TETRA'S MATH

数学と数学教育
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直観主義ってなんだろう?

 山下正男『論理学史』は、次のような構成になっています。

第吃
 第1章 名辞論理学の発生
 第2章 近代における名辞論理学の完成
 第3章 命題論理学の成立
 第4章 限量論理学の成立

第局
 第1章 古代論理学の性格
 第2章 中世論理学の性格
 第3章 近世論理学の性格
 第4章 近代論理学の性格

 TETRA'S MATH においてこれまで話題に出してきたのは、第吃瑤梁茖云蓮第2章のほんの一部です。結局、私の興味は「ハッセ図」にあったのだと、しみじみ思うことであります。なお、第3章の命題論理学も(使う記号は違いますが)名辞論理学と同じハッセ図が示されたあと、話が進んでいきます。

 さて、今度は第3章の後半をちょっとのぞいてみたいと思います。命題論理学の成立を全部すっとばし、ハイティングの直観論理の話題に入ることになります。なぜここに興味をもったかというと、新しい---これまでのシンメトリーがくずれた---ハッセ図が出てくるからなのです。

 直観主義といえば、ブラウワーという人の名前が思い出されます(なお、山下正男『論理学史』にブラウワーは出てきません)。たぶんこの方が、直観主義の創始者というか、源流をつくった人なのだと思います。もともとは、ラッセルのパラドックスに対して「こういうパラドックスが生じるのは“無限”の扱い方に問題があるからだ」としたところから始まった主張であり、その流れをくんで直観主義論理の公理を初めて整えたのがハイティングということのようです。

[補足:2010年8月29日] 「無限の扱い方の問題から直観主義が始まった」わけではなさそうです。>数学はメンタルな「行為」だと主張した人:ブラウワー

 直観主義論理とは何かを知るために、久しぶりに野矢茂樹『論理学』を開くことにしました。

 直観主義は「存在するとは構成されること」という構成主義的見方に立っており、人間が構成していないものは何ひとつ存在しない、という態度をとります。たとえば無限についていえば、「無限の総体がすでに存在してる」というのは実在論的見方であり、直観主義者はこのような無限観を認めません。「無限とはすでに存在する総体ではなく、際限なき作業の軌跡として可能的に開かれているものにすぎない」と考えます。

 そして、実在論的見方と構成主義的見方のもっとも明確な争点となったのが「排中律」だったのだそうです。

 排中律とは、「A∨¬A」・・・「<A>が真であるか、または<Aではない>が真である」という意味であり、実在論者は、Aが真かどうかは知らなくても、「<A>が真であるか、または<Aではない>が真である」ことまでは確定していると考えます。しかし、直観主義者は<A>が真であることも、<Aではない>が真であることも証明できていないのに、そのどちらかであると確定していいわけがない、と考えます。

 面白いのは、野矢茂樹『論理学』では「排中律が使えないと不便でしょうねぇ」という会話がなされているのに対し、山下正男『論理学史』では、「排中律を要求しないので(古典論理より)自由になった」と書かれてあることです。野矢茂樹『論理学』でのぞき見る直観主義と、山下正男『論理学史』でのぞき見る直観主義は、ずいぶん趣きが違います。前者はそれなりにわかりやすいのですが、後者は「なんだか面白そうな話をしている」ということだけは感じられるものの、どうしてああいうハッセ図になるのか、いまひとつわかりません。ここをなんとか理解したい。

(つづく)

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