TETRA'S MATH

数学と数学教育
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「量」の理論と“構造”

 遠山啓著作集『量とはなにか−機戮法⊆,里茲Δ覆だりがあります。(p.14)
 
黒表紙の指導原理はけっして古くはない。かえって新しすぎる点に問題があるのである。それは微分積分をとびこしていきなり抽象代数学に結びつく要素をもっているからである。(中略)
ここで、問題は一つの分岐点にくる。一つの道は初等数学教育から量を追放し、微分積分をとびこして、これを20世紀の抽象数学に結びつける道である。もうひとつは量を中心において微分積分に発展し、それを高校までの最高目標とする道である。ところで、私は後者を選びたいのである。

 ここでいう抽象代数学というのは「代数的構造」を扱う数学のことだと私は解釈しました。実は、別の動機(剰余グラフのこと)で、やはり遠山啓の『代数的構造』[新版](日本評論者・1996)を手にしていたところでした。

 上記の記述は、本の中でもかなり前のほうに書いてあるのですが、素直に読むと、「初等数学教育で扱う数学は、構造を扱う数学ではなく、量を扱う数学のほうが適切である(と遠山啓は思っている)」ということになると思います。

 だけど、本の後半では“構造”の話にページがさかれており、量と構造は対立するものではない、というようなことが書かれてあります。上記引用部分の分岐点をふまえたうえでの量と構造の話・・・構造か量かで量を選んだがゆえに、逆に、構造と量は必ずしも対立するものはない、ということを強調する必要があった・・・なのだろうと想像しているのですが、なんとなく、どうしてわざわざ量と構造を結びつけて考えるのだろう?というような違和感が否めなかった私です。さらに、『量の世界・構造主義的分析』(銀林浩・1975)という本も見つけました。ここまでくると、もう先ほどの「強調する必要があった」からは抜け出して、しっかりと「量と構造」の話であろうと思うのです。

 小・中・高校の初等数学は、20世紀の抽象数学に直結するものではなく、量を中心にすえて微分積分を最終目標とするのが好ましいという理論を一生懸命主張する一方で、方法論としての(当時流行りの?)構造主義を積極的に取り入れているこの微妙な入れ子構造がなんだか面白いなぁとずっと気になっているのでした。矛盾しているというのではなくて、構造主義というのはそんなに力をもっているものだったんだ、ということを、皮肉にも(?)「量の理論」でいちばん実感したような気がする、というそういうお話です。

※ 「量の理論」については勉強を始めたばかりなので、もし関係者がこのような感想をきいたら「わかってない! 誤解している!」と思われることでしょう。私も今後考をすすめていくうちに「あのときの自分の考え方は違ったなぁ、なんにもわかっていなかったなぁ」と思うときがくるかもしれません。それはそれとして、いまの感想は感想として、記しておきたいと思います。
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