応や左右の対応も面白いですが、なんといっても点対称の位置に注目したいです。点対称の位置にある2つの要素は互いに否定になっており、つまりこの図においては、否定するということは180度回転することになります。そして、2度否定すると360度回転して、もとの位置(自分自身)にもどります。(どこかできいた話だぞ!)

 これはブール代数の「対合律」、いわゆる二重否定の法則にあたります。

 〔対合律〕

  

 何が感動的って、ド・モルガンの法則がそのまま図に表れていること。

 〔ド・モルガンの法則〕

  

 高校生のころは「否定をバラすかわりに記号をひっくり返せばいいんだな」くらいの意識で丸暗記していたのだと思いますが、こんなにきれいな関係のなかに位置していたのだと知ると、見え方もかわってきます。

 なお、ジェヴォンズはベキ等律や吸収律などの法則を見つけましたが、“対になる法則”という意味では、この「ド・モルガンの法則」はやっぱり見事です。発見したのはド・モルガンだけど、「ド・モルガンの定理」という名前を与えたのはシュレーダーなのだそうです。というわけで、「双対性の原理」を確立したのは、シュレーダーでした。

 ちなみに、山下正男『論理学史』においては、Iの真下の緑の点とOの真上の緑の点に、それぞれ次のような式が示されています。

  
     
 他の部分に比べて本当に互いに否定になっているかどうかがすぐにわかりませんが、ベン図、式変形、真理値表などで確かめることができます。結局のところ真理値表がいちばん便利です。パキパキパキパキやっていけばいいので。



〔2018年3月25日追記〕
 
 分けて書いていた記事をひとつにまとめ、整理しました。
読書記録(論) | permalink

「量」とは別の「質」の論理学

 ブール環をほんの少しかじってみたおかげで、束の「双対原理」が以前より面白くなってきました。

 ブールは、後世のブール束の原型をつくった。
 “指数律”(ベキ等律)も見つけていた。
 しかしそこに「吸収律」はなく、束の「双対原理」がなかった。

 それというのも、“あるいは”として、排他的選言を採用していたから。ちなみに、排他的選言を採用したとしても、∪、∩に相当する概念や記号を導入していたら、双対的な構造に気づき得たとのこと(by山下正男氏)。

 なお、野矢茂樹『論理学』では∨を「両立的選言」、▽を「排反的選言」と呼んでいますが、山下正男『論理学史』では、非排他的選言・排他的選言という区別をしています。

 さて、じゃあ、“束”の双対性を発見したのはだれか?ということになるわけですが、その前段階として、ブールの体系を研究したのちに、自らの論理学の基本操作に非排他的「または」を採用したのが、ジェヴォンズという人なのだそうです。その結果、

   AA=A ・・・・・・ A+A=A
   A+AB=A ・・・・・・ A(A+B)=A

という対をなす法則を発見しました。上はベキ等律だし、下は吸収律です。(しかし、ジェヴォンズは双対的な法則をいくつか見つけ出したものの、双対性の原理そのものを確立したわけではなかった)

 ジェヴォンズは自らの体系を“類・種の代数学あるいは質の代数学”と呼んだそうです。たとえば、A+A=A は、Aが量ならば 2A=A となってしまいそうですが、Aが質であれば、「同じ質のものを加えても質そのものは変わらない」と考えることができます。

ブールは論理学の代数化を志したのであるが,数量を扱う古くからの意味での代数とのパラレリズムを追求しすぎた結果,A+A=0といった式に対しては論理的解釈を下しにくくなってしまったのであるが,ジェヴォンズははっきりと自分の代数体系は数量を扱うものではなく,したがってA+A=Aという式が出ても当然であり,むしろそこにこそ,数学とは異なる論理学の特有性があると見たのである.

(山下正男『論理学史』p.47)

 時代としてはいつごろなのかネットで調べたところ、1864年にジェヴォンズの『純粋論理学、または量とは別の質の論理学』が出版されているようです。私が生まれるちょうど100年前、たった100年前だ。ちなみに1864年はブールが亡くなった年でもあるようです。ブールとジェヴォンズは20歳差くらいだったようなので、活躍した時期はずれるのでしょうが、そんなに時代がはなれていたわけではないんだなぁ、と思いました。

 話はずれますが、こんなふうに(20世紀のすったもんだに入る前の)19世紀の半ばから終わりごろの様子を眺めてみると、遠山啓が“量”にこだわった意味がわかってくる気がしました。時代としても専門家としても、「構造(を扱う数学)」の“威力”と“新しさ”を知っている人だったから、あんなに「量」にこだわったのかもしれないな。

読書記録(論) | permalink
  
  

<< | 2/2PAGES |
サイト内検索