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『感じて、ゆるす仏教』(藤田一照・魚川祐司)と出会うタイミング

 8月半ばに『感じて、ゆるす仏教』(藤田一照・魚川祐司)のKindle版を購入し、比較的ゆっくりめに読んでいた。対談本だということもあり、基本は前から順番に。

 前半の雰囲気から「ああ、こんな感じの本なんだな」と自分で勝手にイメージをつくり、おだやかな気持ちで読み進めていた。「いいお話を聞かせてもらったな」というような感じで読み終わるんだろうな、なんてことも思っていたかもしれない。

 ところが。中盤をすぎたあたりから、少し様子が変わってくる。まず、藤田一照さんと独立研究者の森田真生さんのトークの話が出てきた。

 え! そんなことになっていたの!? 知らなかった。

 ドキッとはしたけれど、「そういうことってあるよね」と平静をよそおいつつ、不要に動揺しないようにしながら先へと読み進めていった。

 ちなみにシンクロニシティとは別に、こういうことも以前はよく起こっていた。あえて名付けるなら「なんでもつながっちゃう」感。こちらはシンクロとは違ってそれなりの因果性があるというか、ある意味で自分の興味のもとにつながっているのだろうし、その範囲が限られているということの証だとも言える。とにかく、自分の興味のもとで本や情報を選んでいるのだから、あたりまえの展開といえばあたりまえかもしれない。たとえジャンルが違っていても。

 とにかくその段階では、余計な興奮をしないよう努めた。一照さんは岡潔が大好きだという話が出たときも。

 が。

 森田さんの発言も岡潔の話も、思ったよりもウェイトが高いことがだんだんわかってきて、とうとう自分がごまかせなくなってきた。不覚。どうしてこれまで気づかなかったのだ。対談のことに、この本のことに、このつながりに。本の発行は2018年5月。本に出てくる対談は、ネットで調べたところ、時期的に2017年1月のものである可能性が高い。というか、その後もつながりの機会はあったようなのだ。

 対談に行きたかったのに行けなくて落ち込んだわけではない。長いことそれに気づかなかったことが不可解であり、何かの不調を表しているかのように感じたのだ(その後、記録や記憶をたどってみて、少なくとも対談のころは、外に気持ちを向ける余裕のない時期だったとわかり、ある程度納得した)。

 そんなこんなで、おだやかならぬ気持ちで後半を読むことになり、しかも話はそれで終わらなかった。後半で示されている図3にハッとしたから。確かにそうだ。気づいてしまえばあたりまえのこと。しかし、私はこれまで、その図をえがくことをしなかった。

 さらに終盤で、また別のことで考え込むことになる。『仏教思想のゼロポイント』を読んだときとは逆の方向で。180度ならいざしらず、107度くらいの微妙な角度で。

 前半のあのおだやかな読書の時間は別の本の話の話だったように、かすかにショックを帯びた重みのある初回の読後感となった。なお、「いい話」は確かに聞けたし「感じて、ゆるす」ことそれ自体がよい話だった。ただ、それだけでは終わらなかった、ということだ。

 その後は気持ちも落ち着いて、「この本と出会うタイミングは、いまだったんだろうな」と思っている。

*     *     *


 では、この下に、本からスキャンした図3を載せます。以上の話を聞いて興味をもたれた方は、先に本を読むことをおすすめします。

 図3はA、B、Cの3つで構成されています。




 『感じて、ゆるす仏教』
 (藤田一照・魚川祐司、2018年、KADOKAWA)
  Kindleの位置No.2943、第三章6節より




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