TETRA'S MATH

数学と数学教育

遠山啓の「外延量・内包量と微分積分」(1979年)を読んでいく (5)/内包量と微分積分

 遠山啓著作集<数学教育論シリーズ6>『量とはなにか−供‖深仝砧漫θ分積分』(1981年/太郎次郎社)に収められている、「内包量・外延量と微分積分」(p.78〜91)という文章を読んでいます。



 遠山啓は、「微分というのは,まさに内包量です」と語っています。しかし、小学校での内包量が均等分布という条件のもとでの内包量であるのに対し、微分というのは、この条件のない状態の内包量である、と。

 たとえばコーヒーに砂糖を入れて、スプーンでかきまわさない状態だと、均等分布ではないので、このコーヒーは甘いとか甘くないとかの判断は、上のほうだけをなめたのではいえない。ではどうすればいいかというと、この部分の甘さはどうか、あるいはこのへんはどうかというふうに、各部分ごとに異なる内包量をださざるをえない。これが微分である、と。

 速度でいえば、等速度で動いていない自動車は、ひじょうにスピードをだしているときは速いけれど(同語反復!?)、徐行しているときは遅い。一様変化という条件があれば等速度だけれど、その条件がなければ、各瞬間、各瞬間の速さというものを考えざるをえない。

 すると、その部分、つまり、ひじょうに小さい空間で、そこにはいっている物質の量をわり算せざるをえない。なぜなら、各点ごとにみんなちがうから。だから、小学校のときの内包量は均等分布しているときのもの、高校での微分は、その条件がないときの内包量と考えてよい。でも、内包量であることに変わりはない。というふうに、遠山啓は語っているのでした。

 ここからしばらくは、自分の意見を書きます。

 小学校2年生のかけ算の学習は、同じ数のものがたくさんあるということの状況-----りんごが3こずつのったお皿が5皿あったり、おかしが6個ずつ入った箱が4箱あったり-----を設定するところから始める場合が多いと思いますが、こういうふうに、「同じ数のものがたくさんある」ことがかけ算を生じさせる状況であると考えることは、「量の理論」をはなれても自然なことだと思います。

(なので私は、そのような「たくさんある同じ数=1あたり量」に注目させてから式を立てる「1つ分の数×いくつ分」の順序に、かつては違和感をまったく感じていませんでした。いや、いまもほとんどありません。だから、かけ算の順序固定問題がこんなに盛り上がるまでは、どうして反対派がここまで目くじら立てるのかわからなかったのです。だけど、世の中にはこの順序にとことんこだわる人がいるらしいということがわかってきて、いろいろな事例を知り、指導書のびっくりするような記述をweb上で読み、確かにかなり妙なことになっているな・・・と思うようになったのでした。)

 そして、「量の理論」とつなげて考えてみた場合、まさに小2のかけ算における「1あたり量」は、「均等分布の内包量」といえます。整数の場合はもともと人為的な数値の場合が多いので(同じ数ずつ分ける、同じ数ずつ入っている等)、あまり意識することもないのですが、これが小数や分数になると、がぜん均等分布された内包量の意味あいが強くなってきます。こどものちかく「小数×小数」を、針金の長さと重さで学ぶ意味でも書きましたが、針金の長さと重さを使うことはあっても、大根やごぼうの長さと重さは題材に使うことはないと思うのです。

 つまり、かけ算の問題の題材は、大抵なんらかの比例関係を前提にしている。別の言い方をすれば、かけ算が使える場面には比例関係が生じる可能性がある。そうしてA×B=Cの形をしたかけ算の式がy=axという比例の式へと発展していき、これが小6〜中1の数量関係の学習の内容になっているのだと思います。

 遠山啓の文章にもどると、均等分布していない場合は、それぞれの小さな部分のなかだけでは均等分布になっていると考えてよいので、各部分の砂糖の濃さは、それぞれの部分に溶けている砂糖の量をその部分の容量でわればいい、場所によってちがってはいるが、それぞれの小さな部分の範囲内では、こんなふうにほぼ三用法が成り立つ、というふうに説明しています。そして全体の砂糖の量は、各部分の濃度に容量をかけるとわかる、というわけです。

 遠山啓は数値で具体例を示してはいませんが、食塩水でおおざっぱに考えてみると、たとえばコップのなかの食塩水300gを100gずつA、B、Cの3つの部分にわけ、順に濃度が2%、5%、8%だとすると、含まれている食塩の重さは(あえて“濃度に容量をかける”形で書くと)、A・・・0.02×100=2(g)、B・・・0.05×100=5(g)、C・・・0.08×100=8(g)となり、全体の食塩の量は2+5+8=15(g)です。つまり、「かけて、たす」。これが積分であり、いわゆる内積である、と。そして、内積というのは、たんに小学校や高校ばかりでなく、数学という学問全体を貫いている大きな柱の一つだとも言っています。

 微分というのはその反対なので、「ひいて、わる」。上着を先に来てコートを着たとき、コートを脱いでから上着を脱ぐように、「かけて、たす」の逆は「ひいて、わる」ということになる。「ひく」というのは部分化するということなので、全体をみるかわりに、その一部分だけに目をつけるということ。

 「だから,小学校の内包量をしっかりとやっておかないと,微分がわからない」と遠山啓。小学校の力で、すぐに高校微分を習ってもいい、とも。

小学校でも,内包量は微分積分へつながるのだということを頭にいれて,ていねいに教えたほうがいい。つまり,子どもが爛好廖璽鵑任きまわさないときはどうなるのか瓩伴遡笋靴討たら,爐修譴蓮い泙世澆鵑覆砲呂爐困しいけれど,高校にいって,微分積分というのをやると,よくわかる瓩氾えてやったら,子どもたちははやく高校生になりたいという期待をもつでしょう。

 (p.89)

(ある先生のわり算についての授業で、「この計算の証明は、いまはできないけど、中学にいったらできる」といったら、子どもたちははやく中学生になりたいといいだした、というエピソードも紹介されています。)

 「いまこうしておかないと、あとで困る、あとでこれができなくなる」というのはよくきく話ですが、だいたい数年単位の話ではないでしょうか。小2の学習の大切さの根拠を小3に求めたり、低学年の根拠を中学年・高学年、中学年の根拠を高学年に求めたり。もし、小2のかけ算の順序をとても大切にする先生がいて、「これができないと高校の微分積分でつまずきます」とまで言える先生がいたら、その先生は遠山啓の「量の理論」の影響を受けている可能性が高そうですね。でも、そういう先生、どのくらいいるだろうか・・・? 微分まで持ち出す先生って。逆のパターンもあるかもしれませんね。小2でかけ算の順序を固定して教えられると、伝票の書き方もわからない非常識な大人になる、と。

 とにもかくにも、当初はどうであったかわらないけれど、最晩年の遠山啓にとって、「内包量」は「量の理論」を貫く重要な概念であったようです。それが均等分布であるときは比例定数であり、その原型はかけ算の「1あたり量」であると考えていいのではないか、と個人的には思っています。はっきりそうは書かれていませんが、少なくとも、「総量/容量=内包量(1あたり量)」という式は示されています。ほんとうはこの「1あたり量」を「単量」と言いたかったらしいし。

 この文章は遠山啓が直接書いたものではなく、講演速記なので(原稿チェックは本人がしたのだろうか?)、文章として書き起こしていたらまた少しちがった内容になっていたかもしれませんが、最晩年の考えを知る資料があってよかったなぁと思っています。
 
 なお、文章の最後では「わり算をすると,値が大きくなる」ということについて書かれてあります。その日の高校部会で、xというひじょうに小さな量で、yというひじょうに小さい量をわるというのがひじょうにむずかしい、という話が出たようで、そのことに関連して。これも、小学校でとくにていねいに教えておいたほうがいいだろう、と遠山啓は言っています。かけ算でも、たし算でも、ひき算でも、小さい量をあつかうときには小さい量にはならないが、わり算だけはべつである。小さい量を小さい量でわると、ばかに大きくなることがあることを、いろいろな実例でしっかりと把握させておいたほうがいいと思う、と。たとえば、コップのなかの食塩水は太平洋の海水よりもからいことがある、というのもひとつの例だとしていますが、ここでまた「内包量は感覚でとらえらえる」にもどるようです。
(が、y÷xのむずかしさは、そういう問題じゃないんじゃなかろうか?)

 あと、ノミの跳ぶ高さと身長の話や、アリがものを運ぶ力と体重の話などが、人間との比較で語られていて苦笑しました。教科書にのっていたカエルの跳ぶ距離と身長の話の原形がこんなところにあったぞ〜と(もちろん、偶然なのでしょうが)。こういうようなことを、いろんな例で体験させておいたほうがいい、そうしておかないと、将来、微分にいったときに困る・・・と遠山啓はいっています。こういう言い回しをきくと、「ぼのぼの」のアライグマくんを思い出すのでした>

 やはり遠山啓にとって、「わり算」は特別なものだったようです。森毅と意見がわかれたというのも、納得()。

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遠山啓の「外延量・内包量と微分積分」(1979年)を読んでいく (4)/「量の理論」に対する個人的な想い

 遠山啓著作集<数学教育論シリーズ6>『量とはなにか−供‖深仝砧漫θ分積分』(1981年/太郎次郎社)に収められている、「内包量・外延量と微分積分」(p.78〜91)という文章を読んでいます。



 そして話は、「内包量と微分積分へ」と入っていきます。ここを読んでいると、『数学の目・算数のすがた』(瀬山士郎/日本評論社/1993年)の第1章を思い出します。なお、『数学の目・算数のすがた』のブック・ガイドで示されている本は、森毅『微積分の意味』(日本評論社)と田村二郎『微積分読本』(岩波書店)です。

 遠山啓のこの文章は、東京地区数学教育協議会合宿研究会での講演速記とのことですが、講演が行われた日は、高校部会で微分積分をどう教えるかということが中心テーマだったのだそうです。「まさに、微分を教える困難は内包量を教える困難であり,小学校から内包量をしっかりと教えておかないと,高校で微分がわからない,という結論になったようです」と書いてあります。

 先に自分の意見を書いておくと、高校ではどうかわからないけれど、少なくとも小学校に関していえば、小学校で内包量をしっかりと教えることが高校での微分積分の理解につながるとは到底思えません。データをとって統計的にそう思っているわけではなく、感覚的に。内包量に限らず、遠山啓あるいは数教協のこの基本認識に、私は賛同できないのでした。

 それなのになぜこんなに遠山啓にこだわっているかというと、私は遠山啓の思想と数学観に興味をもっているからです。「自然」と「社会」につながる、開かれた動的な数学に興味があるからです。「自然」と「社会」をさらにまとめれば、「生きていること」といってもいいかもしれません。生きていることと直結している数学。それを感じさせてくれるひとりが、遠山啓だからなのでした。

 そのことと、実際にカタチにされた数学教育論、吉本隆明に“徒労にも似た”と言わしめた()数学教育の方式の創設と実行とは、別の問題だと思っています。だからときどき、遠山啓や数教協を批判するようなことを書いています。私が疑問をもっているのは、昔の数教協の系統学習的発想であり、その後の数教協の教条主義(のようなもの)であり、算数・数学教育を「教える立場」から考えようとする基本姿勢なので。

 あれは、20代後半か30代前半くらいのこと(1990年代半ばくらい?)だったと思いますが、久しぶりに数教協の全国研究大会に行ったとき、母に、「数教協の大会って10年に1度行けばいいね」と皮肉を言った覚えがあります。なんにもかわっていなかった。時間がとまっている。そのときだったか、それより以前だったかは忘れましたが、分科会にブラックボックスで関数を学んだ若い教師が参加していて、しかしベテランの先生たちはあいかわらずブラックボックスを画期的なものと思っているらしく、その対比をまじまじと眺めたことがありました。また、特殊な例ではありましょうが、「8+7」をめぐる個人体験について、水道方式にまつわる個人的な思い出で書きました。いまはそんなことないかもしれないけれど、一時期、「数教協という組織への帰属意識」に重きをおいていた教師は、きっといたと思うのです。

 そういうなかで育まれてきた方法論は、ある種の問題を抱えざるをえないと思うわけであり、そのようなもののために、遠山啓の思想や数学観さえも捨て去られてしまうのは(というか、そもそもほとんど理解されていないのではなかろうか・・・)、とてももったいないと私は思っています。

 1980年代初めに、森毅はこんなことを書いていました()。

じつは,雑誌『ひと』で「遠山啓論」を公募しようかという案のあったとき,ぼくは時期尚早という説だった.予想としては,「チャチな遠山批判」と「フツウの遠山賛美」が来て,相対的にマシな「賛美」のほうをとりあげる結果になっては,あまりにも品がないからだ.しかし,これから本格的な「遠山啓論」の出てくることを,期待している.

 その状況は、水で薄めた状態でいまも続いているのかもしれません。ただし、フツウの賛美ももうなくて、それと知らないまま、あたりまえのこととして無自覚に残像を身に纏っているか、批判のための批判のどちらかでしょうか。その双方が、同じものを見ているように私には思えます。「かけ算の順序問題」が右と右の戦いに見えるのと()似ているかもしれない。私が見たいものは、もっと別のものなのでした。

 個人的な意見がだいぶ長くなってしまいました。

 長くなったので、ここでいったん投稿します。

(つづく)

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遠山啓の「外延量・内包量と微分積分」(1979年)を読んでいく (3)/内包量の新しいシェーマ

 遠山啓著作集<数学教育論シリーズ6>『量とはなにか−供‖深仝砧漫θ分積分』(1981年/太郎次郎社)に収められている、「内包量・外延量と微分積分」(p.78〜91)という文章を読んでいます。



 外延量・内包量の歴史、内包量は感覚でとらえられるという話を経て、次は実数の二重構造の話なのですが、ここは割愛して、次の「内包量のシェーマ」にうつります。シェーマというのは数教協のなかでよく出てくる言葉で、構造の理解を容易にするような感性的な思考のモデルのことですが、それは“図”や“教具”の意味ではないということが、この文章のなかでの遠山啓が使うシェーマという言葉によくあらわれていると思います。

 遠山啓は、内包量のシェーマとしては、“混みぐあい”や“濃さ”とかがいちばんいい、としています。そして、これまで“繰り返しいっている”(本人談)量の2通りの区別を、“広がり”と“中身”という言葉にかえて話を進めていきます。文章の流れからいくと、外延量・内包量の話から始まり、割愛した部分で度・率がちょろっと出てくるものの、これから区別される“広がり”と“中身”は、「外延量・内包量」、「度・率」でもなく、この文章では一切触れられていなくて、突然出てきているもののように感じられます。なお、ぱっと見、「外延量=“広がり”」「内包量=“中身”」と思いたくなりますが、そうではないことが読み進むうちにわかります。

 “広がり”というのは、箱の大きさとか、部屋の大きさとか、運動場の広さのように、なかみは空っぽだけれども、自由に出たり、はいったりできる空間量。われわれの世界というのは、まず空間があって、そこへ「もの」が入って、その「もの」がいろいろに動いたり、変化したりしている。空間のなかに物質がつまっている。

 そうすると、ある空間、ある容れもののなかになにかが入っているときの“混みぐあい”、あるいは“濃さ”がいちばん典型的な内包量だといえる。遠山啓は、「いままでも,電車という容れもの(空間)のなかに人間(物質)がどれくらいつまっているかということで導入してきたわけですが,これは,そういう意味でたいへん正しいといえます」と書いていますが、現在の教科書では、“混みぐあい”は、人口密度のようなものを考える場合には「単位量あたりの大きさ」(度/異種の2量の商)となり、定員数に対する乗客数として考える場合には、「割合」(率/同種の2量の商)の領域になります。そして、濃度は「率」です。内包量のシェーマとして、「度」と「率」の両方が含まれていて、しかも区別されていないことになります。

 このあと続く議論(1次元空間は子どもには逆に考えにくい話など)をとばして、さらにその次の「内包量の新しいシェーマ」にうつりますと、遠山啓は、内包量には「密度=質量/体積」や「速度=長さ/時間」などがあり、それぞれに異なる呼び方があり、みんなちがうわけだけれど、共通なものとしてどんなことばを使ったらいいかということについて、新しい提案をしています。それは、空間の“広がり”を表わすのに“容量”というのはどうか、それから、わられるほう、分子にあたる部分が“総量”。

     総量/容量=内包量(1あたり量)

 この“1あたり量”を“単量”といいたいのだけれど、ちょっと抵抗があるから、内包量はそのまま従来どおりの呼び方にするとして、このように、一般性のあることばを使ったらどうかと思うとして、三用法を次のようにまとめています。

     内包量=総量÷容量-----第1用法
     総量=内包量×容量-----第2用法
     容量=総量÷内包量-----第3用法

 「これは新しい提案ですから,おおいに賛否両論をだして検討してみてください。名まえなどどうでもいいようなものですが,改良の余地があったら,改良したほうがいいでしょう」と遠山啓は言っていますが、もちろん、こんなことばを子どもに伝えるとわかるものもわからなくなるのでやめたほうがいいと思うし、さすがに大人にとっても、「総量」と「容量」はわかりにくい言葉だな…と思います。

 それはそうとしても、あらためて、この総量・容量という量の2通りの区別を、これまで分類されてきた量のどれに相当するかを考えてみます。内包量は別に示されているので、外延量・内包量の区別ではなさそうです。もちろん度・率の区別でもない。これまでの三用法に照らし合わせると、総量・容量ともに外延量にならないとヘンです。おそらく、「容量」のほうが「土台量」(基底外延量)(参照1参照2)と呼ばれるものなのだろうと思います。

 さらに先を読んでいきますと・・・
小学校2年生で,かけ算を整理するときにも,このようにしたほうがいい。たとえば,
     2×3
を教えるときに,いままではウサギが3匹いて,それに耳が2こずつついているとしていたのですが,しかし,あれはウサギという容れもののなかに耳がはいっているわけではありません。ウサギのからだに耳がついているのですから,ウサギを容れものとは考えにくい。容量とは考えにくい。あれは,ほんとうは生きたウサギではなくて,ウサギのお面をつくるのに,部分品としての耳が2ついるという意味だったのです。お面だったのがだんだん誤解されて,生きたウサギになってしまった。生きたウサギは,子どもにとってたしかに親しみやすいから,最初にでてくるものとしてはいいのですが,シェーマとしてはあまりうまくない。やはり,2×3のシェーマとしては,1箱になにかが2つずつはいっているものの3個分瓩箸靴燭曚Δわかりやすい。箱だったら容量ですから,この先,ずぅっとこのシェーマでいくことができます。そういうように考えたほうがいいのではないか。それで,こんどの『わかるさんすう』(麦書房)の改訂では,この方針にそって変えたわけですが,みなさん,だいぶ反発されたようです。おおいに反発してくださって結構です。意見をだしてくれないと,議論は発展しませんから。
しかし,シェーマとしてはこのほうが発展性がある。2×3の3のほうは容量といったほうがいい。だから,2のほうはタイルで表示するけれども,3のほうは箱になっているのです。このようなシェーマでかけを定義するのです。いままでの
     爛織ぅ襦潺織ぅ覘
というのは,子どもにはなかなかわからない。
     牾葦篶漫潦葦篶稔
という計算は,面積などにたしかにあるわけです。しかし,それは一般性をもっていなくて,ひじょうに特殊なものです。それで,やはり,
      総量=内包量×容量
という考えに変えたわけです。
 (p.86〜87)

 このあとは、2×0をどうするかという問題について語られており、箱の場合は「0×0」になってしまうので、シェーマとして箱で導入して、2×0の場合は、またウサギに具体化してもいいのではないか、という話も出てきます。そのへんは、子どもに教えてみて、反応をみてみないとわらない、やり方を変えると、また新しい問題もおこってくるわけです、というふうに。なお、上記引用部分については、過去に、ゼロの認識にも、1あたり量の認識にも、「容器」がいるでも書いています。


(つづく)
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遠山啓の「外延量・内包量と微分積分」(1979年)を読んでいく (2)/内包量と感覚

 遠山啓著作集<数学教育論シリーズ6>『量とはなにか−供‖深仝砧漫θ分積分』(1981年/太郎次郎社)に収められている、「内包量・外延量と微分積分」(p.78〜91)という文章を読んでいます。



 内包量の歴史が浅いことを示したあと、遠山啓は、その内包量というものは感覚でとらえられるのだ、ということを強調しています。例として、海水の塩からさをあげています。外延量は“広がり”なのでそうとう歩きまわらないとわからないけれど、内包量は狭いとこにとどまっていてもすぐにわかる、太平洋の海水の塩からさを知るにも全部の水を飲んでみる必要はなく、一部を飲んでみればそれでわかる、と(ただし、それが可能であるためには、太平洋の海水の濃度は一様であるという前提が必要になってきます)。

 つまり、内包量は、計算を前提としていない。2つの食塩水の濃度を比べるには、なめていればいいわけで、とくに計算は必要ない。ただ、両方の食塩水の食塩と水の量がわかっているときには、いわゆる“1あたり量”を計算してみれば、なめないでも、どちらがからいかということがわかる、と。

 内包量に対しては、近畿地区の数教協(略称:近数協)とのあいだでずいぶん論争があったそうです。数教協の内部でも、少なくとも当時は、いろいろと批判や議論があったわけですよね。遠山啓いわく、いままでの伝統的な速度の定義は、“距離を時間でわったもの”、つまり「速度=距離÷時間」というものであり、近数協もそう定義するだろうけれど、私はそうではないと思う、そういう定義は子どもにとってひじょうによそよそしいものである、速度にしても子どもたちはまず感覚でとらえる、と。自動車より飛行機のほうが速い、ハトよりツバメのほうが速いということを、子どもたちは生活経験のうえからすでに知っており、それを数値化するときにわり算がいるというだけのことで、出発点はあくまでも人間の感覚である…

 生活単元学習批判の頃からだいぶ時間がたっているわけですが、「生活単元学習=子どもたちの感覚や生活経験を重視」ということではないにせよ、やはり時の流れは感じます。しかし遠山啓としては、一貫しているのかもしれません。

 そして、速度を数値化するときには、かならずしもわり算は必要としないとして、自動車の速度計や飛行機の速度計の例を出してきます。液体の濃度なども浮きばかりを使えばわり算をしないでもでてくると思う、と。

 せっかくなので、ちょっと調べてみましたが・・・よくわからず・・・(涙)。

■スピードメーターの構造
http://www.geocities.jp/adatthi/Cyukosu.htm

■(ウィキペディア) ピトー管
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%88%E3%83%BC%E7%AE%A1

このように,速度にしても濃度にしても,かならずしも,わり算を経なければ測定できないというものではありません。つまり,内包量というのは感覚で知ることのできる実在した量であって,それを知る一つの手段としてわり算が使われているというだけのことです。

 (p.81)

 遠山啓は、内包量をわり算したものとして定義したのでは、子どものほんとうの感覚とつながらない、感覚とつなげたほうが子どもにとってずっとよくわかるし、そのほうがしぜんであると思う、数学というのは、あとからはいってくればいい、と語っています。とにもかくにも、遠山啓にとって、内包量は「定義されるもの」ではないらしいです。外延量も、内包量も、「実在」している。したがって、遠山啓にとって内包量は、はじめから存在しているものであり、感覚的にとらえられるものであり、しかし計算するときにはわり算が必要であり、結果的に、内包量はかけ算・わり算の説明に便利、ということになるような気がします。



 内包量を感覚とからめた話をきいていると、ユクスキュルのことを思い出します。
■生物、人間、量と法則のからみあい
■強度世界と内部観測、ゼノンの告発


(つづく)

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遠山啓の「外延量・内包量と微分積分」(1979年)を読んでいく (1)/外延量と内包量の歴史

 先日、遠山啓著作集<数学教育論シリーズ6>『量とはなにか−供‖深仝砧漫θ分積分』(1981年/太郎次郎社)に収められている、「内包量・外延量と微分積分」(p.78〜91)という文章の前半部分を要約して投稿しました。へたに引用したり部分的に要約して自分の意見をからめていくよりも、まずは最晩年の遠山啓のこの考えを、そのまま要約してみたかったからです。しかし、やはりけっこうな分量になってしまうので、全文を要約するのはやめて、少しずつ読んでいきながら、新たに知ったこと、自分が考えたこと、感じたことを書いていくことにしました。

 この文章は、東京地区数学教育協議会合宿研究会での講演速記とのことです。実際、語りかけているような、やわらかい文面になっています。遠山啓が亡くなった1979年の文章なので、遠山啓の最晩年の考えと思ってよいのでしょう。もちろん、いまの時代を生きていたら、遠山啓はまた別のことを語っていたように思います。

 遠山啓はまず、外延量と内包量とでは、その歴史の長さがまったく異なっているというところから話を始めます。外延量というのは長さや面積・体積などの“大きさ”や“広がり”を表わす量のことであり、数千年まえに登場している。これに対して内包量はたいへん新しく、ヨーロッパにはじめて登場したのはおそらく12世紀や13世紀ごろで、イギリスの当時の学者たちが考えだしたといわれている、と。

 この12世紀や13世紀のイギリスの学者とはだれ(たち)だったのか、ちょっと調べてみたのですが、いまのところだれ(たち)をさしているかの見当はついていません。なお、内包量については温度を例にとって説明してありますが、例にとって説明しているのか、温度から内包量が始まったのかはよく読みとれませんでした。温度や熱力学は遡っても16世紀がぎりぎりという感じで、12世紀や13世紀のオックスフォード大学、ケンブリッジ大学(←できたばかりの頃ですね)で何が起こったのかはよくわからず。哲学方面でも、二コル・オレムは14世紀でしかもフランスだし…(←遠山啓のこの文章は1962年に書かれています)。

 ちなみに英語では、外延量を extensive quantity、内包量を intensive quantity というようで、内包量は日本語では“強度”と訳していると遠山啓は書いています。私もこの言葉を見かけることがありますが、いまの(?)熱力学でいえば extensive quantity が示量量、intensive quantity が示強量ということになるのかもしれません。“量”がつくことはあまりなくて、示量性・示強性、示量変数・示強変数という言い方をすることが多いのでしょうか。

 ただし、ウィキペディア:によると、
銀林と遠山らにより考案され日本の小学校算数教育で使われることのある分類概念である[8][9][10]。熱力学で使われる示量変数 (extensive variable) および示強変数 (intensive variable) と発想が似てはいるが別の概念であり、自然科学一般分野や社会科学一般分野、日本国外ではこの分類概念はほとんど使われていない(外部リンクの英語版wikipedia「量」の項参照)。英語へは、外延量はextensive quantity、内包量はintensive quantityと訳されるが、この言葉は英語では熱力学で使われる示量変数および示強変数と同義語である(外部リンクの英語版wikipedia「物理量」の項参照)。
なんだそうです。最終的に別概念になったことは考えられるけど、最初から別概念だったわけではないのではないか・・・といまは思っています。 
 
 とにもかくにも、遠山啓いわく、外延量と内包量のこの歴史の違いは、内包量がいかにむずかしいかを示している、と。

 で、遠山啓がこの外延量・内包量というものを提案したころは、数教協の内部でもひじょうに評判がわるかったようです。「なんでそんなにめんどくさいことをいうの?」という印象は、数教協の内部でも当初からあったようですよ。しかし遠山啓は、この視点は数学教育の体系をたてるのにどうしても必要だと考えました。それはなぜかというと、実数の計算は加減と乗除という異質の二重構造をもっており、外延量・内包量ということを考えないと、この二重構造の満足な説明ができないから、という理由においてでした。つまり、遠山啓にとって、この区別は説明原理であったことがわかります。


(つづく)
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自称「数教協の落とし子」の私は何をすればいいのでしょうか。

 「比的率」は外延量という考え方(13)/円周率のことを投稿した頃、私は、いま小学校の教科書で起こっていることは、数教協のせいじゃない、数教協のせいにされちゃたまらん、と感じていました。しかしその後、次のページを知りました↓
http://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/05/page5_20.html

 啓林館のページです。もろ、数教協です(“率”が“度”の上にあるところが微妙だけれど、遠山啓もこの順序で書いていることがあるし・・・)。数教協の重鎮の先生方ーっ、ご存知でしたか!? っていうか、いつのまにそういうことになってたの?? 以前、チェックしたときに、まだ頑なにタイルを拒絶していたような印象をもっていたのだけれど・・・それももう、かなり昔の話なんだろうか。

 ちなみに、「単位量あたりの大きさ」で二重数直線を使っていないのは、検定教科書では啓林館だけだったと記憶しています。

 心配するまでもなく()、量の理論、バリバリに健在じゃないですか…

 上記のページから、ここも知った↓
http://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/06/page6_10.html

 ふーむ・・・ 

 そういえば、いまの教科書では(?)「速さ」だけ別立てなんですよね。



 ところで、前回の話の続きなのですが、三角形の底辺の長さを4cm、高さをxcmとしたときの面積をycm^2としたとき、y=(きまった数)×x と y=x×(きまった数) のどちらで書けばいいのでしょうか・・・



 自称「数教協の落とし子」の私は何をすればいいのか、どこからどう手をつけたらいいのか、途方に暮れておりまする。

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倉田令二朗が、「遠山啓の現代数学観は反圏論的」という、その意味

[2013年3月18日追記]
 以前、このエントリのタイトルを“倉田令二朗が、「遠山啓は反圏論的」という、その意味”としていましたが、「遠山啓の現代数学観は反圏論的」とすべきでした。おわびして訂正します。

* 

 遠山啓著作集<数学論シリーズ4>『現代数学への道』巻末、倉田令二朗の解説を読んでいます。

 倉田令二朗は解説の最後で、「圏論」について言及しています。「今世紀なかばに発生した圏論は数学のあらゆる部門に浸透し,現代数学の様相を一変しつつある。これを無視して現代数学を語ることはできない。」という語り始めで、圏、対象、射、合成、合成の結合則、恒等射についてひととおり説明していきます。また、例としてSet(集合の圏)、Ab(アーベル群の圏)、Top(位相空間の圏)をあげ、「つまり,構造ごとに対象(構造の荷ない手)と,その間の構造を保存する写像をコミにして考えたものである。」と説明したあと、関手に触れています。

 で、このあとの話が私にはなかなか飲み込めないのですが、いわんとしていることは、ウィキペディアの圏論の概要の中盤で書いてあること(↓)とほぼ同じなのだろうと推測しています。
圏の定義においては対象は根源的なものとみなされ、それぞれの対象が具体的にどんな集合として実現されるのかは指定されていない。そこで、これらの特別な空間についての概念を、その「要素」を参照せずに定めることはできるだろうか、という問いが生まれる。
 一方、倉田令二朗は「直積」を例にあげて、集合論的に表現するとどうなるか、圏論的に表現するとどうなるかという違いを示したうえで、
すなわち,圏論は対象(構造の荷ない手)の内側にいっさい立ち入らない。何からできているかも,どうつながっているかも問わない。Aはほかの対象への射:AX,ほかの対象からの射:XAのあつまりによって特徴づけられるだけである。その意味で圏論はさらに陰伏的で,さらに機能的である。対象は,いわばブラック・ボックスである。したがって,圏論は反原子論的である。
 
と書いています。そして、随伴(adjoint)について説明したのち、「問題提起」と見出しのつけられた11行の文章で解説をしめくくっているのです。ここの部分をすべて抜き出してみます。
多くの部門での圏論の成功は疑いないところである。現在でもすべてがカテゴリゼされたわけではないが,現代数学は集合論的なものと圏論的なものの混在としてあることは事実である。こうした情況をふまえて,現代数学教育を見直すことが一つの課題である。ちょうど遠山さんが前期現代数学をふまえて数学教育を見直したように。
ところで,これまで見てきたとおり,遠山さんの現代数学観はすぐれて実体論的,<分解―合成>的,かつexplicitであって,そのかぎりにおいて数学教育現代化によく適合したものの,一口にいって,きわめて反圏論的であることはいなめない。圏論的思考はたんなる専門家好みの一つのスタイルにすぎないものか,それとも,一つの新しい普遍的な理念なのか。だとすれば,それはわれわれの日常的活動の何を顕在化したものなのか?
 こうなるとまた森毅の声がびんびん聞こえてきます。explicitというのは、はっきりした、明示的な、という意味があるようですが、確かに森毅がいうように、遠山啓の論調は「単純明解であるだけに,少し厄介なことになる.」のかもしれません。なお、銀林浩『量の世界−構造主義的分析』(むぎ書房/1975)によると、遠山啓の思想は反圏論的ではないようです。>「構造と素子」と、圏論

 圏論は「射」が主役であるらしいということは、以前勉強したときになんとなく感じましたが、集合の圏で考えると、対象は集合で、射は写像なのだから、写像が主人公ということになるのですね。そして、写像ではなく対象が「ブラック・ボックス」になるというのが面白いです。対象の内側にいっさい立ち入らないということは、集合の内側にいっさい立ち入らないということですよね。

 また、森毅が語る、遠山啓の思想の構図で書いたように、遠山啓の思想は実体中心の外延的還元主義であるように見えて、(森毅に言わせると)感性としては機能中心の内包的全体主義でもあり、二分法で考えると3つの要素が見事に反転するのが面白いです。遠山啓は、集合が「閉じている」こと、静的であるところに、(当時の)現代数学の限界・・・が言いすぎであれば「時代の刻印をおされていること」を見てとり、構造と素子は固定的なものではないというところに、数学の(ひとつの)自由を見ていたように思います。というところまでは察しがつくのですが、その先に行くのはなかなか難しいです。
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無矛盾ならばなんでもよいのか

 遠山啓著作集<数学論シリーズ4>『現代数学への道』を、倉田令二朗の解説をガイドにしながら部分的に読んでいます。きょうは、遠山啓の本文「公理と構造」について解説してあるところをみていきます。まずは遠山啓の本文を読みます。

 ヒルベルトの公理は、ユークリッドの場合のように、だれも疑うことのできない自明な命題という意味ではなく、いちど分解された要素を組み立てる一つの設計図といえるものでした。したがって、内部矛盾をふくんでいないという最低限の条件を満足させていさえすればよい、ということになります。そういう意味では自由奔放に公理を設定することができます。ヒルベルトは公理をそのように見直すことによって、数学者の構想力を思いきって解放した、と遠山啓は説明しています。

 しかし、この「自由」を濫用すると、一人ひとりの数学者が勝手に別々の公理系を考え出して、一人一人がぜんぜん別の数学を研究する、という可能性もないわけではないということになります。実際にヒルベルトの公理主義が現れたころに、そのような危険について警告する人もいたそうです。

 けれども、その後の数学の発展は大勢からみると、そのような危険に落ち込まないですんだ、それはなぜなのか?

 についてみていくまえに、少しもどって、遠山啓が示している建築の例を考えます。

 たとえば、建築家がある建物を設計するときに、自分の構想力を大胆に駆使して思い切って新しい建物を設計しようする点については完全な自由が与えられています。一方で、力学の法則にしたがって設計をしなければならないという制限もうけています。極端なことをいえば、いくら自由であっても、中空にうかんでいて、柱のない建物を設計するわけにはいきません。この建築家のとっての力学の法則にあたるのが数学者にとっては論理の法則だ、というわけです。

 とはいえ、力学の法則にしたがったうえで自由に建物を作ったとしても、よい建築とわるい建築の区別はあり、美しい建築とみにくい建築を見分けることもできます。それらを区別するものは力学の法則ではありません。なぜならば、どちらも力学の法則にしたがっているのだから。それらの区別は建築物の使用目的や美学的なものさしによって定まってくるはずのものだろう、と遠山啓は語ります。
 
 そして、数学者の設定する公理系についても同じことがいえるだろう、と続けます。建築の例では「使用目的や美学的なものさし」という言葉を使っていますが、数学に関しては、それに加えて、「数学者はわれわれをとりまいている自然や社会に内在している法則に似せて公理系を設定した」とも書いています。だから、上記のような「一人一人の数学」になる危険に落ち込まないですんだ、数学者は与えられた自由を濫用しなかった、と。そして、ノイマンのエッセー『数学者』からけっこうな行数の文章を引用しています。

 ノイマンは、「数学者やその他の多くの人間は,数学が経験的な科学ではないこと,また少なくとも経験的な科学の技巧からはいくつかの決定的な点で異なったやり方で研究されていることに同意するであろう。それでもやはり数学の発展は自然科学と密接につながっている。現代数学の最良のインスピレーションのあるもの(私は最良のものと信じている)は自然科学に起源をもっている。」というようなことを語っているのです。

 遠山啓は、ノイマンがいうところの数学の二重性を、次のようにまとめています。

(1) 論理的に矛盾がないかぎり、いかなる公理系を設定してもよいという自由。
(2) 公理系はわれわれの住んでいる世界のなかにあるなんらかの法則に起源をもっている。

 そして、こう語ります。

人間がいくら自由奔放に空想をたくましくしても,しょせんは自然の一部分なのだから,自然の大法則から大きく逸脱することはできない,といってタカをくくる人もいるだろう。この二重性に統一を与えようとして,いろいろのうまいコトバを発明することはできるだろう。しかし,そういうことはたいして意味のあることではない。
ここで必要なのは,数学が容易には融合しにくい二重性に貫かれているということであり,むしろ,この二重性の均衡の上に立っているということである。しかも,その均衡は静的なものというよりは動的な均衡である。一方が優越すれば,他方がそれを追い越そうとつとめる。そういう形の動的な均衡であるといえる。
 私は、ノイマンが上記のようなことを語っているとはこれまで知らなくて、なんだかほっとするものを感じました。また、遠山啓の話をきいていると、「数学って動くものなんだ」と感じて、これまたほっとするものを感じます。

 と同時に、遠山啓の「経験主義批判」を思い出すのでした。「経験」とは何か。「構成」とは何か。数学するのはだれなのか。

 さて、倉田令二朗の解説に目を移すと、この一節の最後に書いてあることが印象的だったので、引用しておきます。
ノイマン自身は,最良の数学的インスピレーションは自然科学的起源をもっていることを強調しているが,遠山さんも公理系は客観的法則性を表現したものにもっとも価値をおいているようである。そして,ブルバキの「数学の建築術」を紹介しつつ数学的概念の物質的起源にさえふれている。
ここで断わっておくが,遠山さんは一度も公式主義的唯物論者であったことはない。彼が私自身に語ったことがあるが,戦前型公式マルクス主義者の一部に,応用数学=唯物論,純粋数学=観念論という図式をなんとなく持ち出す傾向があることを強く批判していたことがある。
 あともう1つ今回印象に残ったのは、遠山啓の本文の中で引用されている、ヒルベルトがフレーゲにあてた手紙のことです。ヒルベルトの公理がどのようなものであったかということを示すための引用で、さらっと書いてあるだけなので、遠山啓が引用したそのこと自体はあまり気にならないのですが、この手紙は何年に送られたものなのか、ヒルベルトはどのような思いで“フレーゲに”この手紙を書いたのか、フレーゲはどのような思いでヒルベルトからの手紙を受けとったのか、ということが気になりました。

 で、検索をかけたら、次の論文を発見。栞がわりにリンクさせていただきます。
http://repository.lib.tottori-u.ac.jp/Repository/metadata/1143


(つづく)
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現代数学は、本来は素人にわかりやすいはずのもの

 遠山啓著作集<数学論シリーズ4>『現代数学への道』を、倉田令二朗の解説をガイドにしながら部分的に読んでいます。

 前回のエントリでは、近代数学から現代数学への流れふまえて、現代数学の構成的性格をみていきました。私はこれまで「分析−総合」を近代数学の方法として捉えていたのですが、遠山啓が語る現代数学の構成的性格のことを意識するようになると、「分析−総合」は、「分析−再構成」として、むしろ現代数学の方法のように思えてきます。

 つまり、近代数学における「総合」は、もとにもどすという意味での還元主義だったけれども、現代数学の場合は、もとにもどすのではなく、人間が“自己の欲する形”に再構成するという意味での「総合」。それを最初から「構成」と考えるのか、そのまえにはやはり「分析」があると考えるのか、特にヒルベルトの場合、はじめから「何か?」を問題にしない2次的な構成であったので、そこに「分析」はあるのかという疑問はぬぐえませんが、倉田令二朗の「無定義というのは陰伏的な定義であり、表象なしに一歩も進むことはできないのが実情」という解説には、頷けるものを感じます。

 そして、倉田令二朗の解説を読みながら、もう1つ発見したことがあります。発見というか、思い出したというか。そもそも、現代数学は、近代数学よりわかりやすい(はずだ)、ということを。

 現代数学は、19世紀までの数学によく通じている人たちにとっては違和感が強いものだったけれど、別の面からみると、数学の専門家でない素人にとっては、現代数学のほうがわかりようということも、かえってあるように思われる、と遠山啓は語っているようなのです。集合という概念も、微分積分のような予備知識を少しも必要としない考え方であり、それは子どもでもわかる、ごくありふれた考えにすぎない、と。
現代数学のもっている大きな特徴は,数学という学問のもっている行動半径を,これまでとは比較にならないくらい拡大したことであろう。これまでは,数学の分野にはとても入れてもらえないようなものまで数学の仲間に入ってきた。そのわけは,一言でいうと,人間の構想力を思いきって自由にしてしまったからだといえる。

  (p12)

 現代数学の考えかたは、あまりにも専門化してしまった数学を、もういちど常識に引きもどすというような一面をもっている。そして、その“常識にもどる”ことは、“構想力の解放”につながる。なぜかというと、<集合−構造>のモデルとしての<分析−再構成>は、日常生活のあらゆる部分において見出されるから。合成化学、料理、建築、音楽、絵画、・・・・・・

 このたび久しぶりに思い出したのですが、私もかつて、戦後の教育運動の社会的、思想的背景・3 というエントリのなかで、

 レヴィ=ストロースの何がえらかったって、ものすごーく久しぶりに数学の言語が人文系の学問にも十分適用可能だということを示したことであり、

と書いたことがありました。でも、このエントリでは、「デカルトやライプニッツの頃までは、哲学と自然科学は一体でした」とも書いており、「ものすごーく久しぶり」のその期間はいつなのか?ということと、何と何が分かれたのか、について、もう一度考え直さないといけないなぁとこのたび思いました。また、数学のロマンティックで書いた山口昌哉の言葉も思い出しています。このあたりはいずれまた。

 さて、遠山啓は、何を語るときにも、わかりやすい身近な例で語ってくれますが、<分析−再構成>についての例は、比喩というよりはまさに例なのであり、生活の中に<集合−構造>のモデルはたくさんあるのでしょう。

 というような話をきいていると、現代数学を初等数学教育に取り入れることって、それほど難しくないのではないか、むしろ、そちらのほうが好ましいのではないか、とさえ思えてきます。しかし、遠山啓は、初等数学教育を現代数学“から”始めることには強く反対して、微分積分を高校までの目標とする数学教育体系を作った(作ろうとした)わけです。

 このあたりをどう考えたものか・・・と途方に暮れそうになると、森毅の声が聞こえてくるのでした。

(つづく)

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ヒルベルトは最初から2次的な構成だったことと、無定義の意味

 遠山啓著作集<数学論シリーズ4>『現代数学への道』を、倉田令二朗の解説をガイドにしながら部分的に読んでいます。

 現代数学の構成的性格を考えるために、近代数学にさかのぼります。

 近代数学の起こりを語るとき、まず出てくるのはガリレオであり、動力学の基礎をきずいたガリレオにとって中世数学はもう役に立たなくなったと、遠山啓は語り始めます。変化と運動を正面からとりあつかうことのできる新しい数学が必要となったが、ガリレオの時代にはそのような道具はまだみつかっておらず、それを創り出したのは、デカルト、ニュートン、ライプニッツ---変数としての文字、変数と変数との間の相互関係を座標という手段によって幾何学的なグラフとして表現すること、そして微分積分学---であった、というわけです。

 そして近代数学のキーワードとして微分方程式が出てきます。遠山啓の量の理論を考えるとき、微分方程式についての考察は必須だということまでは認識しているのですが、なかなか取り組めずにいます。とにもかくにも、この微分方程式というものは「決定論的世界観」を数学的に表現するものであり、当時の最大の関心事は自然現象の忠実な模写と記述だった、ということは頭に入れておきます。

 というような近代数学の立場をこえて、自然そのものを人力によって解体し、それを自己の欲する姿に再構成するという意欲が表面に出てくるようになると、微分積分や微分方程式はもはや万能ではなくなり、現代数学が生まれることになります。ベルはその始点をガウスの整数論においているとして、ガウスの整数論が現代数学の重要な方法を萌芽的にふくんでいるという点からすればそれは正しい、と遠山啓は語っています。

 遠山啓は近代数学のところで

微分方程式は,人間の外にあって人間の意志の入りこむ余地のない遊星法則の説明にはまことに打ってつけの道具であった。

と書いていますが、ここでいう自然現象とは、“人間の外にあって人間の意志の入りこむ余地のないもの”ということになるのでしょう。自然は人間の外にあり、人間は自然の外にあると考えているところが印象的です。なお、先走ったことを書いてしまうと、遠山啓が現代数学の限界を語るときに出してくる“開かれた動的な現象”の例は、「生命」と「社会」でした()。これは、人間も含む、人間こそを含む“自然現象”なのではなかろうかと感じています。

 さて、現代数学が「構成的」であることの「構成」とは、「“再”構成」でみたように、遠山啓の説明によれば、現代数学は「構成的」であるが、それは何もないところから人工的に何かを生み出すということではなく、もともとあるものを解体したのちに、それらの要素を“人間の欲する姿に”再構成したものという意味での「構成的」ということになります。つまり、再構成される場合の1次的構造は、客観的な世界の直接的模写である、と。倉田令二朗は、遠山啓のあげた例のほかに、「カントル自身やデデキンとによる実数論も,その典型というべきだろう。」と書いています。

まず素朴な1次的構造としての実数連続体から出発し,これをいったんばらばらな元からなる集合に解体したうえで再構成される。<自然数→有理数→コーシー列>,または切断による実数の構成によるものだが,こうして得られた実数体は厳密な論理的性格をもった構造となって再生するのである。

 再び遠山啓の本文にもどると、現代数学の説明のあと、ヒルベルトが登場してきます。ヒルベルトの『幾何学の基礎』は、「机、イス、ビールのコップ」のたとえ話からもわかるように、はじめから第2次的な構造として幾何学を考えたものであり、“何か”が問題なのではなく、“それらがいかに関係するか”、その関係のしかたが問題となるものでした。なお、「もちろん,このような考え方はけっしてヒルベルトに始まったものではなく,すでに射影幾何学の双対の原理のなかに鮮やかに表れているといえる」という説明も加えられています。

 遠山啓はヒルベルトの『幾何学の基礎』について語ったあと、この一節を次のようにまとめています。

直観的で感性的な幾何学でさえ,このような構造的な方法が成功したとすると,より抽象的な他の部門ではなおさら容易であろう。そのようにして,ヒルベルトの方法は代数学・位相数学・解析学など数学の全領域にひろがっていった。このようにして構造を中軸とする現代数学が誕生したのである。

 さて、今度は倉田令二朗の解説に目を移してみると、ブルバキについての注釈があります。この話はヒルベルトの“無定義概念”に言及するところから始まり、全数学を集合上の構造として再構成しようとしたのがブルバキであることの説明のあと、“無定義”というのは実際には“陰伏的(implicit)に定義される”ということであると語っています。

たとえば,代数構造A上の演算は,集合論における写像
     A×A → A
の一種であり,位相空間X上の開集合の全体はベキ集合P(X)のある部分集合で,それらはいくつかの公理によって規定される。写像や開集合の中身が問題なのではなく,公理によって規定されるかぎりにおける写像や部分集合の集合だけが問題になるのであるから,この規定は陰伏的(implicit)な規定ということができる。土台になる集合論自体は帰属関係∈を無定義述語とする公理論として与えられる。∈や関数やベキ集合に対するわれわれのイメージ,表象は必要とされないという意味は,論理的に効いて来ず,理論構築にとってさしあたりどうでもよいという意味であって,表象なしには一歩も進むことはできないのが実情である。


(つづく)
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