TETRA'S MATH

数学と数学教育

『圏論の歩き方』についての読み方・書き方をかえることにした。

 『圏論の歩き方』の第3章を読みながら、続きのテキストを書いていたのですが、どうにも先に進みません。そしてイライラするのです〜〜と言っても著者の書き方がわるいわけではなく、読み方がわるい思うのです。

 完全に理解しようとは思っていないし理解できるとも思っていなかったけれど、表面の文字面を追っていてもつまらないので、できる限り食いついていくべく、わからない語句などについて検索をかけながらがんばっていました。第12章をのぞいて私がそれをするのにいちばん向いていると思われるのがこの第3章だったから。

 でも、ヤン-バクスター方程式を検索してもリボン圏を検索しても、そして理解しようとしても、どうにも身体に入ってこない。それどころか線形空間およびその双対空間、線形写像とタングルの圏との関係もさっぱりわからない。基本的な図式の意味も理解できない。

 話の流れはなんとなくわかるのです。これをこうおくことにすると、こうなるので、そうなるとこうなって、こうなりますという流れ。だけど、何ひとつ(というと大げさかな…「ほとんど」)リアルに感じられない。実体がつかめない。触っている感じがない。これは楽しくない。

 このままだと早々にこの本を読むことが苦痛になってしまう。そして読まなくなってしまうだろう。それでいいのか??

 どうしたものかと思って、その先をめくったり、「はじめに」や「第1章」にもどったりしていました。私はこれについてブログに書くことで、何がしたいのか?ということも問いなおしていました。

 そうしてとりあえず出た結論は、もう少し率直になろうということ。

 プロセスが綴りたいのだから、あまり1つのテキストに時間をかけすぎず(編集しすぎず)、そのときの思いをできるだけありのままに記録していこうと思うにいたりました。(という考えもまた変わるかもしれませんが)

 とりあえず、そんな感じでいます。
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『圏論の歩き方』第3章/タングルの圏の関手と不変量

 『圏論の歩き方』「第3章タングルの圏」を読んでいます。

 というわけで、タングルの圏の雰囲気はつかめてきました。このあとは関手と不変量の話です。関手の定義については、かつて別の本をもとにして書いたことがあるので、そちらをリンクします↓

関手とはなんだ?
http://math.artet.net/?eid=1335577

 また、谷村さんのテキストでは、関手について次のようなことが書かれてあります(p.123)。
 数学の使命はいろいろな概念の間にある論理的関係性を解明することであると言ってよいと思うが,その使命の当然の帰結として,圏論もまた,1つの圏だけが興味の対象にとどまることはなく,むしろ複数の圏の間の関係性が興味の対象になる.そのような圏と圏の関係・連動を語る用語が関手である.
 タングルの圏の場合、関手のおかげで不変量をつくることができたり、不変量で考えることができるあたりに利点があるのかな…と現段階では理解しています。

 とはいえ、最初にたった9行で示されている「関手と不変量」の説明は、なんのことやらさっぱり意味がわかりませんでした。なにがどうして「これで関手から不変量ができました」なのか。

 ありがたいのは、すかさず"今出川不純集会”’(←座談会風に書かれた第1章)の登場人物たちが突っ込んでくれているところ。

 少しわかってくると、上記の中のおひとりが指摘しているように、不変量を関手の言葉でいい換えただけではないか…と思えてきます。

 で、このあとテンソル関手なるものが出てきます。

 まずは、以下のような基本タングルの話から。

 

 これらのタングルを基本タングルといい(向きは任意)、任意のタングルは、これらの基本タングルを「横に並べる」操作と、「縦につなげる」操作の繰り返しにより得られることの確認。

 そして、「縦につなげる」操作は圏論の言葉でいえば「射の合成」であり、「横に並べる」操作は、タングルの圏のテンソル圏と呼ばれる構造における「射のテンソル積」に対応する…という話。

 テンソル関手というのは、テンソル圏どうしのテンソル圏の構造を保つ関手のことらしいのですが、とりあえずいったんはしょってまとめを読むと、複雑な絡み目の不変量を、簡単な基本タングルの不変量に分解して研究できるということらしいのです。実際に図が示されており、それ自体はとてもわかりやすいのですが、何だか気持ちがもやもや。

 シロート的にはもう一声具体的な話を聞かないと、しっくり落ち着きません。が、実際に具体的な話を聞かせてもらったら、さらになんのことやらさっぱりわからないかもしれません。というか、その可能性大。

 話をもどすと、タングルの圏以外のテンソル圏で重要なものとして、Vect c なるものが出てきます。(C上の有限次元)線形空間の圏らしく(Cは白抜き文字)、タングルの圏からこの圏への関手を考えるのです。

 その説明の最初で、「 F(I)=I (すなわちF(Φ)=C) 」という記述があり、ここでつまずきまくってしまったワタクシ。

 まず、Iってなんだったっけ?とその少し前の部分を確認してみると、テンソル圏の説明の中で出てきている対象の記号でした。

 なお、テンソル積は、○と×を重ねたような記号⊗(←よそからコピーしてきたコレ出ているでしょうか!?)で表記されます。

 で、欄外注にて、⊗とI  は結合律と単位律を満たす必要があるといったことが書かれてあるのですが、ってことは I は単位元っぽいものなんでしょうか。

 いろいろなもやもやをはらすためには、テンソル圏についてもう少し慣れなければどうしようもないと思うにいたり、検索してみたのですが、なんだかよくわかりませんのです。『圏論の歩き方』に示されている参考文献に(も)詳しい話が載っているらしいのですが、それを手にするほどの勢いはいまはなく。

 ウィキペディア>モノイド圏を読むと、モノイド圏とテンソル圏は同じものを指しているのかな?と思えてきます。ちなみに左および右単位元となる対象Iという記述があり、ああ、それならがしっくりくるなぁ…と思ってみたりしています。

(つづく)

※ 読み落としや勘違いに気づいたときには、そのつど訂正させていただきます。
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『圏論の歩き方』第3章/図形的で楽しいタングルの圏

 あいだがあいてしまいました。『圏論の歩き方』「第3章 タングルの圏」に進みます。図形的で楽しいです。

 まずは絡み目について。絡み目とは「いくつかの(向きづけられた)円周S^1を3次元ユークリッド空間R^3にうめこんだ像」のことなんだそうです(←右肩につく小さな数字を「^」で表しています)。1つのS^1からなる絡み目は結び目と呼ばれることもあるとのこと。

 図を見ていると模型がつくりたくなってしまいます。

 というわけで、自宅にあったモールで作ってみました↓

 

 かわいいけど、へたくそ〜〜(^_^;

 右端の絡み目は面白くて、緑・ピンク・水色のどの2つも絡んでいないのに、ばらばらにならないのです(緑はピンクの上にあり、ピンクは水色の上にあり、水色は緑の上にある)。この絡み目をボロミアン絡み目というのだそう。

 ちなみに、どの nー1 成分も絡んでいない n成分の絡み目を、ブルミアン絡み目というそうで、ボロミアン絡み目は3成分のブルニアン絡み目ということになります。

 って、先にオプショナル・ツアーの話題に触れてしまいましたが、タングルの圏に入る前に、まずはイソトピック(isotopic)と不変量をおさえておかなければならないのです。

 「ひもが自己交差しないように連続的に変形して移りあう絡み目」を「互いにイソトピックである」といい、不変量というのは、絡み目全体からなる集合からある集合への写像
    f:{絡み目}→I
で、互いにイソトピックな絡み目LL´に対してfL)=fL´)となるようなもののことだそうです。

 一応、上記画像の赤い絡み目とイソトピックな絡み目の模型を作ることは作ったのですが、へたくそすぎて撮影・掲載に耐えない(そして先は長い)ので、割愛して先に進みたいと思います。

 不変量の例としては、まず、連結成分の数(S^1の数)が示されています。たとえば、上記画像の右端と左端をあわせた絡み目は成分の数が4で、右端だけなら3なので、不変量の値が違うため、これらの絡み目はイソトピックではないと言える、と。

 つまり、不変量というのは、絡み目を連続的に変形しても「不変」な「量」というわけです。

 このほかジョーンズ多項式という不変量も出てくるのですが、「なにそれー!」と思うのと同時に、なんだかとっても便利そうですよ。たとえば、上記画像の黄色い絡み目の場合は1、中央の赤い絡み目の場合は tt^3−t^4 となり、一致しないことから、赤い絡み目はどう頑張ってもほどけない(黄色とイソトピックではない)ことが示せる、と。

 黄色と赤の絡み目は違うものだから、その違いを表す式はありそうだ、あっても不思議はないとは思うものの、実際にあるときくと、「よく見つけたな〜!」と思うことであります。ジョーンズさんはこのお仕事でフィールズ賞を受賞したとか。

 そしていよいよタングルです。タングルというのは、いくつかの円周^1といくつかの区間[0,1]を立方体[0,1]^3にうめこんだ像で、[0,1]の端点が立方体の上下の線分[0,1]×{1/2}×{0,1}上に移されるようなもののことだそうです。って文章で書くとなんのことやらですが、つまりはこういうものです(いまは上下の黒い矢印は無視してくださいませ)↓

   

 もちろん本ではモノクロなのですがせっかくなので色をつけてみました。タングルの圏においては、このタングルが射になります。対象は何かというと、上図の黒い矢印で表したような端点の向き。上図の場合、((↑,↓,↑),(↓,↑,↑)−タングルということになります。ちなみにイソトピックなタングルは同一視します。

 なお、絡み目の場合は端点がないので、0に/を重ねた空集合を示すような記号を使って(ここではファイΦで代用)、(Φ,Φ)−タングルと表すようです。

 2つのタングルの下の端点と上の端点が同じ↑と↓の列だったら、つなげることができるので(そして1つの立方体へ押し込むことができるので)、これが合成になります。恒等射は、↑と↓をまっすぐなひもでつなげた自明なタングル。逆に、1つのタングルは横に切断して、別のタングルたちの合成として表すこともできます。

 というわけで、タングルの圏ができました。雰囲気としてはアミダの圏に似ているでしょうか。檜山正幸さんもアミダの話を組みひも(ブレイド)の話につなげておられるし…↓
http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20060905/1157419884

 ほんでもって、このあたりまでなら楽しい楽しい〜♪ですむのですが、ここから関手の話に入っていくのですよぉー。

(つづく)

※ 読み間違いや勘違いに気づいたときには、そのつど訂正させていただきます。
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『圏論の歩き方』第2章のつづき/懐かしの unique up-to-isomorphism

 『圏論の歩き方』第2章を読んでいます。

 先日、直積についての自分の解釈・表現を書いたとき、最初は「ZよりX×Yのほうが上のはず」の前に「同じでないのならば」と注釈をつけていたのですが、いまその表現をすると話がややこしくなると思い、削除したのでした。

 というわけできょうは、直積の圏論的な特徴付けをみたす X×YX×Y があるとき、X×YX×Y がいえるのかどうかについて考えたいと思います(ちなみに本では文字の上にバーがついているのですが、ここでは下線で示します)。

 結論からいうと「=」とはいえないらしいのです。そこまでしぼりこめない、と。

 『圏論の歩き方』では、まず、ある意味は“同じ”でも「同じ集合とはいえない」状況を、単元集合を使って説明してあります。たとえば同じ単元集合であっても、{*}と{※}は別物だ、と(本とは違うマークを使っています)。この区別はいかにも要素至上主義で、圏論とは相性が悪そうですよね、ということも書いてあります。これに代わるのが同型という、より粗い見方だと。

 そして同型射(isomorphism)および同型(isomorphic)の説明に入っていくのですが、同型射っていわゆる iso(アイソ)のことですよね? 『圏論の歩き方』に iso という用語は出てきませんが。集合でいえば、全単射に対応するものだったような…

圏に出てくる「アイソ(iso)」について考える
http://math.artet.net/?eid=1310441

 X×YX×Y も圏論的な直積の特徴付けをもっているとき、後者から前者に向かう射 f があり、前者から後者に向かう射 g がある。ということは、X×Y から X×Yfg という射があるということになる。という流れで進んでいくシンプルな証明が本には書かれてあり、この証明は「圏論的議論のエッセンス」がつまっているらしいのですが、最後で恒等射が出てきて、またまた頭がこんがらがってしまいました。

 恒等射というのは、ある対象からその対象に向かう射で、合成したときに結果に影響を与えないようなもの(←私の表現)でしたよね。これに対して同型射というのは、射としては違う対象へ向かうものなんだけど、行って帰ってこれて、合成すると恒等射になるような相手がいるということですよね。

 でも、谷村さんのテキストには、「自己同形射」(ある対象からその対象への同形射)というものも出てきていて、恒等射と何が違うんだろう!?というふうに、わかっていたと思っていたものが急にわからなくなる感覚が生じるのでした(ちなみにこちらでは「同"形”」の表記が採用されているもよう)。

 そもそも私の圏論の学び始めは、しりとりの圏()、行列の圏アミダの圏だったのだから、1つの対象から同じ対象に向かう射がいっぱいあることは体験済みのはずなのです。なのにともするとすぐにそのことを忘れてしまうのです。

 たとえば行列の圏でいえば、2×2行列はみんな「2」から「2」へ向かう射でした。そのうち、他の射と合成してもその射に影響を与えないのが恒等射なのだから、2×2の単位行列があてはまると考えていいですよね? 同型射は合成したときに恒等射になる相手がいるということだから、逆行列をもつ行列でいいのかな? ということは、2×2行列に対象をしぼった行列の圏でいえば、逆行列をもつ行列はみんな自己同型射と、そんなふうに考えてもいいのでしょうか。

 じゃあ、行列の圏の直積は……あるの!?

 だめだー、限界だ。

 とりあえず話をもどすと、そんなこんなで、直積の特徴付けを満たすX×Yを等号で結べるほどの"1つ”にはしぼれないけれど、「同型を除いて一意(unique up-to-isomorphism)」ということになるようなのです。私にとっては懐かしい言葉です。

unique up to isomorphism ・・・って何?
http://math.artet.net/?eid=1363060

 あれから5年半。あらためて読んでみると、「あのころ自分はわかってなかったなぁ」とも思うし、「あのころの気持ちもわかるなぁ」とも思います。もしかすると当時は、「単一集合」という言葉のなかに、すでに同型の意味が含まれているようなイメージをもっていたのかもしれません。っていうか、いまでももっていますが。

 ちなみに、単元集合、単集合、単位集合、単一集合というのは、みんな要素が1つの集合のことを指していると理解しています。

 それはそうとして、unique up-to-isomorphism と「同型を“除いて”一意」とではニュアンスが違うと感じるのは私だけでしょうか!?
 
 なお、『圏論の歩き方』ではカノニカル(canonical)という言葉も出てきています。はじめて聞く言葉だったので検索してみたところ、「規準的な」「標準的な」という意味があるのかしらん?と思いきや、欄外注やウィキペディア>積(圏論)から察するに、「自然な」という意味があるみたい。「自然な」ってなんだー!?

 とにもかくにも、2つの直積をつなぐ同型射の取り方は「カノニカルに定まっている」ということらしいです。

(つづく)

※ 読み間違いや勘違いに気づいたときには、そのつど訂正させていただきます。
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『圏論の歩き方』で直積の英語ありました

 第2章の直積のところにちゃんと書いてありました(p.024)。productだそうです。
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またまたさっそく補足/直積の定義、圏論の図の形状のこと

 1つ前のエントリで、圏論では対象と射の3つ組で直積が定義されると書きましたが、『圏論の歩き方』の第1章では、対象X×Yそのものを直積と呼んでいるようです。はて? もっとも、そのどちらなのかでどのくらい困るかは、いまの私にはわかりません。

 また、「直積のところで恒等射の図と同じようなひし形の図が出てくる」という内容のことを書きましたが(修正済)、全体の形状がひし形になっていて似ているということでした。矢印の方向が違っているのでこれを「同じような」と表現するのは不適切だったかもしれません。(しかし、シロートには同じような図に見えます)

 ちなみに『圏論の歩き方』では「直積」の英語を見つけられていないものの(見つけたら追記します→追記:p.024に product とあるのを見落としていました)、谷村さんのテキストでは「直積(direct product)」となっており、清水義夫『圏論による論理学ー高階論理とトポス』では、「積(product)」として同じ定義が示されているように私には読めます。なお、清水さんの本の図は、AA×BBが一直線上に並んでいる二等辺三角形のような形状になっています。それはいいのですが、清水さんのテキストの図には破線が含まれていません(私の老眼のせいかもしれないと思って虫眼鏡で確認しましたが)。

 いろいろ小さな「?」がひらひらとんでいます。「?」が舞い降りて腑に落ちてくれたら、また報告します。
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『圏論の歩き方』いきなり第17章/可換図式の「筆順」

 『圏論の歩き方』第2章を読んでいるところですが、ここでいきなり「第17章 圏論のつまづき方」の一部を読んでみたいと思います。

 というのも、次は「直積」について見ていこうとしていたところ、やっぱり『圏論の歩き方』だけで理解するのはきびしいなぁ…と思い、また谷村さんのテキストをのぞいていたら、直積を説明するときの図の形の違いが気になってきたのです。

 で、『圏論の歩き方』にもどってぱらぱらとページをめくっていると、第17章のなかの ″可換図式の「筆順」″ が目にとまったしだい。ということは、いい感じで圏論につまづいているということでしょうか私!?

 そうそう、本で勉強していると何が困るって、1つの図や数式がどんなふうに書かれたのか、細かいところでその「筆順」がわからないことですよね。

 私の場合、圏論に出てくる飾り文字、花文字というのでしょうか、くりんくりんしたアルファベットのあの字体はなんなのかというところから検索を始めなくてはならない状態でいます。「C」はわかるんだけど(っていうか、たぶん「C」なんだろうと思える)、「O」っぽいやつが出てきたところがあって、それが「O」なのかなんなのか、どんなふうに書けばいいのか、本で読んでいてもわからない。また、そんなことをいちいち説明するわけにもいかないですよね。

 そういえばかつて恒等射について考えたときにも、図を分解して段階的にみていったことがありましたっけ。この理解でいいのかいまだよくわからないままですが。↓

恒等射(同一矢)とはなんであるかをもう一度考える
http://math.artet.net/?eid=1305876

 これに似ているひし形の図が、直積でも出てきます。矢印の方向や種類がちがいますが。

 どうやって描くのかというと、次の図の青、緑、赤の順になるらしいのです(本の図はカラーではなく、3段階に分けて示してあります)↓

     
        X×が直積であるとは
        かってなZfに対して
        こういう射が一意に存在する

  ※ 赤い射は〈fg
    破線の矢印は「存在してしかも一意」と読む。

 一方、谷村省吾『理工系のためのトポロジー・圏論・微分幾何〜双対性の視点から〜』では、ひし形ではなく、矢尻のような形の図が示してあるのです(Pが上図の×にあたる)。↓
   
     

 直積になるための条件が示されたあとこの図が出てきて、「つまり,AXAYというAから発する2本の矢は,APという1つの矢に束ねられ,いったんPを通ってから枝分かれする矢として表現できる」という説明が加えられています。こうなると少しイメージが違ってきますよね。

 なお、圏論の場合、直積というのは、対象X×Yと、そこから出ている2つの射をあわせた3つ組をさすようです。谷村さんのテキストの図でいえば、(P,p,q)がXYの直積ということのようです。(追記:『圏論の歩き方』の第1章では、対象そのものを直積と呼ぶ記述もあるようです。はて。)

 直積については、谷村さんのテキストのほうが十分な行数が割かれていて、なおかつ卑近化した例で説明してあるのでわかりやすいのですが、こちらでイメージをつかんだあと『圏論の歩き方』を読むと、なるほどと思えてきます。

 それらのイメージをふまえて、私は次のように考えてみました。以下、(*)から(*)まで、あくまでも我流の解釈・表現でございます。

(*) 集合XYの直積というのは、Xの要素とYの要素のペア(x,y)からなる集合のことだけれど、これを例のごとく要素を使わずに表現するにはどうしたらいいかと考えた場合、やっぱり対象間の関係性で語るとよさそう。

 で、直積にあたる集合にはXの要素とYの要素の両方が入っているけれど、XにはYの要素が入っていなくてYにはXの要素は入っていないので、この3つの間に矢印をつけるとしたら、XX×YYとするしかないだろう。これを、X×Yから情報を取り出すとイメージしてみる。

 対象間の関係で語るために、直積に立場の近い対象Zをもうひとつもってくる。立場が近いというのは、X×Yと同様に、XYの両方に矢印が出ている、XYの両方の情報をもっているということ。

 X×Yの場合、必要な情報をみんなそろえていて、しかも余計なものはないのだから、XYに関する情報の過不足のなさの度合いはZよりX×Yのほうが上のはず。だから、からX×Yに矢印を出すことができる。(一意に決まるということをどう表現したらいいのかについてはまだぼんやりしています)(*)

(なお、私は「情報を取り出す」という表現をしましたが、実際には「射影写像」という言葉を使う必要があるのだと思います)

 谷村さんは直積を説明するにあたり、卑近化した例として次のような集合を使っておられます。詳しい説明は省略しますが、これだけでもかなりイメージしやすくなるのではないでしょうか。

 X={赤,黄,緑}
 Y={甘い,辛い,酸っぱい,水っぽい}
 A={レモン,りんご,スイカ}

 f(レモン)=黄
 g(レモン)=酸っぱい
 h(レモン)=(黄,酸っぱい)

 一方、『圏論の歩き方』では、先ほどの図式のインフォーマルな読み方が2通り示してあり、そのうちの1つは谷村さんの「枝分かれ」のイメージに近いのですが、2つめでこんな読み方がしてあって面白いです。X×YXY両者に作用しているもののうち一番えらいものであり、ほかのZfgを通じてXYにちょっかいを出そうという際には、まずX×Yに〈fg〉を通してお伺いをたてなければならない、と。この「お伺いのたて方」〈fg〉を仲介射(mediating map)と呼ぶのだそうです。なるほどー。

(つづく)
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『圏論の歩き方』第2章から/要素を隠して、矢印で語る。

 では、さっそく、『圏論の歩き方』を読んでいきたいと思います。といっても、どこまで読めるんでしょうか、いまは見当もつきませんー。

 まずは第2章で定義の復習(ちなみに定義は第1章にも載っています)。"今の段階では「ふーん」でいいです” と書いてあるのですが、私は「ふーん」ではなく、「えっ」と思いました。

(category)とは,次のような4つ組C={OA,id}のことをいう.

({ }のなかの3番めの〇は、小文字のオーではなく、もう少し小さい丸です)

 かつてそれなりに勉強したので意味はわかりますが、もし勉強していなかった自分がこれを見たらどう思ったでしょうか。4つ組?……ってなにーーー!?という感じだったんじゃないかと思います。いや、勉強していた自分でもそう思います。フォーリーブスみたいなものかしら?と。(なつかしー)

 このあとは、4つ組のそれぞれがなんであるのか(対象、射、射の合成、恒等射)の説明と、結合律、単位律についての説明になっています。この約1ページ分の"定義”を理解するのに、かつてどれほど時間を費やしたことか。

圏の定義に出てくる「射」と「矢」 
圏の定義に出てくる「域」、「恒等射」
圏の定義に出てくる「合成」 
圏の定義に出てくる「恒等射(同一矢)」
圏の定義についての現段階での疑問点 
恒等射(同一矢)とはなんであるかをもう一度考える 

 以上の理解が正しいのかどうかいまだによくわかっていません。とりあえず私の圏論勉強のプロセスとしてリンクさせていただくものでございます。

 そのあと集合と関数の圏Setsに進み、ここであることを再確認しましたワタクシ。圏Setsにおいて大切なのは、集合の要素x∈Xが(少なくとも直接的には)現れていない、ということ。

 先日も書いたように、この本が到着する前に、谷村省吾『理工系のためのトポロジー・圏論・微分幾何〜双対性の視点から〜』(2006年/サイエンス社)を再び開いていたのですが、「第5章 圏論」の mono についての説明を読んでいるときに、ハっとしたことだったので。気づいてしまえば「いまごろー!?」な話ではありますが。以下、p.122より。
 圏論は集合よりも写像を優先させると言ったが,集合論における基本的な概念,例えば「写像が単射である」といったことを,集合の元に言及することなく表現することができるだろうか?
(ちなみに谷村さんは「モノ(monic)」と表記されていますが、私は「物」としての「モノ」という表記もよく使っていて紛らわしいので、今後は mono と書きます)

 以前、monoを勉強したときには、定義と具体例から考えようとして頭がこんがらがってしまいました。そうではなくて、単射を「要素、元」という言葉を使わずに表現するにはどうしたらいいのか?と考えていけば、以前よりも mono がつかめるのではないか…ということに、ようやく気づいたしだいです。もっとも、monoを定義した人(←だれ?)のもともとの発想はどうであったのか、私にはわかりませんが。

 単射とは、異なる要素に対して、その行き先が重ならないような関数ですよね。ということは、行き先が同じなのに、そのもとが異なっていた、ということはないわけですよね。

 つまり、関数 f が単射じゃなかったら、「違う道筋でそこにたどりついた」ということも起こり得るんだけど、単射だったらそんなことはない。たとえば、学校に行くときに、郵便局の前を通る道と図書館の前を通る道の2つがあると、「学校に着いた」という事実だけを見たとき、そのどちらの道を通ってきたのかはわからない。

 でも、学校に着く道が1本しかなくて、その道はかならず郵便局から続いているのだとしたら、学校に着いたという事実だけで、その人は郵便局の前を通ったことがわかる。

 ということは、ある人が学校に着いたのだとしたら、必ず郵便局の前を通ったということになる。郵便局の前を通りさえすれば、どこから郵便局までたどりついたかは関係ない。言い方を換えると、その人が郵便局の手前にある駅を出て学校に着いたとき、その人は必ず図書館の前を通ったのだとすれば、学校に着く道は郵便局から続いていることが確定する、と。

 なんだか比喩が限界になってきてしまいましたが、とにかく『圏論の歩き方』では、monoの定義のところに「左キャンセル可能」という言葉がかっこがきで添えられていて、なるほどこの言葉はわかりやすいと思いました。

 実際には、f、g、hの3つの関数でmonoは定義できるんだけれど(fg=fh ならば g=h)、g、hがそれぞれ合成関数であってもかまわないわけですよね?(本にはそんなことは書かれてありませんが)

 つまり、「駅から学校に着いたのだったら(fg=fhならば)、その人は駅から郵便局まで進んだ(g=h)」ということと、「郵便局の前を通らずして学校に行く道はない(f は単射)」ということは同じことを表している、と。なぜなら、学校に行くには必ず郵便局に前を通らないといけないとしたら、駅を出て学校に着いた人は、必ず駅から郵便局まで進んだわけなので。

 こんな理解でいいのでしょうか?

 なお、epi(「全射」に対応する概念)についても同じ発想で考えていたら、これまた「いまごろー!?」な感想が出てきました。「圏論って、もしかしたらかなり抽象的なもの?」と。だって、要素や元を使わずに語るには…というふうに頭の中で矢印をいじっていると、「なにがどう関わっているのか」の「なにが」ではなく「どう」に気持ちが向かっていくので。

 そうして思い出したのが、このエントリです。↓

倉田令二朗が、「遠山啓の現代数学観は反圏論的」という、その意味
http://math.artet.net/?eid=1421664

 倉田令二朗さんの気持ちが以前よりわかるのと同時に、でもやっぱり、「現代数学観」はともかく、遠山啓が考えていたことは反圏論的ではないのではないか…と、あらためて感じています。この文章ももう一度読みなおさなくちゃな。

(つづく)
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自分の圏論への興味はどこからきて、どう進み、どう停滞しているのか。

『圏論の歩き方』の第一印象と、衝撃の第二印象 >

 というわけで、『圏論の歩き方』を読む前に、自分の圏論への興味がどこからきていまどういうことになっているのか、一度ふりかえってみることにしました。

 このブログでは、圏論という名のつくカテゴリーを圏論圏論と初等数学の2つ作っているわけなのですが、最初に「圏論」という言葉を出したのはいつかというと、サイト内検索の結果、このエントリのようです。↓
 
『ブルバキとグロタンディーク』のレビューのレビュー・2
http://math.artet.net/?eid=588367

 なるほど確かにそのあたりでした。しかし、このときにはすでに圏論という言葉は知っていたようで、これがはじめてということでもなさそうです。そうなると、やはりきっかけはここだったでしょうか。↓

辻下徹「生命と複雑系」の組み立て
http://math.artet.net/?eid=1290635

 もしそうであれば、私の圏論への興味の第一歩は、複雑系から始まったということになります。郡司ペギオ-幸夫さんに興味を持ったのも、この本を経由してのことだと思われます。

 では、最初に買った圏論関連の本は何かといえば、確か『圏論による論理学―高階論理とトポス』(清水義夫著)でした。2009年11月頃のこと。一方で、『量の世界−構造主義的分析』(銀林浩著)に「圏」の文字があることも認識していました。

私が圏論を学ぶ手がかり
http://math.artet.net/?eid=1302402

 また、『集合の数学』(銀林浩著)も購入していました。ちなみに『層・圏・トポス―現代的集合像を求めて』(竹内外史著)は、図書館から借りて組み立てだけメモしているようです。↓

圏論の本の、圏の説明の組み立て
http://math.artet.net/?eid=1317594

 しかし本ではなかなか理解が進まず、圏に少しなじむことができたのは、次のwebページのおかげだったと記憶しています。
 
檜山正幸のキマイラ飼育記はじめての圏論 その第1歩:しりとりの圏
http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20060821/1156120185

 その後もう1冊、圏論が関わる本を購入。

谷村省吾『理工系のためのトポロジー・圏論・微分幾何〜双対性の視点から〜』のp.24〜25とp.200に感動する
http://math.artet.net/?eid=1421783

 やっぱり圏論は面白そうだと思ったことと思います。自分のことなのに「ことと思います」というのもヘンですが。

 さらに2013年3月頃、独立研究者の森田真生さんのことを知り、森田さんは圏論をひとつの専門にしているという話をどこかで読んで、やっぱり…という思いを強くしたのだったと記憶しています。

(今回、検索して見つけたページ↓)

尹雄大(ユン・ウンデ) 公式ウェブサイト :
プリセッション・ジャーナル 第1号 独立研究者 森田真生 Vol.3

 興味をもった経緯はだいたいこんなところです。では、自分は圏論のどういうところに惹かれたのだろうかとあらためて考えてみると、最初はとにかく「自分が考えたいことを考えるにあたり、圏論という概念は有効であるらしい」という期待感で近づこうとしたのだと思います。

 そうこうするうち、銀林先生が使っているだけあって、どうやらこの圏論というのは遠山啓の「量の理論」にもつながっていきそうだと思うようになったしだい。「モノとハタラキ」の関係、「ブラックボックス」のこと、「動的なものを扱う」話、そして「構造と素子」あたりで。

「構造と素子」と、圏論
http://math.artet.net/?eid=1336334

 とはいえ、いまださっぱり、圏論のココロのようなものをつかめておりません。せめて、銀林先生いうところの「屋上屋にまた屋を重ねるように,新しい圏をどんどん作り出す」ということを、なんとか感じ取りたいです。

(つづく)
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さっそく補足

 1つ前のエントリで、『圏論の歩き方』の第12章の参考文献のところに、銀林浩『量の世界-----構造主義的分析(教育文庫8)』があるという話を書きましたが、この章を書くにあたり参考にした本というわけではなく、執筆後に古本を取り寄せて読んだとのことです。
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