TETRA'S MATH

数学と数学教育

森村修「多様体と微分法」を読んでいく [3]/コーヘンと田邊元の「内包量」概念

 『多様体と微分法―田邊元の「多様体の哲学」(2)―「多様体の哲学」の異端的系譜(2)』森村修
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/6372/1/ibunka10_morimura.pdf

を読んでいます。



 前回読んだ第3節の最後では、こんなことが書いてあります(19ページめ/p.105)。
田邊が〈微分法の形而上学〉について、西田と共に影響を受けたコーヘンは、極限法が微分法を追い落とした後もなお、数学の中に〈形而上学的=超物理学的思考〉を介入させようとしていたのだった。
 というわけで、きょうは、田邊元がそのコーヘンからどのように影響を受けたのか、第4節を読んでいきます。

 森村修さんいわく、田邊元は、「微分法の哲学的な意味を考える際に、コーヘンの〈微分法の哲学〉とベルクソンの「純粋持続」の概念を重ね合わせた」と。

 田邊元はことあるごとにデデキントの「切断」問題を取り上げ、その哲学的意義を評価しているそうです。デデキントの切断については、検索するといっぱいひっかかってきますが、ひとまずこちらをリンク↓
http://www2.math.kyushu-u.ac.jp/~hara/lectures/05/biseki4-050615.pdf
(かつて、順序集合(A,≦)の意味、下方集合の意味がつかめなくてあれこれ調べていたときに、「Dedekindの切断? え、そういう話になっていくの??」とびっくりしたのですが、いまならそこにつながるのもわかります。)

 田邊元が上記のように考えた背景には、「切断」に関する連続/非連続の問題が、ベルクソンの「純粋持続」の哲学と密接に関わっているという理解があるからだ、と森村さん。

 デデキントは、有理数の連続系列を「切断する」にあたって、有理数以外の数(無理数)を予想しなければならないと考えたのだけれど、田邊元は、有理数などの数の無限連続が単に分割可能な均質=同質な量(外延量)として理解されるべきではなく、内包=強度量として理解されるべきだと考えたのだとか。このあたりにコーヘンの影響があるらしく、コーヘンは外延量を内包量から区別し、内包量が外延量を発生(erzeugen)させるとしていたようです。ということは、外延量よりも内包量が先なのですね。

 ラッセルが内包量を認めなかったことについてはすでに書きましたが、田邊元も、強度量〔内包量〕という概念を怪しむ認識論的な傾向をもっていることはもっていたようです。しかし、ラッセルによって徹底的に批判されたにも関わらず、コーヘン哲学を手がかりにして、田邊元なりの特異な思考に即して、「内包量」概念の哲学的意義を見出そうとしていたとのこと。また、田邊元の思考は、ベルクソン‐ドゥルーズ哲学と近親性をもっていたけれども、ベルクソンともドゥルーズとも、そしてコーヘンとも一線を画したものであり、それは西田哲学の影響が色濃く反映していたからである、とも書いてあります。

 コーヘンや田邊元にとっての「微分」は、大きさをもたない点ではなく、無限に小さくなる「線分」を表現したものでした。ライプニッツに端を発する「微分=無限小」概念は、ある一定の大きざを有する「線分」であり、「線分」を限りなく小さく分割していっても、「点」にまで行き着くことはない。たとえそれを「点」であると考えたとしても、単に数学的に定義された、いわゆる場所をもたない「点」ではなくて、「方向を含んだ点」、つまり「生産点(dererzeugendePunkt)」としてしか考えることができない、と。そして、数学的思考にとっては不可能な「生産点」、つまり形而上学的(=超-物理学的)な「自発自展なる点があってはじめて、連続的体系、曲線が生ぜられる」というふうに考えたもよう。

 卑近(?)な例で恐縮ですが、私は「生産点」の話を読んだとき、グラフィックソフト「花子」の「矢印」のことを思い出しました。曲線の先に矢印があるような場合、私は、まず曲線を描いて、その先に矢印をつけるのですが(もしかして直接描く方法がある?)、点で指定はできないので、曲線の先に1mmくらいの直線の矢印を重ねています。点をうつときには点でいいですが、矢印の場合は直線で示さないといけないので。それはつまり、方向を示すということであり。速度の矢印を刻々と組み合わせたような曲線の画像がないかなぁと思って検索してみたものの、意外とどんぴしゃりのものが見つけられませんでし(たぶん、検索ワードがどんぴしゃりじゃないのだと思う)。これが少し近いかな?↓
http://topicmaps.u-gakugei.ac.jp/physdb/dyna/velocity.asp

 こういう話になると、メタメタの日から、次のエントリをリンクしておきますね(^^)。
「線の端は線の端である。」
点と線の歴史
無理数の発見と「大きさの無い点」の創造

(つづく)
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森村修「多様体と微分法」を読んでいく [2]/微分法と算術化運動

『多様体と微分法―田邊元の「多様体の哲学」(2)―「多様体の哲学」の異端的系譜(2)』森村修
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/6372/1/ibunka10_morimura.pdf

を読んでいます。

* 

 きのうのエントリで登場したジャン=クレ・マルタンさんが書いたドゥルーズについての本は、「ドゥルーズ/変奏♪」として1997年に松籟社から邦訳版が出ているようです。森村修さんの巻末註で音符マークを見つけた私は、「あらまぁかわいい♪」と思ったのですが、この音符マーク、訳者の方がつけられたのでしょうかね!? なお、原題はきわめてシンプルですが、直訳で邦訳版は出せないだろうなぁと思うことであります。この本の表紙を見たときに、「ん、モチーフはオウム貝?」と思ったあと、「それにしては渦の巻き方の“度合い”がちょっと違うかな・・・」と思った私^^。

 さて、きのうは第1節について読み、続く第2節は「リーマン「多様体」概念の変奏」なのですが、ここはいったんとばして、「第3節 微分法と算術化運動〜田邊の<微分の形而上学>」(14ページめ/p.100〜)に進んでみたいと思います。

 第3節のはじめのほうでは、微分についてのx、y、dx、dy、dy/dxの話が展開されたあと、コーシーによる極限法の創建を経て、解析学において量の概念は排斥されライプニッツの形而上学にもとづく「無限小」概念は不要になってしまった、という話が書いてあります。つまり「無限小」と考えられるものも、相対的に仮無限小の意味であって、それは存在するものでなくただ過程を表すにすぎないということになった、と。



 ちょっと話はずれますが、私はこのあたりのことを考えていると、ICCシンポジウム「オープンネイチャー」(2005年)の中の、郡司ペギオ幸夫発表内容についての質疑応答を思い出します。私としては面白いし答えになっているのですが、パっと見(聞いた感じ)質問と応答が対応していませんよね^^; 質問者の方は納得したかしらん!?(若干省略されているのかな?)

 あのときの郡司さんの言葉をおおまかにリライトしてみます。読みやすいよう、多少編集して。
部分と全体というのは張り合わせということが必要になって、非常にテクニカルな話になりますが、点があって位相空間という糊代を使って線をつくりだすというときに、数学的には糊代というのは使っちゃたらば消えちゃうわけですね。ぼくらが問題にしているのは、有限と無限とか・・・ 無限小が観測にひっかかるというのは有限の話ですよね。無限小のちょっとした差がしだいに大きくなっていって、観測にひっかかるという言い方をしますけれども、観測にひっかかったとたん、糊代の世界はいわばなくなってしまっていて、共立性というものがないんですよね。これはたえず共立しているということを考えていく形で、齟齬ということを考えたい、と。


 論文にもどりますれば、微分法から極限法に移行しても、最終的には極限そのものがまだ数化されておらず、無理数の算術的規定のこと、無限の算術化を完遂するものが集合論である話へと向かい、「こここに来て私たちは、再び、振り出しに戻って」しまうことになります。そしてカントールは集合を多様体とよび(リーマンに由来していることを認めているそう)、「集合=多様体」論のなかで、無限という問題に立ち向かっていくことになる、と。

 まとめると、ライプニッツによって問題化された「無限小」概念や「微分量」の多様体と微分法問題は、「量」を「数」に還元することによって進められた「算術化」運動とともに現代数学の中から排斥されたように見えたが、一方で、リーマンの「多様体」概念は数学の領域で「量」を扱うことを可能にする道を開いていたし、それを自らの集合論の領域で活用したカントールは、「集合=多様体」概念を用いて「超限集合論」を形成することになった、というわけです。皮肉にも数学の領域から駆逐したはずの「量」概念は、カントールが「集合=多様体」論を構築するに及んで、「無限」という形で再び数学のなかに舞い戻ってきてしまった、と。

 だが果たして本当に、「無限小」概念や「微分量」は時代遅れの暖味な概念として、近代・現代の数学の世界から駆逐されていたのだろうか、と森村修さんは問いかけ、このあとでドゥルーズの言葉が引用されています。これは『差異と反復』のおそらく第4章からの引用ですね。私もドゥルーズ『差異と反復』第四章の前半から気になるところを抜き出しておく(1)で、部分的に抜き出しています(ついでに、ソーカル&ブリクモンは、ドゥルーズ『差異と反復』に関する部分のどこをどう批判しているかもリンクしておきます)。

 森村修さんはここでいったん、
確かに、ドゥルーズがいうように、「極限法」が優勢になり、「極限(limit)」概念が微分に取って代わることによって「微分法の発生論的あるいは力学的な野望が潰えた」のかもしれない。しかしドゥルーズにとって(そしておそらく、田邊にとって)「微分法」は単なる数学の問題ではなかった。問題なのはく微分法の形而上学=超-物理学〉であり、〈形而上学=超物理学的な問い〉であるといってよい。ドゥルーズにとっては「最初から、次のような形而上学〔=超物理学〕的な問いが、言い表されていたのである。
と書いておられます。“単なる”数学の問題ではないのは確かだとしても、私はこれらの問題について、数学のなかでも野望は潰えていないのではなかろうか・・・と、勝手に期待しているのでした。それをがんばったのが、ヘルマン・コーヘンだったのかもしれません。

(つづく)
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森村修「多様体と微分法」を読んでいく [1]/リーマンの「連続的多様体」と「離散的多様体」

 1つ前のエントリで、「内包量」概念を認めなかったラッセルのことを先に取り上げましたが、では、「内包量」を重視したのはだれたちだったのか、なぜそうしたのかについて、あらためて森村修さんの論文を読んでいきたいと思います。

『多様体と微分法―田邊元の「多様体の哲学」(2)―「多様体の哲学」の異端的系譜(2)』森村修
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/6372/1/ibunka10_morimura.pdf

 まず(ときどき論文をはなれつつ)おもな登場人物の確認をば。まずはリーマン。19世紀のドイツの数学者。1854年に行ったゲッチンゲン大学就任講演「幾何学の基礎をなす仮説について」が、死後の1867年に公表されたということを頭に入れておきます。次に近藤洋逸(1911〜1979年)、日本の数学史家、科学思想家。田邊元に師事し、ゲーデルやリーマンの著作を翻訳している方。

 近藤洋逸さんは、リーマンの講演を「幾何学の全体系の仮説的体系への転換」の達成と考えたそうで、「数学史上の一驚異」と語っているそうです。そんなリーマンは、大学教授になるまえ、つまり学生としてゲッチンゲン大学に入学した1847年にガウスと出会ったようなのですが、ちょっと調べてみたところ、そのころガウスはすでに70才くらいだったみたいです(ゲッチンゲンの天文台長をしていた)。

 論文の1ページめ(p.87)によると、

近藤もいうように、リーマンが幾何学的体系そのものを仮説と考えた背景として、ガウスによって代表される反カント的な「ゲッチンゲンの雰囲気」は考慮されなくてはならない。

とのこと。その“雰囲気”がどういったものなのか現段階ではまったくわからない私ですが、とにもかくにも、リーマンはカントの時間・空間の先験性を批判しているらしく、つまりは経験主義の立場にたっていたようです。こういう話になると、やっぱり、ヨーロッパの哲学のざっくりとした歴史(大陸合理論vs.経験論→カント)について、もうちょっとは知っておかないと、話の流れが見えてこないなぁと思うことであります。

 そのあたりについてはいつか勉強することとして、今度は日本の哲学者、田邊元(1885〜1962年)について。東京帝国大学の理科から哲学科に転科したところなどは割愛して先を読むと、最初期の著作でリーマンを取り上げたころには、新カント派の影響を受けて、カント哲学的立場にたっていたようなのですが、リーマンたちの非ユークリッド幾何学の成果については、哲学的に意義があるとして肯定的に評価していたらしいです。

 しかし田邊元の関心は、リーマンの就任講演に端を発する「多様体」概念よりも、「微分法」や「無限小」の形而上学的問題にあったらしく、それはヘルマン・コーヘンのカント解釈の多大な影響下のもとでのことだったようです。

 ヘルマン・コーヘン(コーエンとも呼ばれる)はドイツのユダヤ人哲学者で、新カント派マールブルク学派の創設者の1人なんだそう(ちょっと調べてみたけれど、知らない名前ばかり・・・)。

 ひとまず登場人物をこんな感じでおさえておいて、いよいよ中身を読んでいきます。

 まずは、リーマンが経験主義の立場にたっていたことについて。6ページめ(p.92)に、次のような記述があります。

つまり幾何学研究で最も重要なのは、幾何学が扱う事実が「すべての事実と同じく、必然的ではなく、経験的に確実である(von empirische Gewißheit)にすぎず、それらは仮説」(S2/287-288)にすぎないということだ。リーマンから見たとき、ユークリッド幾何学は、何ら必然的な学的体系ではなく、ユークリッドにとっての“経験”をもとにして構成された、“単なる経験的事実”に基づく仮説なのである。

 そうして、「多様体(Mannigfaltigkeit)」概念が登場します。リーマンは、「連続的多様体」「離散的多様体」という言葉を出してきており(もちろんこれは訳語ですが)、「連続的多様体」の具体的な例を日常生活で見出すことは稀だが、感覚の諸対象の位置や色などがそれに該当する、といっているもよう。

 このことを近藤洋逸さんが補足してくれていて、「連続的多様体」の具体例として、実数の集合や複素数の集合をあげているそうです。また、空間と色が「連続的多様体」として同格に並べてられていることに注意を促しているとのこと。連続的に変化し続けることによって、明確に個々の要素の弁別が難しい「連続的多様体」に対して、「離散的多様体」(非連続的多様体)の具体例として人間の集団やミカンの山などが考えられる、とも書いてあります(これは森村修さんの補足かな)。しかし問題なのは「連続的多様体」であり、そこに含まれている「点」をどのように理解するかということだ、と。

 離散的多様体については、数教協いうところの「分離量」とほぼ同じものだと考えてよさそうな気がしますが、これに対して「連続的多様体」は、数教協いうところの「連続量」とはイコールで考えられないものです。「連続量」には実数の集合は対応するだろうけれど、複素数の集合は対応していない気がするし、空間はアリだとしても、色はちょっと考えにくい。

 しかし、続く話では、「連続的多様体」と「離散的多様体」の区別は、まるで「連続量」と「分離量」の区別のように思えてきます。リーマンは、多様体について、ある表徴またはある限界によって区別された一定部分を「量域」と呼んだらしく、「量域」間の量の多少を比較する際に、離散的多様体では「計数=数えること」によって比較されるのに対して、連続的多様体では「計量=量ること」によって比較される、と言っているらしく。

 そして計量は、比較するそれぞれの量を重ね合わせることで、一方の量を物差しとして他の量と比較することで可能になるのだけれど、こうしたことが可能であるためには、ある量を他の量に移動させるための方法が必要である、と。

 ここで、クレ・マルタンという人が出てきます。たぶん、フランスの哲学者のジャン=クレ・マルタンのことなんだろうと思います。先月、大阪大学で講演があったようですね↓
http://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/seminar/2013/02/5446

 で、クレ・マルタンは、リーマンの説明を敷衍して、「計量とは、諸々の大きさを比較するためにそれらを重ね合わせることだとしたら、各々のケースごとに、単位となる大きさを他の大ききの上に移す手段を見出すことか必要になる」といっているのだそう。

 そして森村修さんは、つまり重要なのは、比較する必要のある「多様体」間には、一定の尺度が存在しないということだ、と続けます(いま、8ページめ/p.94のあたりを読んでいます)。そして私たちにとって無視しえないのは、リーマンが連続的多様体の比較については、一定の尺度を想定できない可能性があると考えていることである、と。

 こうなるとまた「量の理論」とはまったく別物になっていきます。「尺度がなくても比べられる」という話であれば、数教協の「量の理論」で出てくる単位導入の4段階指導(直接比較−間接比較−個別単位−普遍単位)の「直接比較」に結びつきますが(>「数のまえに量がある」by遠山啓)、ここで大事なのは、「一定の尺度を想定できない可能性がある」とリーマンが考えているところだろうと思うので。

 リーマンは、すべての連続的多様体の「計量」では、どの程度の量の差異が生じているかを数値的に比較できない場合が存在することを明確に述べているのだとか。「この場合の量についてなされる研究は、量論のなかで、計量規定とは無関係な一般的な部分をなすのであり、そこでは量は位置に無関係に存在するものとしてではなく、また単位によって表しうるものとしてでもなく、多様体のなかの領域(Gebiete)として考察されます」と。つまり、多様体には、計測されることも計量されることもない「量」が「領域」として存在してしまう可能性がある。・・・なんでしょうかそれは??

 で、近藤洋逸さんいわく、リーマンの「量」概念について「もっとも注目すべき点は、量の概念がきわめて広くとってあり、非計量的な連続的多様体の考察が数学的に重要であるとしていることである。おそらく彼はリーマン面を念頭においていたのであろうが、連続的多様体の非計量的考察とは、現代式にいえば位相的考察であるから、彼によって位相空間論の扉が開かれていたといってもよいであろう」と。

 森村修さんがまとめていわく、リーマンは「量」概念を広く解しているがゆえに、非計量的な連続的多様体の内部の「領域」、つまり「部分集合」の比較を可能にする道を開いた。そこに近藤は位相空間論への通路を見たのだった。

 なんか、多様体の数学的意味については「まったく興味がない」(←まだひっぱってるσ ^^;)森村修さんに、思い切り数学の話をきかせてもらっている気がするのは気のせいでしょうか。このあたりのことを“最初から”数学の本で学ぼうとしたら、たぶん私、1ページめでギブアップだと思う。そういえばリーマン面については、かつてこんなことをして遊んだことがありました。>関数z^2 と ネコロボット・05(これあってるのかな?? 全然自信ない)

(つづく)

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玄侑宗久が使う科学概念と、柳澤桂子との往復書簡について

  このブログで玄侑宗久さんのお名前を何度出しただろう?とサイト内検索をしてみたら、3回でした。

南直哉・玄侑宗久『<問い>の問答』
山口昌哉 『数学がわかるということ』・4/微分方程式のこと
あいかわらずシンクロ

 玄侑宗久さんというのは臨済宗の僧侶で、小説家でもある方です。なお、私は小説は1冊も読んだことがありません(そろそろ読んでみたいと思っているところ)。玄侑さんのことを知ったのは、福島関連のことではなく、別の人の本を買ったときに、それについて調べていたらお名前が出てきて、興味をもって、読むようになったのでした。

 玄侑宗久さんの本には、宗教関係の人名や概念はもちろんのこと、デカルトとかフッサールとかフロイトとかスピノザとかベルクソンとか哲学者たちの名前も出てくるし、さらには自然科学者の名前や概念もよく出てきます。と書くと、小難しい本に聞こえるかもしれませんが、そんなことはなくて、やわらかい口調でわかりやすく書かれてあります(そしてどきどきお茶目です^^)。

 手元にある『禅的生活』(2003年)、『まわりみち極楽論』(2006年)でいえば、アインシュタイン、現代物理学の「相補性」、プリゴジン、スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理』、オートポイエーシス、デヴィッド・ボームなどが出てきます。

 言葉だけの場合もあるし、大抵さらっと出てきていて、比較的行数を割いて扱われる場合もそんなに突っ込んだことは書かれていません(だけどそれは、本質を、わかりやすくシンプルにまとめてあるともいえる)。だとしても、僧侶が書いた本に自然科学の概念がこんなに出てくると、またぞろ批判されちゃったりするのかしらん?と思って、ためしに検索してみましたら、こんなページがひっかかってきました。↓
http://gpss-japan.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_b67a.html
浅学菲才の評者には、こうした著者の科学的思考が科学的に正しいかどうかを判断することができない。しかし単純に考えても、本書以外でも繰り返しこの話題を取り上げる玄侑は、自らの属する宗門(それは不立文字を謳う禅宗である臨済宗)はもとより、宗教界、思想界、科学界からうんざりするほどの批判と無視を受けていることは容易に推察できる。以前より知の越境には不寛容な風土でありつつ、さらにわれわれは「ソーカル事件」以後を生きているからである。玄侑自身もそうした逆風を感じていないわけはないだろう。では、なぜ彼は書き続けるのか。禅坊主にありがちな「はったり」か。最後は呵呵大笑で一件落着というわけだろうか。
 しかし、そうではないだろう。著者はやはり現代日本人が受容可能な死への手引きを切に要望しているのであろう。本書の「解説」において中沢新一が、玄侑は誰でも苦労しないで読むことのできる小説という形態を使って「日本人の死者の書」を書かねばならないと考えたのではないかと推測しているが、その通りだと思う。
 なるほど。同じ文章が含まれている研究報告も発見。↓
http://nirc.nanzan-u.ac.jp/nfile/3782

 「宗教界、思想界、科学界からうんざりするほどの批判と無視を受けていることは容易に推察できる」とのこと、あくまでも推察なので、実際どうなのかはまた別問題ですね。とりあえず私は、直接的な批判はきいたことがありません。無視、あるいは批判するような人から気がつかれていない、問題とされていない、というのはない話じゃないとは思いますが。それにしても、「ソーカル事件」以後という言葉をきくと、逆に、「いやーそれほどのもんでもないっしょ〜」と言って、(ソーカル事件を)それほどのもんじゃないようにしないといけない気分になってしまいます^^;。

 玄侑宗久さん単独の本についてはひとまずおいといて、柳澤桂子さんの往復書簡について考えてみたいと思います。『文藝春秋』2006年12月号に掲載されたようなのですが、私自身はその内容を読んでいません。読んでいませんが、こんな感想を見つけて、興味をもちました。↓
http://aquarian.cocolog-nifty.com/masaqua/2006/12/post_2ced.html

 この感想の前半では、
生命科学者であるだけに、すべてが科学の言葉で説明がつくはずという科学主義にこだわっている。科学でそんなにがんばらなくていい、もっと解放されたらいいのに、と願う。
と書いてありますが、柳澤桂子さんの言い分と、玄侑宗久さんとの間でどういうやりとりが行われたかについて、もっと詳しく後半で抽出してあります。まず、柳澤桂子さんが、
科学と宗教は、ものごとの両極端にあるようにいわれるが、私はそうではないと思っている。けっして別のものではない。宗教も科学と同じように、人間の脳の中の営みである。いずれ科学がすべてをあきらかにするであろう。
と言っているのに対し、玄侑宗久さんは、「宗教も科学と同じように、人間の脳の中の営みである」について「全く賛同いたします」としたうえで、「『いずれ科学がすべてをあきらかにするであろう』という一文に、私は些か疑問を感じるのです」と問いを発しているとのこと。

 玄侑宗久さんは、科学の方法は分析的で、「いのち」の全体性は、科学の対象になりえない、という。これに対して柳澤桂子さんは、一元的なものの見方に戻ることによってリアリティーを取り戻せるということを説いているのが宗教だということを認めていながら、最後は科学がすべてを明らかにする、という見方にこだわってしまう。というふうに、この感想を書いた方はとらえておられるようです。
 玄侑の問いかけに、柳澤は、科学がまだ到達すべき地点に至っていないからで、いずれ科学は分析から統合へと向かい、「全体性(wholeness)」に行き着く、といいきっている。
(なお、柳澤桂子さんはこのあと急に考えを変えているもよう)

 私も、「すべてが」科学の言葉で説明がつくということはないだろうと思いますが、柳澤桂子さんが言いたいことはわかるような気がします(あたっているかどうかはわからないけれど)。「すべての説明がつく」ことはないけれど、これまで説明がつかなかったことの説明がつくようになる、と。そのときの科学はたぶんこれまでの科学じゃないし、いまの科学でもない。だけど、科学ではある。そのときに全体性というものがキーワードになるというのも頷けるし、何か現実的なものを感じます。

 科学で答えが出せないものは絶対あると思うけれど、科学で絶対に問えないものはない・・・というふうにまとめたくもなりますが、こうなるとワインバーグのトランス・サイエンス的な意味合いにもきこえてしまうでしょうか。(詳しくは知らない↓)
http://www.jnes.go.jp/tokushu/taiwa2/2-1-3.html

 このあたり、つながる話のようにも思えるし、ニュアンスが違うようにも思います。まだ考え中。

 そういえば多田富雄さんが、脳死の問題に免疫学は何を提供できるか・・・といったようなことをどこかで書いていらした覚えがあります。これかな?→命の細分化、トータルな死 

 “玄侑は誰でも苦労しないで読むことのできる小説という形態を使って「日本人の死者の書」を書かねばならないと考えたのではないか”という中沢新一さんの解説は、きっと的確なのでしょう。しかし私は小説さえも(小説だとなおさら?)苦労してしまうので(^^;、とりあえずエッセイ的なものや対談などで、死者の書に限らず、生きるということについて、その片鱗に触れさせてもらっているのでした。
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森村修『G・ドゥルーズの「多様体の哲学」(1)』を読みながら、申し訳ないような、さびしいような気持ちになったのは

 ポスト複雑系(2)/マニュエル・デランダの準因果作用子というエントリにおいて、森村修さんの次の論文をリンクしました。

G・ドゥルーズの「多様体の哲学」(1)
──「多様体の哲学」の異端的系譜(3)──

http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/
10114/6331/1/ibunka12_morimura.pdf


この論文を読み始めたとき、以前見つけた別の論文を読んだ際にはなかった、ある種のさびしさのようなものを感じました。それは、次のくだりに対してです。

そもそも「多様体Mannigfaltigkeit (manifold, multiplicity,multiplicité)」概念は、19 世紀の数学者B・リーマンによって決定的な位置を与えられた。近代数学史を少し繙けばわかるように、この概念はその後のカントールによる超限集合論にも影響を与えている。しかし私は、数学史・物理学史のなかで多様体概念がどのような理解の変遷を遂げたか、またそれによって数学や物理学がどのように変化したかについては、まったく興味がない。

 (3ページめ/p.105)

なぜ森村さんはここでわざわざ、「まったく興味がない」と宣言しなければならなかったのでしょうか・・・

ちなみに、以前見つけた論文でも、これに近いことは書かれていました。

 しかし私としては、リーマンの学問業績を網羅し、その足跡を辿りたいわけではないし、そもそもそのようなことは不可能であり、その必要もない。またリーマンの哲学的な先見性を強調するために、彼の数学思想を検討するわけでもない。リーマンの講演から、数学の哲学へと繋がる思考を読み取ろうとするつもりもない。私の意図はこれらのこととはまったく別のところにある。すでに述べたように、私はリーマンの講演が思わぬところに影響を与え、新しい哲学の可能性を開花させたと考えている。

 (2ページめ/p.88)

しかしこちらの文面には、哲学的ポジティブさのようなものを感じます。それにひきかえ先の引用部分には、数学的・物理学的ネガティブさのようなもの-----それはもちろん、森村さんのネガティブさということではないのですが・・・-----を感じてしまうのです。

私はふだん、自分のいま考えていること、考えたいことが数学でなくてもちっともかまわないと思っているし、頭のどこかで「数学がなんぼのもんじゃい」とも思っているのですが、このくだりを読んでしゅんとしたときに、「ああ、私は数学が好きなんだなぁ」としみじみ思いました。たとえ数学者ではなくても、高尚な数学の知識は身につけていなくても。だから、森村さんに対して、だれかのかわりに謝りたいような、弁明したいような、複雑な気持ちなったのだと思います。

そして、『G・ドゥルーズの「多様体の哲学(1)」のほうの続く4ページめ(p.106)には、

その結果、数学的な多様体概念が、ベルクソンと、彼の哲学を再解釈するドゥルーズを介することによって、まったく異なる相貌を見せることになるだろう。もちろん、それは数学的な含意を含みながらも、独特な哲学的解釈による「変奏variation」として提示される。

という記述があり、ここに「巻末註6」の数字がふられています。けっこう長いですが、「巻末註6」を全文引用してみます。

ここで私は、数学概念の哲学的“濫用”を考えている。もちろん、私の念頭にあるのは、「サイエンス・ウォーズ」として思想界のメディアを賑わした論争である。そこでは自然科学的概念の哲学思想への転用をめぐる問題が取りざたされていた。自然科学的概念や数学的概念の“濫用”や“誤解・曲解”の指摘と批判については、ソーカルとブリクモンによる『「知」の欺瞞——ポストモダン思想における科学の濫用』(田崎他訳、岩波書店、2000年)が参考になる。また、日本内外で、自然科学者から、いわゆる哲学者や思想家に対して、自然科学理解の不十分さや誤解、曲解をあげつらう指摘は枚挙にいとまがない。特に、いわゆる“ポスト・モダニズム”に属する思想家たちが批判の標的とされている。ソーカルらの批判対象は、精神分析学J・ラカン、哲学ドゥルーズ/ガタリ、建築学P・ヴィリリオ、ジェンダー思想L・イリガライなどである。また日本に目を転じれば、1980年代に「ゲーデル問題」を取り上げた柄谷行人、“ニューアカデミズム”の寵児として登場した浅田彰、中沢新一などである。彼らもまた半可通の数学的知識を振りかざして、縦横無尽にメディアを賑わした廉で批判されている。しかしその一方で、科学者が自らの思想や「哲学」を語ることについては問題にされないことは不思議である。本来ならば「ヒューマニティーズ・ウォーズ」とでも言うべき現象が起こってしかるべきなのだが。例えば、“解剖学者”養老孟司や“脳科学者”茂木健一郎などの“自然科学者”が哲学的な認識や倫理的な判断、さらには宗教の問題を語ることについては肯定的に評価される傾向がある。

 (26ページめ/p.128)

森村修さんは哲学の立場から、「ヒューマニティーズ・ウォーズ」という言葉を使って、この一件への疑問を示しておられますが、私はむしろ、数学や物理学の立場から、身内から、この一件に疑問を呈し、批判すべきではないのか、と感じています。数学や物理学を不当におとしめる(可能性のある)できごととして。

以前、数学と権威/数学と自然というエントリを書きました(なお、あのときには、圏論の勉強で感謝している---からこそ---檜山正幸さんの言葉を借りたのですが、向けるべき矛先はほかにあったのかもしれません)。なんというのか、私には、数学用語か科学概念を「権威づけに使っている」、あるいは、「彼らは、そういう概念を使うと頭がよさそうに見える、かっこよく見えると思っているのではないか」と言う人たちのほうに、「逆権威思考」のようなものがあるのではないか、と感じています。物理学や数学を、他の学問や概念の上位におく志向というか。数学や物理学や自然科学の「権威」にリアリティを感じていないと、それを他人にあてはめることはできないと思うのです。そしてそれは、かえって数学を小さくまとめてしまうものであるように感じています。「それほどのもんじゃないよ(たくさんあるうちの1つでしょ)」という気持ちと、「その程度のもんじゃないよ(そんな底の浅いもんじゃないでしょ)」という気持ちの両方があります。

実は少し前に、あることがきっかけとなって、ドゥルーズのことをぼんやり考えていたら、ふと、こんな妄想が口をついて出ました。いや、声には出していないから、口をついてでたというより、頭をついてでたのですが。「もしかして、ドゥルーズの流れにのれていないのは、数学と物理学だけ?」と。なんの根拠もない、ただの妄想です。なぜそんな言葉が頭をついて出たのか、自分でもよくわかりません。そのあとで、昨今のドゥルーズ需要について調べたら、やはり少なくともこの5〜6年の間に注目度はあがっているのですね。読まれ続けているのか、再燃しているのかはよくわかりませんが。http://book.asahi.com/clip/TKY200711150094.html
http://frenchbloom.seesaa.net/article/164195762.html

なぜ、特に興味もなかったのに、何かというとドゥルーズに行き着くのか不思議だったのですが、それも時代の流れなのかなぁ、といまでは思っています。

そして、先の妄想のあと、「サイエンス・ウォーズ」と当時のアメリカの状況 (1)で書いた、クリントンの政策のことを思い出しました。→「20世紀は物理学の世紀であったが、21世紀はライフ・サイエンスの世紀である。政府は今後ライフ・サイエンス支援を主とする」 だから、ソーカルらアメリカの物理学者にとっては、「逆権威思考」というよりは、「焦り」に近い感情があったのかもしれません。ついでに、少し前に生活ブログ:TATA-STYLE橋爪大三郎『はじめての構造主義』に関する連続エントリを書いていたことも思い出していました。

「サイエンス・ウォーズ」は、確かに一度は起こさないといけない事件だったのだろうと思います。そしてインパクトのためには、多少やり方が荒く&粗くならざるを得なかった面もあるのかもしれません。しかし、これは乗り越えられるべきウォーズなんじゃなかろうか、そしてまだ、乗り越えられていないのではなかろうか・・・と感じています。

もう私の知らないところで乗り越えられているのかな?という期待もあるにはありますが、郡司ペギオ幸夫が『現代思想』2013年1月号で、「果たして、ジル・ドゥルーズの生命哲学は、描像Aを指し示すものだった。しかし、それは自然科学の文脈で、十分理解されているだろうか」()と書いているところをみると、少なくともドゥルーズの哲学を自然科学の文脈で理解する試みは、まだ十分に行われていないのでしょう。あるいは、まだ始まってさえいないか。

私は、森村修さんの「まったく興味がない」という宣言にしゅんとしてしまったのですが、もしかするとこの宣言は、“現代の”自然科学者が、哲学に対して、言うともなく言い続けてきたコトバなのかもしれません。

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あいかわらずシンクロ

 シンクロっちゅうかなんちゅうか、結局私が、基本姿勢が同じである概念を、いろんなジャンルからそのつもりもなく選びとっているってことなんでしょうねぇ・・・まあ、ジャンルというか、この場合は玄侑宗久さんだから、科学談義に近いのかもしれませんが。

 きょう読んでた別の本↓
 玄侑宗久『しあわせる力 禅的幸福論』(角川SSC新書/2010年)より
 明治以降、いや実際には第二次大戦以降、因果律だけでモノを考える「科学」という習慣が急速に日本人全体にも広がったことで、我々日本人はしあわせを感じづらくなりました。因果律といったって、知らない要素が一つ入っただけで、未来に対するロジックなんて、まったく無効になると私は思うのすが、どうも「科学」への思いはすでに信仰に近い。因果律のみの「科学教」がしあわせの邪魔をしている気がして仕方ないのです。
 では、日本人がしあわせを感じるのはどんなときか。
 少なくとも、予定どおりに物事が進んでいるときではないと、私は思います。思ってみないことが起こって、その中で自分が揺らぎながら、なんとかやりくりしつつそれを楽しんでいる状況、たぶんそれがしあわせなのだと思います。
 日本語の本来の意味での「しあわせ」もそうです。他者と仕合うことがうまくいった、そういうことでしあわせを感じる。他者の振る舞いと合わさって、思ってもみないことが起こり、その巡り合わせを楽しいと思った。本来の日本人が感じる「しあわせ」というのは、そういうことだったのではないでしょうか。
 ですから、因果律で考え、あらかじめ確実な近未来というのが想定されている現代社会では、予定どおりかどうかがいちばんの焦点になりますから、まず予定外のこと自体が受け止められません。だから、「しあわせ」は起こりにくいのです。
 (p.110〜111)
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ポスト複雑系(3)/非同期時間

 『現代思想』2013年1月号所収の郡司ペギオ幸夫「ポスト複雑系―因果律と準因果作用子の邂逅」を読んでいます。

 郡司さんは、マニュエル・デランダが導入する準因果作用子の最も強力なモデルは、非同期時間だと考えているようです。

 その意味を、私の理解で、私の言葉で書いてみます(郡司さんが言おうとしていることとはずれてしまっているかもしれませんが、私はこう理解した、ということで)。

 ポスト複雑系(2)/マニュエル・デランダの準因果作用子において、左右にのびる直線を考えました。これは因果律の軸です。この1本の軸だけだったら、1つの時間発展を示したものであり、それは言い方をかえれば、あるひとりの登場人物の時間発展です。このことを、郡司ペギオ幸夫さんは「ある因果律に従うエージェント」と呼んでいます。エージェントという言葉は完了形と現在形、超越と局所(サイエンス・ウォーズのひとつの見方)で出てきました。代理人という意味のある言葉のようですが、この言葉に慣れている人にとっては、エージェントというカタカナのままのほうがむしろしっくりくるのかもしれません。

 たとえば、かつて郡司ペギオ幸夫『時間の正体』を読んでいたときに、私は次のような因果集合を考えました()。

 

 ここには、Aさん、Bさん、Cさん、スズメというエージェントがいます。このうち、左端のAさんにからむ5つの項目だけを抜き出して、それを一直線に表せば、この直線で表される因果律に従うエージェントはAさんということになります。

 同様に、Bさんだけの直線、Cさんだけの直線、スズメだけの直線も考えることができ、それぞれの1直線はそれぞれの因果律を表していて、その因果律にしたがうエージェントが1本につき1人(または1羽)いることになります。

 で、上の図では、複数のエージェントの因果律の軸が並んでおり、しかも平行に並んでいるわけではなく、項目を共有することで直線が交錯していきます。つまり、様々な時間軸がある図、様々なエージェントがいる図になっています。そこでは当然、相互作用というものが起こってきます。

 このように、AさんならAさんだけの1本の直線で考えるのではなく、複数のエージェントが時間を非同期的に進めていく様子を捉えられるものというのが、郡司さんが準因果作用子に与えたモデルなのだろうと私は理解しました。

 そして、エージェントが動物や人間などの個体であれば、社会の原生的モデルとなるし、エージェントは分子であっても構わない、と話は続きます。その場合は分子の社会性ということになります。
ここにあるのは、個の多様性を担保しながら、一個の明確な単位として現前する社会性である。社会を個の統一と理解するとき、社会と個の多様性は共立し得ない。これに対し、現実化と脱現実化の交わりは、社会と個の多様性を矛盾なく共立させる。
 因果律と準因果作用子の接合は、あらゆる現象を社会として描き出すことになる。それは統一原理に落とせない、徹底した複数性、社会性を描き出す転回だ。それは、同時に、明確な塊、明確な単位として現前し得る全体の生成を描き出す。単独のアジャンクションの果てにあるものは、部分と全体なる双対性の全体を見通し、相対化することで現れる自己言及に過ぎない。その向こう側への明確なビジョンこそ、準因果作用子とアジャンクションの接合による、潜在性を構成する装置となる。それは自らにとって都合のいい外部のみを取り込むシステム論的展開と異なり、真の外部、底のない外部を常に携えた、現象=社会の次元を切り拓く。ポスト複雑系は、真の外部に対する覚悟をもって開始される。
 (p.79)

 上記引用部は、この小論の最後の部分です。今回あらためて思ったんですけど、郡司ペギオ幸夫さんって、どこかコピーライターっぽいところがありますよね(^^)。「わたしには現在しか許されない」とか「生命とは時間の別称である」とか。そして今回は、「ポスト複雑系は、真の外部に対する覚悟をもって開始される」と。ここで“覚悟”という言葉を使うあたりが郡司さんっぽい。でも、ほんとにそうだと思う。

 上記のような現象は、考えてみれば、ごくあたりまえの、ごく日常に行われていることだと思います。というか、私たちは日々そのなかで生きている。その、ごくあたりまえのことを、どうしたらこれまでよりも“ありのまま”の形で、自然科学で扱えるようにするか・・・というところがミソなのだろうと個人的には思っています。そのときに数学は強力な道具となるはずであり、それこそが、遠山啓の予見した、「生命や社会などの動的構造に対応できる数学」なのでしょう。
私が思う遠山啓の「量の理論」と「現代化」の関係
遠山啓には、何が見えていたのだろう
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ポスト複雑系(2)/マニュエル・デランダの準因果作用子

 『現代思想』2013年1月号所収の郡司ペギオ幸夫「ポスト複雑系―因果律と準因果作用子の邂逅」を読んでいます。

 郡司さんは、ドゥルーズやポストモダン、脱構築を、システム論と隔絶した生命の理論として再生するにあたり、マニュエル・デランダという研究者の名をあげています。私は初めて聞く名前だったので検索してみたところ、Amazonの『オープン・ネイチャー―情報としての自然が開くもの』がひっかかってきました。「あれ? ICCのオープン・ネイチャーのシンポジウムに、郡司ペギオ幸夫と大澤真幸ともうひとりいたのはマニュエル・デランダだったの!?」と思って確認したところ、こちらはマルコ・ぺリハンでした。マニュエル・デランダは『ドゥルーズの存在論』という本を書いている方のようですね。

 なお、あれこれ検索中に、以前、見つけたものとは別の森村修さんの論文も発見↓
G・ドゥルーズの「多様体の哲学」(1)
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/
10114/6331/1/ibunka12_morimura.pdf


 郡司さんは、マニュエル・デランダの『強度の科学と潜在性の哲学』をとりあげ、これは水と油であるようなポストモダンと分析哲学をつなぎ、分析哲学者や自然科学者が、ドゥルーズを使えるように理解させるといったような意図をもつ著作だと紹介しています。なお、前半はほとんど2000年ごろまでの複雑系科学のレビューで古びた感は免れないそうですが、途中(時間の議論以降)で別な次元へと議論が転回されるもよう。そこで鍵となるのが、準因果作用子(クェーサイ・コーザル・オペレーター)というもののようです。

 デランダさんは第一に、可能性-必然性(結果)の軸が、現実化・脱現実化という2つの変換によって構成される双対空間であると説き、双対性のモデルとして、方程式を立てること・解くことの双対性を示すガロア理論を取り上げるのだそう。そして、この双対空間が、数学者によって一般にアジャンクションと呼ばれるもので、自然科学者の方法論とは、たかだかアジャンクションを見出すことである、と述べているらしいです。

 出ましたね、アジャンクション。
http://math.artet.net/?eid=1421552
http://math.artet.net/?eid=1421869

 可能性-必然性の軸というのは、いわゆる因果律の軸です。たとえば水が氷へ変化していく時間発展は、水分子配置の自由な様々の可能性を結晶化し、構造化、現実化する過程であり、構造化された結果から、可能性を事後的に解釈することが、脱現実化の変換ということのようです。

 なので、因果律の軸をたとえば左右にのびる線分だと考え、左の向きを可能性、右の向きを必然性(結果)とすれば、左から右に向かうのが現実化、右から左に向かうのが脱現実化ということになるのでしょう。ふつーに考えると、左向きは過去、右向きは未来、と言ってもよさそうな気がします。ちなみに左向きに「方程式を立てる」が対応し、右向きに「方程式を解く」が対応します。この軸がアジャンクションであり、可能性-必然性の双対空間です。

 可能性から1つが選択される過程とは、未来だったものを過去とすることなので、先のように可能性(カオス)と必然的結果(オーダー)の対を時間という枠組みで考えることができるわけですが、デランダさんはここに双対空間最大の問題点を見出すらしいのです。それは、未来だったものを過去とする変換が現実化という時間なら、現在はどう擁護できるか、という問題。
未来と過去の間に位置する現在は、いま・こことして、或る広がりを有しながら唯一性を持つ必然だ。このような現在は、カオスとオーダーの双対空間における相転移点、氷と水の両者の性格を持った相転移点と位置づけられることになる。それは、両者の臨界状態にして、双対空間の中でほぼ実現不可能な、際どいバランスの上に成り立つものと構想される。
 (p.78)

 で、どうするか。

 ということを、p.79で示されている図をもとに考えていきたいのですが、この図をそのまま描き起こしてブログに表示するのもなんなので、なんとか言葉で表現できないか頑張ってみます。

 先に示した左右の線分(可能性-必然性の双対空間、因果律の軸、アジャンクション)は、掲載されている図では左右ではなく左下から右上にのびる実線の線分になっています(両端が矢印)。そして、この直線に直交(左上〜右下の向きなので斜交という言葉が使われていますが)するように、やはり両端が矢印になっている点線の線分が重ねられています。

 この重ねられた点線が、「準因果作用子」の軸ということになります。左上の向きは「普遍」、右下の向きは「個物」を表しています。実線のほう、つまり因果律の軸だけだったら、結局、特定の双対空間を指定して、そのなかに留まっていることになるので、相転移に過ぎない現在は擁護できないことになる。これに準因果作用子の軸を重ねることで、双対空間自体の内側とその適用されない徹底した外部、すなわち様々な双対空間スペクトラムを横切る多様性の軸を導入しよう、ということなのだろうと私は理解しました。そうして2つの両端矢印の線分が重なることで、その交点に「潜在性」が開設され、潜在性-現実性の対が現れる、と。

 こんなふうにして重ねられた準因果作用子は、アジャンクションの多様性であり、アジャンクションをダイナミックに変質させる、特定の双対空間外部となる、ということのようです。なお、準因果作用子はアジャンクションをどう規定するかに依存して具体的に決まっていくものであるらしいです。

 しかしデランダさんは、準因果作用子、双対空間の多様性とは何か、については具体的に何も語っていないのだそう。科学はアジャンクションに留まり、準因果作用子の展開こそがドゥルーズの業績だったと説くだけだ、と。なんとなくわかる気がします。だからドゥルーズは、ソーカル的立場の科学者から「科学を濫用している」と批判されるに留まったのではなかろうか。科学あるいは数学の仕事はアジャンクションの軸だけだから。それに斜交する多様性の軸など科学、数学の仕事とは受け入れられなかったのでしょう。なまじ「多様」という言葉を含む数学用語がすでにあるもんだから、なおさら話はややこしいし。

 ドゥルーズ本人はこの多様性を言葉で表現したのでしょうが、それに対してデランダさんは、「準因果作用子」という概念・用語を与えることで(これも言葉ではありますが)、水と油をつなごうとしたのだろうと現時点の私は理解しています。だから、デランダさんが考えた、因果律に斜交する新たな軸を、別の概念や用語やモデルで語ることも可能なのだと思います。

 で、郡司さんはといえば、準因子作用子の最も強力なモデルは、非同期時間だと考えているようです。

(つづく)
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ポスト複雑系(1)/『現代思想』2013年1月号

 先日、図書館で『現代思想』をのぞいていたら、2013年1月号に 「現代思想の総展望2013」という特集があり、郡司ペギオ幸夫さんが「ポスト複雑系」というタイトルで短めの文章を載せておられることを知りました。

 私は十数年前に複雑系にはまったことがあるのですが、いまとなってはきっかけや経緯が思い出せません…と書こうとして過去のエントリを検索して読んでみたら、あらま!箱庭療法の本だったんだ〜〜知らんかった・・・いや、自分のことだから知らんかったんじゃなくてすっかり忘れていたわけなのですが(^^;>複雑系の思い出・01複雑系の思い出・02

 とにかく、「ここには何かある!」「私はこういうことを求めていた!」)と感じて、しばらくテンションが上がっていたのでした。

 山口昌哉先生の複雑系のレクチャーをきいたのは、たぶん1997年のことだと思います。山口昌哉先生が遠山啓著作集の解説で、「私たちは,まさに先生のいっておられる,10年前に予見しておられた方向に数学を発展させており,たとえば,この本の第珪呂僕集されている数学の未来像,つまり,構造的で,かつダイナミズムを描く数学がようやく開拓できた。遠山先生はそれを私から聞くことなく亡くなられたのは,まことに残念である」と書かれたのは()1970年代の後半だと思うので、まだ複雑系という用語は生まれていない頃ですね。でも、『非線型現象の数学』を1972年に出しておられるし、上記の文章を書かれたころは、カオスとフラクタルの研究もされていたのでしょう。

 『現代思想』2013年1月号に掲載されている郡司ペギオ幸夫さんの文章は、「複雑系という概念を目にしなくなって久しい」という一文から始まります。そして複雑系は、現実的な生物や脳を理解する方法論と目され、システムバイオロジーやシンセティックバイオロジーに呑み込まれたといっても過言ではない、それはシステム論への回帰である、と。

 折りしも、先日リンクした永井俊哉さんの文章は「システム論アーカイブ」のなかの記事でしたが、永井俊哉さんはルーマンの研究を経て、システム論へと入っていたようです。
【参照】『縦横無尽の知的冒険』のインタービュー記事↓
http://blog.goo.ne.jp/press_kim/e/
73a870b875a704ef0fa0d8bc53282673

 郡司ペギオ幸夫さんは、システム論を、「部分の総和(モノ)と、それを越えた強度的全体(コト)との両義性を認め、両者の配分に関するスペクトラムをパラメーターの違いで判断すること」としたうえで、「ここに、生命や意識を理解する知の革新があるだろうか」と問いかけます。というわけで、この小論は、システム論への誘惑を断ち切って、ポスト複雑系の道を探っていこうとするもののようです。

 システム、あるいはルーマンときけばオートポイエーシスのことを思い出しますが、それまでオートポイエーシスのことがなんだかよくわからなかった私がはじめてこの概念を少し理解できたような気がしたのは、皮肉にも、郡司さんがオートポイエーシスを批判的に検討するなかで「痛み=傷み」という言葉を使ったときでした。>郡司ぺギオ-幸夫さんのプレゼン映像を見て思ったこと

 上記リンク先の映像は2007年のものですが、先日見つけたオープン・ネイチャーのシンポジウムはその2年前であり、ここにも「痛み」というキーワードが出てくるようです。

 郡司さんいわく、システム論においてモノとコトの両義性は予定調和的である、と。しかし、本来、自己組織化や創発という概念は両刃の剣であり、局所的相互作用の様式を既知とし、そこから決して想定できなかった大域的相関がみつかったという(これが創発の定義)ためには、局所的相互作用を確定すると共に、文脈が確定できないこと、局所的相互作用が規定できる境界条件の確定が恣意的であることを受け入れざるを得ない、と。
想定外の大域的相関、パターンや機能的振る舞いといった、肯定的結果だけを受け入れ、解体の可能性に不断に開かれているという否定的性格については目をつぶる------そういったご都合主義は、採用し得ないはずだ。
 (p.76)

 上記引用部分の「解体の可能性に不断に開かれているという否定的性格」という言葉が、私にとっては面白いし、わかりやすいです。「解体の可能性」という言葉が、「解体の(ネガティブ)+可能性(ポジティブ)」という組み合わせになっていて、さらにそれが「不断に開かれている(ポジティブ)という+否定的性格(ネガティブ)」という組み合わせの言葉に続くということが。

 システムの時間的発展に関する因果律がいつなんどき覆されるかわからないという事態は、生命にとってはある意味で「危機」であり、ある意味では「可能性」なのだろうと思います。すんごく平たくいうと、いつ何が起こるかわからない、こうなったらこうなるはずだという目論見がはずれるかもしれないということは、不安定だし怖いことだけれど、同時に、何がどうなるかわからない、こうなったのにこうならなかった、ということは、希望・期待・面白さでもあるような気がします。あまりにも楽観的な言い回しではありますが。なお、私なりに平たく言ってみた言い回しであり、郡司さんが言わんとされていることとはちょっとずれているかもしれません。

 そんなふうに、存在が絶えず解体・起源する生成として捉えられる(脱構築として捉えられる)ことが核心となるような描像を、郡司さんは描像Aと名づけ、これはプリゴージンの散逸構造を徹底させ、システム論が内側との対でしか理解しない外とは異なる、本当の外部を、現象の基礎に据えるものであるとしています。この描像Aこそポスト複雑系の最右翼となるとも書いていますが、いま左/右が出てくると個人的にややこしいよ〜〜(^^;

 果たして、ジル・ドゥルーズの生命哲学は、描像Aを指し示すものだった。しかし、それは自然科学の文脈で、十分理解されているだろうか。
 (p.77)

(つづく)
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追加

 初等数学教育をとりまく、私が感じる“ねじれ”を整理してみるの途中で永井俊哉さんの文章の話をちょろっと出させていただきましたが、URLを示していなかったので、追加しました。ちなみにこちら↓
http://www.systemicsarchive.com/ja/b/anglophilosophy.html
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