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分数と互除法

 遠山啓の『量とはなにか−機戮法◆嵎数が生まれてくるまで」という項目があります。分数の発生の歴史を述べるものではなく、連続量から分数や小数がどうやってでてくるかを論理的に示したものです。ちょっと面白いので、自分で図をかいて考えてみました。



 たとえば、ある長さの棒a(赤)を、ほかの単位の長さの棒b(青)ではかる手順を考えます。



 aはbの2つ分より長く、3つ分より短くて、黄色い枠が半端な部分として残りました。



 そこで今度は、bを黄色い枠ではかってみたら、ちょうど5つ分になりました。

 つまり、黄色い枠はbの5分の1です。

 したがって、a=(2+1/5)bとなります。

 これに対して小数の考え方は、bでちょうどはかれなかったので、bを10等分した長さ(水色の枠)をつくろうというものです。



 aの半端部分を水色の枠ではかると、2つ分になりました。


 
 よって a=2.2b となります。

 小数の場合、あくまでもbをモノサシとして考えていこう、という態度で通しています。

 さて、分数については、2段階で終わるもの(○+1/○の形になるもの)はわかりました。じゃあ、2段階で終わらないものはどうなるのか、ということについて考えます。



 a は b の2つ分で、c だけあまりました。



 b は c の2つ分で、d だけあまりました。



 今度は、c を d ではかると、ちょうど2つ分になりました。



 つまり、b は d の 2×2+1=5(つ分)だから、c=2/5b

 したがって、a=(2+2/5)b

 これでいいのかな?

 けっきょく互除法というのは、2つの棒のそれぞれの長さを“いくつ分”としてちょうどはかりきることのできる共通の「単位」をさがす作業であり、この「単位」というのはまさに(整数でいうところの)最大公約数なのだなぁ、と思いました。なるほど、G.C.M.(Greatest Common Measure)「最大共通尺度」の意味もよくわかります。

 そして、上記の例でいえば d が「単位」になり、a は d の 5×2+2=12(こ分)、b は d の5こ分で、12:5 → 12/5

 ということは、互除法で得られる分数は、比の分数、関係としての分数ということになりそうです。

 互除法から生まれる分数の場合、a を b ではかったかと思えば、今度は a の一部 c で b をはかり、そのあまり d でまた c をはかる……というように、a も b も立場は同じで、どちらが主導権をもっているというわけではなく、お互いに「はかる」「はかられる」の立場を変えながら、最終的には、a と b を共通にはかれる単位をさがしています。

 だから、a は b の 12/5 だし、b は a の 5/12 というふうに、ひっくりかえしてみても違和感がありません。

 と考えると、量分数(分割分数)は、小数に近いということなのかな?

 森毅著『数の現象学』によれば、中国分数は小数的であり、等分割によって得られた新しい「小単位」でモノサシの刻みをつくっていくという発想のもとにあるようです。このような分数のよさは加減との相性のよさにある、とも書かれています。

 さて、では日本はといえば、中国と同じく小数文化圏なのだから、分割分数が発展していてよさそうなものですが、江戸時代までは存在していなかったようです。でも、小数があるのだから、わざわざ分割分数を使う必要もなく、小数でつっきったのかもしれません。というわけで、日本は完全な小数文化圏ということになるのでしょう。

 『量とはなにか−機戮砲いての「分数が生まれるまで」は「連続量から分数が生まれることを論理的に示したもの」とされていますが、互除法ときくとやはり整数のことを思い出します。実際、棒の長さをおはじきの個数にかえても、分数の場合はそのまま素直に話が成り立ちます。

 これに比べて小数のほうは、おはじきの個数では同じ作業ができないというか考えにくいので、小数は連続量向きだなぁ、とも思えてきます。あるいは、分離量でも対応できる小数的分数が、中国分数と考えることもできそうです。

 がしかし、分数、小数の発生の仕組みをともに連続量で考えることで、分数と小数の起源の違い ――「はかる側」と「はかられる側」の関係 ―― がより明確になるなぁ、と思いました。この場合、棒の長さが「未測量」であることがミソなのでしょう。

 たとえば12個のおはじきと5個のおはじき(あるいは24個のおはじきと10個のおはじき)のように、最初から個数がわかっているものの関係・比を表すのではなく、長さが数値では表されていない「同種の2つの量の比較」から分数が生まれてくる様子を示しているところに意味があるのだと思いました。




〔2018年3月23日/2つに分けて書いていた記事をひとつにまとめて整理しました。〕

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