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圏論「米田の補題」、勇気を出して立ち話

 圏論を学ぼうとすると、とにかくこの「米田」さんのお名前によく遭遇する。遭遇しては、敬意を払いつつ軽く会釈して通りすぎるだけだったのだけれど、さすがにそういうわけにもいかなくなってきた。というわけで、勇気を出してお声をかけてみることにした。

 まずは、「米田の補題」のなんたるかについて、その一つの意味を日本語で語ってある表現と、記号を使って数学的に、しかしシンプルめにわかりやすく示してある表現をあげてみる(12の番号はこちらでつけたもの)。

1.「作用を受けるコト」と「作用を受けるモノ」の間の
  自然な一対一対応


2.Fを局所的に小さな圏CからSetへの関手とする。
  Cの任意の対象Aについて、
  「hAからF への自然変換」と「F( A)の要素」とは
  一対一に対応する。


 1は、『圏論の歩き方』所収、春名太一「圏論と生物のネットワーク」より(p.255)。2は、西郷+能美『圏論の道案内』第4章より。

 なお、春名太一さんも『現代思想2020年7月号 特集=圏論の世界』に「普遍性とそのゆらぎ ―― ネットワークの圏論的諸展開」というタイトルで寄稿しておられる。

 とりあえず米田の補題は、何かと何かが一対一対応するということを言っているものらしいということはわかった。12の対応を考えると、「作用を受けるコト」が「hAからFへの自然変換」、「作用を受けるモノ」が「F(A)の要素」にあたると考えてよさそう。

 自然変換は関手と関手の関係だったので、hAはなんらかの関手なのだろうということはわかるが、このhとは何だろう? どうやらhom関手のhらしい。homという言葉は、射の集まりを示す記号として見た覚えがある。圏CのXからYへの射の集まりをHomC(X, Y)と書く、というふうに。

 ところでhomの語源って何だろうと思って調べてみたのだが、「同じ、似ている」を表す接頭辞のhomo-から来ているのかな?というくらいのことしか推測できなかった。

 ちなみにホモ・サピエンスのホモはラテン語で「人間」という意味らしい。上記のhomoはギリシャ語起源とのことなので、特につながりはないのだろうか。

 そういえば『圏論の道案内』の第1章に、「Homo sum.(わたしは人間だ)」から始まる詩が紹介されていた。ちなみにそんな細かいところまで覚えているわけではなく、検索して見つけた。こういうときKindle版って便利だなぁと思う。

 話をもとにもどすと、射の集まりは、いつでも集合になるとは限らない。対象X、Yを選ぶごとにHomC(X、Y)が集合になるような圏を「局所的に小さな圏」というそうなのだ。これで2の「局所的に小さな圏」の意味もわかった。

 あとは、『圏論の道案内』をメインの参考書として、hAだけ確認しておく。圏Cの対象Aを固定すると、圏Cのどれかの対象Xを選ぶごとに、HomC(A,X)を考えることができる。いま、これは集合になるから、Setの対象にできる。つまり、圏CのXをSetのHomC(A,X)に対応させるような関手を考えることができる。

 では、射はどうするか。

 射を考えるときには、合成が手がかりとなる。

 XからYへの射をfとして、HomC(A,X)のうちのひとつをαとすると、fαはAからYへの射となるから、HomC(A,X)からHomC(A,Y)への写像をHomC(A,f)にすればいい。


※『圏論の道案内』とは少しだけ描き方を変えています(向きなど)

 と一応書くけれど、HomC(A,f)に対して、「Aからfへの射の集まりって何?」とは思う。

 が、これ以上のことは立ち話では無理そうなので、きょうはとりあえずこの辺りで失礼しようと思う。

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