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移りゆくことと多層性

 『〈現実〉とは何か』(西郷甲矢人・田口茂)を読んでいたときからだったと思うけれど、とあるイメージが、時折ぼんやりと頭に浮かぶことがあった。ひとつではなく、複数のイメージ。

 読み始めで明滅するものとは少し違っていて、あちらは「キラン、キラン」なのだけれど、こちらは「ぼうっ」と浮かんで消えて、折りに触れまた浮かぶような感じ。

 複数あるそれらのイメージを書き出すことで、何か見えてくるものがあるかもしれないので、書いてみることにする。いま思いつく順で。

 1つは、『なめらかな社会とその敵』(鈴木健)を読みながら考えた行列のイメージ。マルコフ過程に関することかもしれない。イメージとしては「伝播投資貨幣PICSY」のほうが近いのだけれど、自分のブログの記事でリンクするなら「伝播投票委任システム」に関するこれになるだろうか。→(1)(2)(3)

 何しろ鈴木さんがおっしゃるには、この本は仏教哲学のひとつの実装形態をねらいとしているといっても過言ではないらしいので、『〈現実〉とは何か』をきっかけとしてこのイメージがわくのも不思議な話ではないのかもしれない。

 『なめらかな社会とその敵』については、佐々木俊尚さんのネット上の書評を読んだ覚えがあり、それもあってか「レイヤー」という言葉とともに思い出される。ちなみに佐々木俊尚さんの『レイヤー化する世界』は読んでいない。

 もしかして……と思い、Amazonの購入履歴や生活ブログの非公開記事をたどったら、やはり同じく2013年に私は坂口恭平さんの本を何冊か手にしており、その少し前にphaさんの『ニートの歩き方』を買っている。

 多様化する生き方とか、多層化する社会とか、そういうことについて考えていた時期だったのではないかと思う。

 次のイメージは、リーマン面のこと。記事はもう公開していないのだが、2006年11月頃、『素数に惹かれた人たち』を手にした流れだったか何かで、複素数を2乗する関数を感じるために簡単な工作をして遊んでいたことがあった。工作といっても座標平面を切り開いてつなげてだけのことだったけれど。

 そして、オーサグラフ。いまも公開している関連記事からひとつ選ぶとしたら、これになるだろうか。>鳴川肇「オーサグラフ」/時系列と無限

 時間経過をともなう「地点A→地点B→地点A」という動きがあった場合、最初の地点Aと最後の地点Aは地点としては同じでも時刻が違うという意味で別物だから、「地点A→地点B→地点A´」となるのではないか、という発想からくるイメージであるように思う。

 と、書いてしまえば単純なことだった。

 「移りゆくこと」と「多層性」だ(今回の記事のタイトルは、それがわかったあとでつけた)。

 『〈現実〉とは何か』の第四章で私が「そうきたかーーー」と思ったのは、「私」を「不定自然変換」として考えるという記述があったからなのだけれど、そのことで、自分がこれまで網の目を平面的に考えていたことに気づき、なんのために圏論に興味をもったんだよ、と思ったのだった。

 時系列があって多層的というと、まるでパラレルワールドを語っている印象があるが、パラレルワールドは基本的に交わらないからパラレルなのであり、それぞれの世界においては単線で、パラレルであることがわかるのはそれを俯瞰できる場所にいる人だけだろう。

 そういうことではない、もっと別の意味の多層性が、移りゆくこととも関係して、何かイメージとしてわいてきているらしい。
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