TETRA'S MATH

数学と数学教育

「比的率」は外延量という考え方(7)/比例の式のとらえ方

【「比的率」は外延量という考え方】

(1) 比的率とは何か
(2) 問題意識
(3) 「割合の三用法」の組み換え
(4) 国際単位系SIと「単位1」
(5) 「単位」の深みにはまる
(6) 割合のイメージ



(7) 比例の式のとらえ方

 現在、小学校で比例を学習するときは、「ともなって変わる2つの量○、△があり、○が2倍、3倍、・・・になると、それにともなって、△も2倍、3倍、・・・になるとき、△は○に比例するという」というような定義になっています。また、小6に入ってからxやyなどの文字を取り入れ、「=きまった数×」という比例の式が公式のようにして教科書にのっていると思います(いつぞやの調査のメモがおおざっぱすぎて、きちんと把握できず・・・涙)。>小学校算数教科書6社のプチ比較(小5における比例の導入) また、中学校ではy=axで定義して、2倍、3倍、・・・については比例の性質のような扱いになっているのではないかと思います。(ちなみに、それぞれの変数側ですでに「倍」が出てきていることについてはのちほど考えます)

 そんなこんなで、比例の式はかけ算の形に表されるわけですが、いま、比例定数と変数の区別がつかないようにするため、y=ax を、左右ひっくりかえして記号「×」を入れ、文字も変えて、A×B=Cで考えることにします。

 A×B=C は単純なかけ算の形をしているので、例はたくさんあります。「1人にA個ずつB人の子どもにみかんをくばったときのみかんの総数はC個」、「1mあたりの重さがAgの針金Bm分の重さはCg」、「AkgのB倍はCkg」、「たてAcm、横Bcmの長方形の面積はCcm^2」、「時速AkmでB時間進んだときの進んだ道のりはCkm」などなど。

 A個/人 × B人 = C個
 Ag/m × Bm = Cg
 Akg/1 × B倍 = Ckg  ←さっそく分母の1を採用
 Acm × Bcm = Ccm^2
 Akm/時 × B時間 =Ckm

(このなかで、単位の観点から見ると面積だけが特殊ですが、こちらについてものちほど考えることとします。)
 
 そして、かけ算の形をしているAとBのどちらかの値を変数とみなし、残りを定数として求めれば、一応は比例の式ができあがります。言い方をかえれば、AかBかのどちらか一方を定数として固定すれば、残りを変数としてCとの比例関係が成り立つと言えそうな気がしてきます。

 もし、小学校で、「1あたり量×いくつ分」の順序にこだわり、しかも「y=きまった数×x」を公式のようにしてこだわるとすると、比例定数としてみなせるのは「1あたり量」だけ、ということになるはずです。なお、比例の式が公式のように示される前から、2量の関係を式で表すということはしていると思います()。

 だから、そういう比例のみにしぼって話を進めているなら「あっぱれ」だと思っていたのですが、そうはなっていなかったので、予想外のことに「ちっ」と舌打ちしてしまったのでした(^^;>「ともなって変わる量」の学習に出てくるかけ算の式・2 (東京書籍)

 なお、学習指導要領においては、小6の内容のなかに「比例の関係について理解すること。また,式,表,グラフを用いてその特徴を調べること。」とあるので、もしかしてもしかしたら、小6で式が出てきたあとは、1あたり量が定数になる比例のみを出してきているかもしれません(未確認)。
【学習指導要領/小学校/算数】
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/san.htm

 で、もし、「y=きまった数×x」という式に対しても、公式のようにして強くこだわる先生がいたら、高学年で困ったことが起こるはずなのですが、いったいどう対応しているのだろう?というのがかねてからの疑問でした。そうしたらやはり、こういうことが起こっているようです。↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1273260777

 1辺の長さがxcmの正方形のまわりの長さをycmとしたときの比例関係で、「1あたり量×いくつ分」のかけ算の式で書けば「y=x×4」となりますが、これだと「きまった数」があとにくるので減点されたという話です。

 私の印象では、少なくとも小5までは、“比例関係における”「1あたり量」と「いくつ分」の区別はほとんどなされていない感触があります。区別を意識していないというよりも、それらを区別して比例を考えることをしていない、という感じです。これまでさんざん区別してきていますから、区別はあるのですが、それと比例との関係をほとんど考えていない、と言えばいいでしょうか。

 さらに、かけ算、関数、モノとハタラキ (1)の最後の図からわかるように、遠山啓なきあとの数教協の本でも、「倍」や「割合」を比例定数としている比例がバリバリに出てきていて、出てくるどころかあのセクションの構成からいうと、そこから話が始まっています。これまでは、「倍」や「割合」を「1あたり量のかけ算」とは別に考えていたので、整理がつかなかったのですが、「もとにする量×倍」も「1あたり量×いくつ分」も同じであると考えれば、結局、「倍」や「比的率」を定数とする比例は、先の正方形のまわりの長さと同様に、「いくつ分」を定数とした比例関係ということができると思えるようになりました(円周率のことなどについてはまたあとで考えます)。

 数教協の「量の理論」としては、本来であれば、そうなると話は比例の定義・導入に集約されていくの後半で示したように、「1あたり量をもとにした量的比例→単位あたり量から微分へ」と進むのが筋だと思うのです。しかし、須田先生も増島先生も井上先生も、(私の記憶では)大学または中学・高校の先生で、小学校の先生ではありません。高校までいけば、あれこれ説明がつけやすい理論ですが、小学校高学年では、割合と比も学習しなくてはならないので、何をどう解釈し、どうつなげてどう進めればいいのか、とても苦労する理論になってしまっていると感じています。もはや理論というよりは、「ブラックボックスや水槽を使えば数教協風」といったような、そんなニュアンスになっているといっても過言ではないかもしれません(「かけわり図」は私にはあまり馴染みがないので、よくわからず・・・)。

 しかも、先ほど「遠山啓なきあとの・・・」と書きましたが、遠山啓がいるうちから、比例の導入は混乱しています。おそらく遠山啓としては、比につなげることを意識して、比例を(動的なものをとらえる)関数の第一歩としてとらえさせるために“シェーマ”として水槽を提案したのでしょうが、これから先を意識するあまり、これまでの流れを意識しなかったのか、比例定数がもろに「比的率」になってしまっているのです。そのことについて、見ていきます。

(つづく)

「比的率」は外延量という考え方 | permalink

「比的率」は外延量という考え方(6)/「割合」のイメージ

【「比的率」は外延量という考え方】

(1) 比的率とは何か
(2) 問題意識
(3) 「割合の三用法」の組み換え
(4) 国際単位系SIと「単位1」
(5) 「単位」の深みにはまる



(6) 「割合」のイメージ

 これまで私は、「100gの20%は何gですか?」ときかれたとき、100gをひとまとまりのものとしてみなそうとするのは20%のほうだと思っていました。みなそうとするというか、100gをひとまとまりのものとしてみなすことを引き受けるのは20%のほうというか。20%=0.2=0.2/1 と考えれば、イメージとして、
 
  「100gの・・・」の段階では、ただそこにある100g

  「20%は?」となったときに、100g × 0.2/1(100gさんよろしく!)

という感じでしょうか。しかしこのたび、比的率は外延量かもしれないと考えてみて思うことは、20%が登場した瞬間に100gはシャキーン!とくくられてしまい、1あたりの量になることを強制させられてしまう、といったようなイメージになりました。20%は100gに対して、内包量となすことを課すというか。

  「100gの・・・」の段階では、ただそこにある100g

  「20%は?」となったときに、

    100g(え!?) と思うひまもなく、
    シャキーン![100g]と括られて
    [100g] × 0.2(ニヤリ)
    100g/1 × 0.2

という感じ・・・(^^;
 
 あとそれからもうひとつ、こんなことともつなげていました。郡司ぺギオ-幸夫『時間の正体 デジャブ・因果論・量子論』の第2章の「デジャブ・木/森の可換性」を読んでいたときに考えた、大和証券グループのCMと、ウイスキーのポスターのことです。大和証券グループのCMは、ある店で働いている青年が、店の主人から「給料の2割を貯金するように」と言われたときに「無理だ」と答えたのに、「給料の8割で暮らしてごらん」と言いかえてみると「やってみる」と答えたという話。また、ウイスキーのポスターのほうは、びんにウイスキーが半分残っているとき、主にとっては「もう半分」、客にとっては「まだ半分」になるという話です。

 どちらの例も、「8割、2割」と「半分(1/2)」という割合が使われていますが、この話は数値を割合にしないと成り立たないということを、あらためて思いました。たとえば「4万円貯金してごらん」や「まだ500mL」ではピンとこない。前者の場合は、給料が20万円だと固定されていてこれが「1」だという感覚が強かったら成り立つでしょうが、そうじゃないと別の話になってしまうと思う。その点では、後者のほうがより明確に図と地の対立を示せるように思います。つまり、図と地を生じさせるには、図と地があわせて「1」になってないといけない(と言ったとたん、何かがかすかに不安だけれど・・・)。そうしないと、図は図になれず、地は地になれない。さらに、「2割を貯金」と言われたときに「給料の2割」があらたにシャキーンとくくられ、そのほかが地に退く。ウイスキーの場合は、「もう半分」ではびんそのものが空の部分を含めてシャキーンとくくられるのだけれど、「まだ半分」では残ったほうの半分がシャキーンがくくられて、いったん「びんのなか」だった空の部分がほどかれ、地に退き、二重の対立が起こるのではないかと。

 このたび新たに行動経済学&社会心理学の研究フレーミング理論とは何か?というページを見つけたのですが、これを読んで思い出したのは、確率による出生前診断・5のことでした。私はトリプルマーカー検査という出生前診断を受けたときに、羊水検査を受ける目安を1/20と設定したのですが、この1/20は医療の世界ではかなり高い確率になるようなのです。パーセントでいえば5%ですが、たとえば「成功率5%の手術です」と言われると、5%が絶望的なほど低く感じられはしないか、という話です(上記ページの死亡率・生存率とは別の例になりますが)。

 などなど、あれこれイメージは派生してゆくわけなのですが、それはそうとして、そろそろ考えたいのは比例のことです。


(つづく)
「比的率」は外延量という考え方 | permalink

「比的率」は外延量という考え方(4)/国際単位系SIと「単位1」

【「比的率」は外延量という考え方】
(1) 比的率とは何か
(2) 問題意識
(3) 「割合の三用法」の組み換え



(4) 国際単位系SIと「単位1」

 tetragonさんは物理の先生ですから、日々がっつり「量」に取り組まれていることでしょうし、算数・数学よりはるかにシビアに単位と付き合う日々を送っておられると思います。で、「個をmと同じように考えていいのかなぁ...」「単位1ってどうかなぁ...」と思っていた私は、tetragonさんから、国際単位系SIで4〜5年前から「単位1」という扱いをするようになったという話をきいて、びっくり。なんだそれは!?

 で、教えていただいたサイトの該当ページ(p.16、31、46)をまじまじと読んだしだい・・・
www.nmij.jp/library/units/si/R8/SI8J.pdf

 というわけで、国際単位系SI(第8版/2006年)の文書の中から、いま考えたいことに関わりそうな部分を読んでいきます。まずは、超基本から(p.13)。

 

量(quanity)の値(value)は一般に数字(number)と単位(unit)の積として表される.

 ここですでに目から鱗・・・ 「積」なのね。「3m」は3にメートルがくっついているんじゃなくて、3×1mなのね、いや、こう書いてもいけない。3×mなのですね。つまり、m自体が単位。

単位とは単にその量の基準となる特別な例のことであり,数字は「単位」に対する「量の値」の比を表す.

 やはりそうなんだ。「m」という記号が単位なのではなく、「m」と定義されたメートル原器の長さ・・・じゃなかった「1秒の1/299 792 458の時間に光が真空中を進む距離」そのものが「単位」ということなのですね。って、ここに“秒”が入っているのはいいんだろうか?? と思いきや、ウィキペディア>国際単位系にこんな説明が・・・→「単位の定義に求められるのは何より実用性、すなわち現在の社会生活に必要かつ十分な精度を持ち、定義値が容易に実現できることである。このため、定義の独立性は意味を持たない」 実際にリアルな量を扱うんですものね・・・そんなにスパッスパッとはいかないですよね。

 つまり、「m」と定義された基準に対する量の比が、数字の部分である、と。だから、棒切れ1本をもってきて、これをbowと設定し、この棒の3つ分の長さをもつひもがあったら、その長さを3bowと呼ぶようなものなのかな、と私は思いました。

 でも、SIの文書でいくと、「量の値は数字と単位の積」であり、数字は「量の値の比」であるならば、“量”という言葉の循環論法になりますね(と、あいかわらずスパッの頭で考えてしまう私)。上の2文をまとめると、「量の値は、一般に、単位に対する量の値の比と単位の積として表される」となるよな。… 単位とは単にその量の基準となる特別な例・・・?

 一応、英語版も確認しておきます。

The unit is simply a particular example of the quantity concerned which is used as a reference, and the number is the ratio of the value of the quantity to the unit.

 たしかにexampleで、ratioのようです。ふぅむ。

また,基本単位(base units)と呼ばれる少数の単位によって単位系を定義し,その他全ての量の単位を組立単位(derived units)と呼ばれる基本単位のべき乗の積として定義すると便利である.

 基本単位についてはあとで確認します。

科学的観点からみれば,ある量を基本単位や組立単位に分類するということは単なる決め事であり,対象の物理学的本質とは関係ない.

 はい、頭に入れておきます。

 さて、次は基本単位(p.14)。

SI における基本量は,長さ,質量,時間,電流,熱力学温度,物質量及び光度である.基本量は便宜的に独立とみなす.それぞれの基本量に対応するSI 単位はCGPM によりメートル,キログラム,秒,アンペア,ケルビン,モル及びカンデラと選定された.

 便宜的に独立とみなすわけなのですね。
 
 そして、次元について(p.15)。

組立量の次元を与える方程式において,次元指数がすべてゼロとなるような組立量が存在する.特に同じ種類の量の比として定義される物理量がそうである.そのような量は無次元(dimensionless),もしくは次元1(dimensionone)の量と呼ばれる.

 ああ、これが遠山啓の言っていた「ディメンジョンがない」ということだろうか。kg/kgのような形。無次元だから次元はないけど、次元ゼロではなくて次元1なのか。そっか、次元指数がゼロってことなんだ。kg ÷ kg = kg^1 ÷ kg^1 = kg^(1−1)=kg^0=1 で、次元指数はゼロ、次元1ってこと? それぞれの基本量の次元に記号があてられているというのも驚きました。

 で、いよいよ今回の話に直接関わる部分(p.16)。

また,SI の七つの基本量では記述することができないいくつかの量があるが,それらは数えられる個数を表わす.例えば,分子の数,量子力学における縮退度(同じエネルギーをもつ状態の数),統計熱力学における分配関数(熱的に取り得る状態の数)である.このような数の量は無次元の量,または単位1を伴う次元1の量と見なされる.


 つまり、1個と数えられるものは、「単位1」を伴う次元1の量なのですかっ。これらは「SIの七つの基本量」では記述できないのだから、だとしたら、基本量の一覧表にメートルとかとならんで「1」と示される日がくるかもしれないってこと!?! だとしたら、けっこう衝撃的だ・・・

 ってことはですよ。「個」とか「袋」とか「皿」とか、そして「人」とか、小学校算数でおなじみのいわゆる助数詞をつけて表されるような「1」も、SI単位として立派に認められつつあるということなんでしょうか。そういうことではないんでしょうか。うーん、なんかよくわからんけど、もしそうだったらすごい気がする・・・ だって、どうやって定義するんかっちゅう問題があると思うのです。メートルといったらメートルだけど、1っていろんな顔がありますよね・・・

 さらにp.31には、次のように書いてあります。

無次元量の他のグループには,分子数,縮退度(エネルギー準位の重なりの個数を表す),統計熱力学における分配関数(熱的に実現可能な状態の数)など個数を表す数がある.基本単位で表される組立単位とは言えないが,これら個数の計数にかかわる量のすべては,次元の無い又は次元が1 の量として記述され,単位としてSI 単位1 をもつ.このような量についての単位1は,さらなる基本単位と考えるべきかもしれない.

 私は最初にここを読んだとき、「考えるべきかもしれない」という言い回しがちょっと意外でした。こういう文書って、「こうです、こうなのです、こうします」と書いてあると思ったから。でも、第7版から第8版に向けての変更点もいろいろあるようですし、これまでも変わってきていて、これからも変わっていくのでしょうね。

 tetragonさんは、もともと上記のような立場に立っておられたそうで、だから今回(2006年)の改変のわずかな変更に気がつくことができたのかもしれない、とおっしゃっていました。ということは、自然科学界で話題騒然という事態でもないのですね。でも、基本単位の表の8番目に「1」って加わったら、なんかすごくないですか!?

 SIで認められるかどうかが問題なのか?という疑問の持ち方もありましょうが、そういう取り決めが変化していく、その背景には興味があります。量ってやっぱり、社会的なもの(自然界を含めての社会的なもの)なんだなぁ、と()。

 がしかしそうなると、せっかく区別した「度的な率」の単位である「kg/kg」と、「比的な率」のもととなる「100g/1」の1が、同じもの、ということになってしまわないだろうか?と別の悩みが生じたしだい。でもこれは、区別した「濃度20%」と「100gの20%」とを、いまだに同じ土俵で考えているからだと気づきました。そうではなくて、「濃度20%」と、「100gの20%というときの100g/1」を同じ土俵で考えればいいのですね(でも、まだやっぱり何か釈然としないものがもやもやと・・・あとでまた考えよう)。そして、「100g/1」は立派に「度」ですね。gと1は異種の単位だから。ってことは、内包量は基本的に「度」なのか!?

 三用法の組み換えでも確認したとおり、結局、「比的率」は「1」を単位と認めれば、外延量と内包量を入れ替えることで、「度」に組み替えられるということになりそうです。つまり、倍の計算は、そのまま(1あたり量)×(いくつ分)である、と。


(つづく)

「比的率」は外延量という考え方 | permalink

「比的率」は外延量という考え方(3)/「割合の三用法」の組み換え

【「比的率」は外延量という考え方】

(1) 比的率とは何か
(2) 問題意識



(3) 「割合の三用法」の組み換え

 まず、最初に、(2)についての補足をば。
一方、tetragonさんの考えは、私が内包量と思っていたものを、外延量と解釈する考えです
と書きましたが、より正確には、「一方、tetragonさんの考えは、私が外延量と思っていたものを内包量と解釈し、内包量と思っていたものを外延量と解釈する考えです」となります。

 さて、以前、かけ算の式を、「外延量」「内包量」の視点で考えてみるで、「度の三用法」と「割合の三用法」を示しました。「度」というのは異種の2量の関係、つまりは「1あたり量」であり、現行の小学校の教科書でいえば「単位量あたりの大きさ」(と「速さ」)に対応します。一方、「割合」というのは同種の2量の関係であり、これはそのまま教科書の「割合」に対応します(数教協風にいえば、「率」ということになります)。

 小5の娘がまさにいま学習している最中。これについては、こどものちかくカテゴリー:小5算数「割合」すったもんだでレポート中v(^^)。なお、「割合の三用法」は、特に第一用法を中心に教科書でも扱われていると思いますが、「度の三用法」については教科書レベルでの扱いはないのではないかと思います。その前に平均の式は示されていると思いますが。

 もう一度、「度の三用法」と「割合の三用法」を示します。



 「度」のほうは、針金の長さと重さの関係を想定して書いてみました。「割合」のほうは、小豆と米の混合物のなかの小豆の含有率などを想定しています。上記の三用法を書いた段階では「率」を分けることを意識していなかったので、混合率ならば「度的な率」になりますが、(2)のアのように、4kgの米から1.2kgの米をくみ出したときの割合と考えれば、「比的な率」となります。

 「度」も「割合」も、1番目と3番目はわり算になっていて、外延量と内包量の区別で考えたときの形は同じですが、「等分除」と「包含除」が入れ替わっています。私は等分除・包含除について、こんなふうに考えています。等分除は、その名の通り等分するわり算、すなわち平均を求める計算であり、ならしたときの1あたりの量を求める計算である、と。たとえば24個のみかんを6人で同じ数ずつ分けたときの24個÷6人=4個/人 という計算です。これに対して包含除というのは、その量をいくつ包含しているかを求めるわり算であり、24個÷4個=6人 というような計算のこと、すなわちいくつ分かを求めるわり算である、と。

 「度」の第一は、4mの重さが9.2kgの針金を4等分して1m分の長さを求めるような計算なので等分除の発展形であり、「割合」の第一は、1.2kgのなかに4kgがいくつ入っているか(1こも入っていないので商は1より小さい数になるけれど)を求める計算であり、包含除の発展形と考えられると思っていました。

 しかし、小豆の含有率のような問題であれば、均等分布の考えやすい「度的な率」なので、「度」と同じようにして、内包量×外延量=外延量という式が書けます。つまり、含有率30%の混合物4kgに含まれる小豆の重さを、混合物1kgあたりに0.3kgの小豆が含まれていると考えて、混合物4kg分では、

  0.3kg/kg × 4kg = 1.2kg

と計算する方法です。このように考えると、1.2kg÷4kg=0.3kg/kg も、「度の三用法」の第一と同様に等分除に見えてきます。「割合の三用法」の第一では包含除の発展形に見えるのに。混合物を1kgずつ4つの袋に入れたと考えれば、小豆も4等分されて1袋に0.3kgずつ入っているので。また、1.2kg÷0.3kg/kg=4kg は包含除に見えてきます。したがって、「度的な率」の三用法は、「度の三用法」にあてはめることができます。

 これに対して、「比的な率」としての「割合」を考えると、こちらの場合は、

  4kg/袋 × 0.3袋分 = 1.2kg

と考えたほうが自然です。以前は、4kgというものをひとかたまりの“モノス”として考えることが難しいと解釈していたのですが、そのモノスを「袋」のようにして、普遍単位として認めてしまえば、内包量になり得るということにこのたび気づかされたのです。で、こちらも内包量×外延量=外延量となります。0.3が0.3倍や3割や30%という倍、割合で与えられていても外延量。したがって、

  1.2kg ÷ 4kg/袋 = 0.3袋分(30%)

となり、30%というのは「度の三用法」の第三と同様に、包含除で求められる外延量と考えることができます。考えてみれば、そもそも包含除を「いくつ分」を求める計算だと考えているのだから、「割合の三用法」の第一の形をみれば、0.3は「いくつ分」にあたるわけですよね。にも関わらず、0.3は無条件で内包量だと思っていた私。

 では、「4kgの30%は1.2kgです」という数量の関係を、2つの見方で三用法で表してみます。

〔従来の割合の三用法〕

  1.2kg ÷ 4kg = 0.3
  (外延量)÷(外延量)=(内包量) ←包含除の発展形

  4kg × 0.3 = 1.2kg
  (外延量)×(内包量)=(外延量)

  1.2kg ÷ 0.3 = 4kg
  (外延量)÷(内包量)=(外延量) ←等分除の発展形


〔比的率は外延量と考えたときの三用法〕
  
  1.2kg ÷ 0.3袋分 = 4kg/袋
  (外延量)÷(外延量)=(内包量) ←等分除の発展形

  4kg/袋 × 0.3袋分 = 1.2kg
  (内包量)×(外延量)=(外延量)

  1.2kg ÷ 4kg/袋 = 0.3袋分
  (外延量)÷(内包量)=(外延量) ←包含除の発展形

   
 こう組み替えると、後者は、外延量・内包量、等分除・包含除の観点からは、「度の三用法」と同じ構造になっていることがわかります。

 となると、かつて基数的目盛と序数的目盛について考え込む(2)でリンクした授業研究について、混乱しているのは教師側の「1あたり量」の概念、あるいはその提示の仕方なのではないかという気がするのですが・・・と書いたことを、私はおわびしなければならないでしょうか。混乱していたのは私のほうだ、と。で、もう一度読もうとしたら・・・もしかしてリンク切れ?・・・と思いきや、タイトルでさがしたら見つかりました。
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/13193/1/41_25-32.pdf

 こちらは比例がからんでいますので、後ほどまた検討したいと思います。

 さて、それはそうとして。上記のような考え方をするためには、実際には「袋」は与えられていないので、4kg/袋の「袋」、あるいは「100gの20%は何g? → 100g/1 × 0.2」の「1」を単位として認めなければなりません。また、度的な率のほうでは、食塩水の濃度につく単位「g/g」も「1」という単位として認めなければなりません。

 この「袋」あるいは「1」あるいは「kg/kg」を、どう考えればいいのか?


(つづく)
「比的率」は外延量という考え方 | permalink

「比的率」は外延量という考え方(2)/問題意識

【「比的率」は外延量という考え方】
(1) 比的率とは何か



(2)問題意識

 遠山啓および数教協の量の理論は、度的な率までは説明がつきやすいのですが、肝心の比例の導入で飛躍があり、そこから比的な率および比につなげる流れが整理されていません。そして未完成のまま、部分的に現在の小学校教育に取り込まれていると私は認識しています。

 ちなみに、量の体系が未完成に終わったことが、遠山啓なきあとに発行された『心に広がる楽しい授業 第11巻 比例の考え 正比例・1次関数』(1989年)に如実にあらわれています()。監修が銀林浩と森毅であるにも関わらず。

 tetragonさんは高校の物理の先生であり、遠山・銀林らの「量の体系」に基づく物理の指導法を研究されているそうですが、やはり「比例の概念」と「倍の概念」の整理がつけられずにしばらくモヤモヤしていたそうです。しかし、比的な率が外延量だと気づいたとき、いろいろなことが繋がり、自分なりに整合性が得られたと感じたのだそうです。

 私自身は、遠山啓および数教協が内包量にこだわったのは、すべての子どもが高校で微分積分を理解できるように、という思いがあったからだと理解しています。最初からそのつもりではなかったかもしれないけれど、最終的には(未完成なりにも)そこへ落ち着いたのだろう、と。

 その内包量とは、かけ算を学ぶ段階で「1あたり量」として登場するものであり、小6〜中学校では「比例定数」や「変化の割合」として表れ、高校で「平均変化率」を経由して「微分係数」として結晶します。なお、遠山啓がかけ算を(1あたり量)×(いくつ分)と定義して累加を排除したのは、かけ算を小数や分数に発展しやすいようにするためだったので、この時点では高校の微分積分にまでつなげることを考えていなかったのかもしれません。しかし、連続量への移行を重視していたことは確かであり、関数を、対応や写像ではなく、あくまでも2つの連続量の関係という近代数学的な関数として扱おうとしていたと思います。

 もっといえば、正比例は線形代数にも発展させられるので、微分積分のみならず、今後の数学の基礎となるのが正比例だという感覚があったということは、森ダイアグラムからもわかります。また、遠山啓はベクトルを矢線ではなく多次元量で教えるべきであるとも主張していました。多次元量というのは、本来、ある物質もしくは物体の属性としての量をひきだしてくる方法だとして、重さ、体積、密度などをあげていますが、このように1つの物体のなかの2つの量の関係から作られる内包量が「度」ということになります。

 それに対して、「率」は、2つの物質または物体を必要とします。たとえば食塩水は、水に食塩を溶かしたものであり、食塩水の濃度は食塩と食塩水の関係を表した数値です。実際、計算するときには、(食塩の重さ)÷(食塩水全体の重さ)となります。どちらも重さ(g)なので、量の種類としては同じものなのですが、物体が異なります(食塩と、食塩水は別のもの)。このように、同種の量の商がつくる内包量には、2つの物質もしくは物体が必要なので、概念構成が「度」よりも困難だ、遠山啓は考えたようです。

 ここでいきなり本題に入ります。

 私が、tetragonさんのお話に、「あ!」と目から鱗が落ちる気がしたのは、次の2つの問題の違いを考えたときでした。

 ア 「100gの20%は何gですか?」
 イ 「濃度が20%の食塩水100gに含まれる食塩の重さは何gですか?」

 このイの「20%」は内包量だけれども、アの「20%」は外延量だという考え方。

 アはイを簡略化した問題文だとも考えられますが、食塩水の濃度という設定がありません。ただ単に100gの20%が知りたいだけであり、それは水100gの20%かもしれないし、塩100gの20%かもしれない。たとえば、100等分の目盛りのついた計量カップが2つあって、その片方にいっぱい水が入っていて、そのうち20目盛り分だけもう片方に移したとき、20目盛り分の水の重さは何gになる?ときいているようなものだ、と捉えてみたのです。単位を添えて式を書くと、100g/1個×0.2個分となります。

 だからアは、「100gの3倍は何gですか?」という問いと、同じ構造をしていると考えられます。tetragonさんに、このブログの2つの立場から考える、記号「×」「÷」の用法でスプーンを使っているのは重要と指摘していただいて初めて気づいたのですが、私はあの段階ですでに、「倍」の問題を「1あたり量」の問題に読み替えているのです。いままで気づなかった(かつて自分がそう考えていたことをすっかり忘れていた)。つまり、既測量を「1」とおくことは困難か?/「倍」としてのかけ算で2つに分けているかけ算は行き来可能であるということを、自分で示してしまっているわけです。そうだとしたら、「倍ともいいます」という教科書の記述に矛盾はないということになります。

 つまり、「100gの20%は何gですか?」という問いは、「100gの0.2倍は何gですか?」という問いと同じであり、「2cmの3倍は何cmですか?」という問いは、「2cmの300%は何cmですか?」と同じである、と。

 そして、この100gを「100g/1個」と考えれば内包量となり、20%や0.2倍は、「0.2個分」ということで「いくつ分」としての外延量になる、というのがtetragonさんの発見です。かつて、「倍」のかけ算は「内包量×内包量」であるという考え方(シカゴブルースさん)という考え方をご紹介しましたが、こちらは私が外延量と思っていたものを内包量と解釈する考え方でした。一方、tetragonさんの考えは、私が内包量と思っていたものを、外延量と解釈する考えです。したがって、tetragonさんの考えでいけば、「倍」のかけ算は、よくある形のように「倍」の数値をあとに書いても、「1あたり量×いくつ分」と同様に「内包量×外延量」の形になります。

 なお、シカゴブルースさんの考えのときにも、分母の「1」に悩みましたが、今回の「100g/1個」の「1個」、あるいは「100g/1」の「1」についても検討しなくてはなりません。これは後ほど考えることにします。いずれにしろ、このような「割合」を扱うときには、(もとにする量)×(割合)に見える形で書いたとしても、内包量×外延量の形をしていると考える道があるということが、目から鱗でした。割合ときくと無条件で内包量の仲間だと思っていたので。

 一方、イは、「食塩の重さ÷食塩水全体の重さ」で得られた20%であり、濃度は均等分布を考えられる率なので、「度的な率」です。したがってこちらのほうは、遠山啓も推奨していた形の式で書けば、0.2×100=20(g)が妥当ということになります。割合である20%を先に書いていますが、こう書いても、内包量×外延量。・・・面白いねぇ!

 アもイも出てくる数値は100gと20%だけなのに、アを100×0.2、イを0.2×100という式に表したとき、どちらも(内包量)×(外延量)=(外延量)という形をしていることになっちゃうのです。もちろん、アとイの問題の構造の違いを子どもたちに把握させるというような話ではありません。アとイはそっくりで出てくる数値も同じなのに、20%の量の種類が違っていて、数値が逆にも関わらず、(内包量)×(外延量)という順序になっていると考えられることが面白いのです。

 となると、このたび瀬山士郎『算数の目・数学のすがた』(日本評論社/1993)がきっかけで考えたことで浮上した私の疑問点に解決の糸口が見出せそうな気分です。私はあのとき「率」のことがよくわからなくなったのですが、実は境い目は、「度、率」と「倍、比」の間にあるのではなく、「度」と「率、倍、比」の間にあるのでもなく、「率」そのもののなかにあったのだ、と。すなわち、「度的な率」と「比的な率、倍」の間にある、と。瀬山先生はあのとき濃度を例にとりましたが、濃度は「度的な率」であり、ほとんど「度」として扱っていいものです。だから、y=axのaになれる。そして、最初から、y=濃度×xと書いていい。(ただし、tetragonさんは、「度」が大変扱いやすいのにひきかえ、「度的率」は2つの物体の1種類の量なので扱いにくく、むしろ「比的率」のほうがまだとらえやすいと考えておられます。となると、構造としての境い目と、難易度としての境い目が異なるということにもなるかもしれません。)

 そして、私が「割合」と「倍」の関係がわからなくなったのは、「度」も「度的な率」も「比的な率」もさらに「倍」も含めて「割合」と呼ぶから、わからなくなったのではなかろうかという気がしてきました。同じ20%でも、「度的な率」になる割合(内包量)と、「比的な率、倍」になる割合(外延量)があるから。もちろん、そのどちらの「率」であるかが微妙な問題も存在すると思います。

 そんなふうに、tetragonさんが「比的な率」ではない率は外延量ではないかと思いいたったのは、「度の三用法」と「割合の三用法」の第一と第三が入れ替わっていることに気づいたことがきっかけになったそうなのです。

(つづく)

「比的率」は外延量という考え方 | permalink

「比的率」は外延量という考え方(1)/「比的率」とは何か

 数日前に、とある公立高校の物理の先生からメールをいただきました。ブログで紹介させていただくにあたりハンドルネームをおうかがいしたところ、tetragonさんとのこと! ふふっ tetraついてるけど私ではありませんよ〜(そういえばこのブログではtamamiなのだった。なお、-hedronではなく-gonさんです)。これから書くことに関連する議論をfacebookに掲載されているということですので、まずはそのURLをお伝えしますね! ↓
http://www.facebook.com/kazuaki.nemoto.3

 tetragonさんからのメールには、「比的率」は外延量であるという考えにいたった、という話が書かれてありました。最初は内容がよくつかめず意味がよくわからなかったのですが、何通かメールのやりとりをさせていただくうちに、目から鱗が落ちる感覚を味わい、私の疑問が開かれていくのを感じました。これまでは思いつくまま、思いついたところから感想をお伝えして、お返事をいただいていたのですが、これから先は、その思考のプロセスをブログにあげていくことにします。

 なお、はじめにお断りしておきますと、これから綴る内容は、そのまま「これが正解だ!」「学校現場ではこう教えるべきだ!」ということにつなげようとするものではありません。また、「かけ算の順序問題」にも抵触必至の内容になるかと思いますが、特にどちらの立場に立つものでもありません。まるで新しい概念をはじめて学ぶ子どものように、「こうなんじゃないかな?」「こうだとしたらどうだろう!?」と思考を楽しみたいと思っています。

 さて、まず「比的率」とは何かということを確認するために、遠山啓および数教協の「量の体系」を復習します。「量の体系」では、まず、量を「分離量」と「連続量」に分け、「連続量」を「外延量」と「内包量」に分けます。そしてさらに内包量を分けていくのですが、私が確認できているだけでこの内包量の分類は2通りあります。1つは、内包量を「度」と「率」に分け、これに「倍」と「比」を加えて、「度」「率」「倍」「比」の4つを「割合」として1つにくくりなおす系統図。もう1つは、「内包量」を「度」「率」「倍」「比」の4つに分け、それをまた「割合」として1つにくくる系統図です。これらはほぼ同じ時期に発行されている著作物に掲載されているので、どちらからどちらに明確に移った、ということではないのだろうと私は認識しています。後者の場合、結果的に、「内包量」=「割合」ということになりますが、前者の場合は、内包量とされるのは「度」と「率」だけということになります。

 「外延量」とは、“大きさ”もしくは“広がり”の量であり、合併が加法を意味する量です。これに対して「内包量」は“強さ”の量と言えます。また、「度」は異種類の量の除法によって得られるもの(密度など)、「率」は同種類の量の除法によって得られるもの(含有率など)です。遠山啓は、「度」のほうが「率」よりもとらえやすいので、「度」を先に、「率」をあとに学ぶのがよいと考えました。

 さらに、量の系統図には含まれませんが、「率」を「度的な率」と「比的な率」に分ける発想があります。「度的な率」というのは、均等分布が考えやすい「率」で、例の小豆の混合率などがあてはまります(>)。これに対して、均等分布が考えにくいもの、つまり、“よくかき混ぜる”ということのできない「率」(打率や三角比など)を、「比的な率」と呼びました。この三角比というのは遠山啓が出してきている例なのですが(『量とはなにか―機p.133)、ここで比を出してきちゃうと、あとで加わる倍と比ってなんだよ〜?と問いたくなってしまうことであります。まあ、それはおいといて・・・

 そして遠山啓は、「比的な率」は「度」の自然的発展としては考えにくいので、比例のあとにやったほうが無理がなくてよいだろう、と考えたのでした。

(つづく)

「比的率」は外延量という考え方 | permalink
  

<< | 2/2PAGES |
サイト内検索