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不定自然変換理論TINTの自分なりのラフスケッチ

 TINT(不定自然変換理論)に興味をもったので、以下の4つの論文・資料を読みながら、理解しようとしている。なお、14の番号はこちらでつけたもの。

 最初に12を見つけて参考にしていたのだが、その後、34を新たに見つけた。こういう資料が私のような一般人にも簡単に見られるって、やっぱりインターネットってありがたいなぁと感じている。


1.布山美慕、西郷甲矢人(2019)
 「不定自然変換理論の構築:圏論を用いた動的な比喩理解の記述」

2.池田駿介、高橋達二、布山美慕、西郷甲矢人(2019)
 「不定自然変換理論による比喩理解モデリングの
  計算論的実装へ向けて」

3.池田駿介、高橋達二、布山美慕、西郷甲矢人(2020)
 「不定自然変換理論に基づく比喩理解モデルの計算論的実装」

4.布山美慕、西郷甲矢人(2019)
 「自然変換の構築としての比喩理解」
  ※ 日本認知科学会第36回大会のオーガナイズドセッションの
    スライド資料なのではないかと推測している



 ところどころわからないことはあるのだけれど、「こういうことかな?」というラフスケッチは思い描けているので、現段階の理解の記録として書いてみようと思う。今回は、おもに論文2を参考にする。

 最初に、コスライス圏X/Cの定義を、論文とは少しだけ表現を変えてまとめておく。なお、上記資料ではコスライス圏の表示でバックスラッシュを使っているが、ここでは普通のスラッシュ「/」を使うことにする。スライス圏ではC/Xというふうに圏の記号を左に書いたが、コスライス圏ではX/CというようにCのほうを右側に書くことにする(大抵、そうなっているように思う)。

 1.対象は、Xを始域とするすべての射
 2.射は、f:X→aからg:X→bへの
   hf=gを満たすような圏Cの射h
 3.射の合成はCの合成で行う。
 4.恒等射はCの恒等射を引き継く。

 なお、『現代思想2020年7月号 特集=圏論の世界』の田口+西郷論稿では、スライス圏の射を、上記2でいうところのf、g、hの3つ組にあたるものと定義している。それでいえばコスライス圏の射も3つ組で定義したいところだし、実際、3つ組の三角構造についても論文のなかで触れられているのだが、ひとまずここでは射hをfからgへの射ということにしておく。

 また、コスライス圏をちゃんと理解していないので、3、4が「?」ではあるけれど、とりあえず先に進む。

 次に、TINTによる比喩理解のための圏の定義について。

 ・ イメージの圏Cの対象はイメージ、
   Cの射はそれらの間の想起関係とする。
 ・ Aがイメージの圏Cの対象であるとする。
   このときAの「意味」をコスライス圏A/Cで表現する。

 これで準備はできたので、以下、自分で考えたことを書いていく。

※ なお、今回はいつにもまして「自分の理解と表現で」書いています。興味がある方は、直接、上記の論文・資料を読んでください。例も含めて自分で考えています。図もまったく変わっています。

        *     *     *

 論文・資料では「被喩辞」と「喩辞」それぞれのコスライス圏を作るところから始まっているが、私は「喩辞」のみコスライス圏を考えるところから始めた。また、おそらくわかりやすくするためと思われるけれども、コスライス圏を元の圏Cに入れ込んで、もとの対象(イメージ)がはっきりする形でコスライス圏の中身が書かれてあることで、私にとってはコスライス圏の対象が元の圏の対象に見えてかえってわかりにくかったので、まずは以下のように考えることにした。

 イメージの圏Cのなかに、A、B、C、D、Eの5つの対象があり、射は次のようになっているとする。

     


 この圏Cをもとにしてコスライス圏B/Cをつくる。BからDへの射を「BD」とアルファベットを並べて書き、コスライス圏で射が対象になるときには丸で囲む。そうすると、コスライス圏B/Cは次のようになる。

     


 さて、ここで、「AはBのようだ」という比喩が行われたとする。そうすると圏C自体に変化が起こる。これを圏C’とする。

     


 ぽつねんとしていたAにもA→Bという射ができたので、「AB」だけを対象としたコスライス圏A/C’をつくりたくなるけれど、射の合成によりAC、AD、AEもできるので、あえてBを絡ませた状態で書くと、下のようなコスライス圏A/C’ができる。

     


     


 これは、「AはBのようだ」という比喩によって、圏B/C’から圏A/C’への関手が作られたと言える状況かと思う。

  


 以上の理解があっているかどうかはわからないけれど、論文ではこの関手のことを Base of Metaphor Functor(BMF)と呼んでいる。

 考えればあたりまえのことだと思う。だからこそ比喩が可能なわけであり。「AはBのようだ」という比喩は、Bの上にAを重ねるようなものではなかろうか。

 次は自然変換。現段階での理解を書いてみる。

 たとえば、「夏子さんはひまわりのようだ」という比喩がなされたとする。この比喩をした人は、「ひまわり」から想起されるなんらかのイメージ、たとえば「黄色で明るい」とか「大きな花で存在感がある」とか「1本ですくっと立っている」とか、そういったイメージをもとに夏子さんをひまわりにたとえたと思うわけなのだ。

 いま、あえて「人」にあうように言い方を整えたけれども、ひまわりからの想起でいえば、「黄色」「大きな花」「1本立ち」というイメージになる。なので、上記の関手によってうつしただけの場合、「夏子さん→ひまわり→黄色」ということから「夏子さん→黄色」という合成射になってしまう。

 なので、「ひまわり→黄色」から「夏子さん→明るい」にうつせるように新たな関手を考えるというのが、最初にできた関手からの自然変換ということなのかな?というふうにいまは理解している。

 この場合、「夏子さん→明るい」の射が新たに生まれたことになる。あるいは、もともとあったものが探索されたということになる。

 比喩する側からみれば、もともとあったものと考えるのが自然だろう。夏子さんの明るさ(あるいは別のイメージ)からひまわりを想起したことになるだろうから。一方、夏子さんを知らない人からすれば、「夏子さんってひまわりみたいな人よ」と言われたとき、ひまわりのイメージから(たとえば)「夏子さんって明るい人なんだろうな」と逆に思うことになるのだろう。「比喩理解」というのは、どちらかというと後者なのかな、と推測している。
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