TETRA’s MATH

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モビリティの圏とコーヒー豆

 ブログの整理がほぼ終わりましたで書いたように、ブログ休止中に、私はプチ「外部リンク恐怖症」になっていた。それがようやくほどけつつあったのだけれど、このたびまた、自分がリンクしたいサイトに「リンクするなら要連絡」という主旨の注意書きを見つけてしまった。嗚呼。

 メール1本、あるいは1.5往復ですむ話なのかもしれないが、その1本、1.5往復が億劫。

 1箇所そういうところがあると別のところも慎重になるし、ここはリンクしてここはしないというバランスのわるさも気になってしまう。

 というわけで、今後、不安なときにはリンクせずに、文献名を参照元として示すだけにとどめていこうと思う。

        *     *     *

 『現代思想2020年7月号 特集=圏論の世界』の郡司論稿にもどると、はっきりいって、よくわからない。何をしようとしているかはわかっても、何をしているかがわからない。

 以前ならばがんばって読みこもうとしていたかもしれないが、今回は「わからなくなったら外に行く」という作戦をとることにした。外に行くための矢印は文末註にもあるし、本文中にもある。

 まずは、郡司論稿の文末注にある土谷尚嗣・西郷甲矢人2019「圏論による意識の理解」をのぞいてみた。実はこの論稿については、すでに存在を知っていた。知っていたけど読もうとしていなかった。『認知科学』第二六巻第四号にあるらしい(私はほかの方法でアクセスできた)。

 最初は、「米田の補題を大きな手がかりとして意識の問題に取り組んでいる論稿なんだな」という印象をもちながら読んだのだが、そのうち、このなかに出てくる「モビリティの圏」なるものが気になってきた。意識の中身が次々と時間を経て変化していく側面を捉えることができるような圏らしい。

 はじめて聞く言葉だったので検索してみたところ、どうやら2018年頃に西郷さんたちによって新しく名づけられたものであるらしいとわかった。新しくといっても概念が新しいのではなく、あまりにも根本的すぎて逆にこれまで名前がつけられていなかったものに仮に名前をつけた、というニュアンスで。

 文末注に示されている文献は、

Saigo, H., Naruse, M., Okamura, K., Hori, H. & Ojima, I. (2019). Analysis of soft robotics based on the concept of category of mobility.

なのだけれど、なんのことやらちんぷんかんぷん。ひとまず読むなら西郷甲矢人2018「自然知能と圏論」がよさそう。検索するとすぐに見つかると思う(成瀬誠さんという方との関わりで見つかるかもしれない)。ここにはモビリティの圏については詳しく書かれていないが、モビリティの圏が面白そうなものであることはわかる。このブログ記事のタイトルの意味もわかると思う。

 とりあえず、「モビリティの圏」というのは、「状態と状態遷移のなす圏」と考えればよさそうだと私は理解した。

 そういう話になると、また『現代思想』圏論特集の郡司論稿を思い出す。郡司さんはオートポイエーシスの話のなかで、「状態と代謝系(状態から状態への変化)を付き合わせ、対比可能とするための道具がいわば圏論である」と書いておられるのだ。

 モビリティの圏も、やはり自然変換なしでは語れないもののよう。
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