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『トポスの知』といっても圏論ではなく箱庭療法

 先日、シンクロニシティについての文章を書いているとき、「やはりユングが言うところのシンクロニシティをある程度知っておいたほうがいいな」と思えてきて、本を1冊購入した。

 訳本を買おうかどうしようか少し迷ったあと、Amazonのレビューなども参考にさせていただきつつ老松克博『共時性の深層』を選択。

 1回めにざっとページをめくってみたとき、なんだか少し怖い感じがした。「思っていたのと違う」というほど何かを思っていたわけではないのだけれど、「シンクロってこういうことなら、私は起こらなくていいかな」と思えるほどには重く感じた。

 ちなみに本のサブタイトルに「霊性」という言葉が入っていることは承知でこの本を購入したわけだが、そういう意味の怖さでもない(皆無ではないかもしれないが)。

 ここであげられているシンクロニシティの例は、わかりやすかったり典型的だったりするから出されているのかもしれず、「そんなことまで起こるの!?」と感じて、少し怖かったのかもしれない。

 なお、この本を手にする前から、ユングと物理学者のパウリに関係があったことは知っていた(本をさがす段階で)。パウリってどこかで聞いたなと思いきや、確か『決してマネしないでください。』に「パウリ効果」の話が出てきていた。

 「パウリ効果って面白いなぁ」くらいな感じで気楽にとらえていたけれど、老松さんの本に出てくるパウリのエピソードの“半端なさ”には圧倒されてしまった。

 あとは、アクティヴ・イマジネーションも、私にとってはちょっと刺激が強すぎた。アクティヴ・イマジネーションというのは、ユング派の分析技法のひとつで、夢分析とは違い、覚醒時に行われるイマジネーションをもとに行われるものらしい。出されている事例が、夢の話ではなくイマジネーションでそんなふうになるんだ……と、少し意外な内容だった。

 1回めの接触はそんな感じだったので、ユングのシンクロについて、あるいはユングについてここで一区切りにしたものかどうか考えあぐねてしばらくぼんやりネットで検索したりしているとき、『トポスの知 ―― 箱庭療法の世界』という本のことを思い出した。思い出したというより焦点があってきたというべきか。

 河合隼雄さんと中村雄二郎さんによる、箱庭療法についての対話の書。手元にあるのはTBSブリタニカ発行の新装版で初版は1993年、1997年の初版第3刷の記載がある。つまりはそのころに買ったのだろう(あるいは、一度手放して、また買ったか)。

 1997年頃という時期はいろいろと符合する。私が初めてパソコンを買ったのは確か1995年の終わりごろで、それから少したったころネット生活が始まったのだった。そして、複雑系に興味をもった時期でもあった。

 いまふり返ると、あの時期は人生の大きな節目だったように思う。

 『トポスの知』は複雑系の本ではないし、手にしたきっかけは確か別のことだったけれど、本の後半では科学談義もなされており、自分の複雑系への興味の流れと矛盾はしない。

 実はドゥルーズも出てきていた。すっかり忘れていたか、当時は認識していなかったか。ただ、ツリー型とリゾーム型の話があったのはごくうっすら覚えていた気もする。

 圏論の勉強の途中で「トポス」という言葉が出てくると、記憶の遠くのほうで、この本のことが時折かすかにリンクしていたように思う。圏論のトポスがなぜトポスと名付けられたのかはいまだに意味がわからないのけれど、箱庭療法のほうは何しろ箱庭療法なので、「場」としてのトポスという言葉はしっくりくる。

 老松さんの本に出てくるアクティヴ・イマジネーションも、箱庭療法の文脈で考えると理解しやすくなる。箱庭療法はユングが発案したものではないが、その発展の背景にはユング心理学があるので、逆に箱庭療法からとらえなおせるように感じた。ただし、アクティブ・イマジネーションと箱庭療法には大きな違いがあるな、とも思う。

 『トポスの知』の発行は1984年、つまり36年前。複雑系という言葉を耳にしてからも20年あまり。あれから世の中の「科学観」はどうなったのだろう。そして私はこの20年間、何を考えてきたのだろう。よく思い出せない。

 いわゆるライフステージの変化としては、この20年間のほうが圧倒的に変化があったのだが。逆にいえば、ライフステージ的変化に伴ううねりを乗りこなすのに精いっぱいだったのだろうか。

 何かヒントがあるかもしれないと思って青土社の『現代思想』のページを見にいったら、今年11月の臨時増刊号は鈴木大拙の総特集だと知った。

 『トポスの知』に、箱庭療法を発展させたカルフさんは鈴木大拙と親しかった話が出てきていて、それについてブログに書こうかどうしようか少し迷って、まあいいかな、と書かずにいたのだった。

 私にとっては、このくらいのごくささやかなシンクロがちょうどいいらしい。

 なお、現在、老松克博『共時性の深層』のページを再びめくっているところ。だいぶ落ち着いてきた。実は自分の思考にリンクすることがらがたくさん出てくるのだ。
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