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『〈現実〉とは何か』(西郷甲矢人・田口茂)4/5 ―― 第三章と第一章はどうか

 『第三章 「現われること」の理論 ―─ 現象学と圏論』は、まず現象学についての話から始まる。というか、始まっているのだと思う。

 なぜ「思う」かというと、なんだかもうすでに圏論の話が始まっているような感触があっったから。「射映」という用語やフッサールの名は現象学からきたものだろうけれど、「可逆性」という言葉も現象学で出てくるのだろうか。“思考の融合の書”ゆえ、いい意味で判断がつかなかった。

 そして圏論の説明に入っていく。思い切ったことをいえば、ここの部分はなんだったら読み流していいと思う。

 教科書のような書き方はされていないが、それでもおさえておかなければいけない出発点はあり、そこはおさえられている。これを書かないわけにはいかないと思う。けしてわかりにくくはない。むしろわかりやすい。

 が、どんなにわかりやすく書いてあるとしても、一度も圏論にふれたことがない人が、この本で圏論をわかろうとするのは無理があるように感じた。それは著者のせいではない。

 それこそ圏論についても、子どもが数をおぼえるときと同じように<順序やものを変えて>習得していくしかないのではなかろうか。つまり、テキストやアプローチを変えて。この本の圏論の説明の記述を何度も繰り返し読んだとしても、それだけでは圏論を理解することはできない。左手の指だけを使って数を数えているようなものだと思う。

 そのような学びのプロセスは、すべてが「固有」のものであることについても、久しぶりに考えた。

 逆にいえば、この本で触れる圏論もひとつの「圏論体験」になる。なので、読み「飛ばす」のはもったいないから、読み「流す」くらいはしていいと思う。でも、読み込む必要はないかもしれない。と誰に言っているかというと、「ここ読むの、大変そうだなー」「えー、これ理解できないと先のことがわからないのー」と思ったかもしれないかつての自分に言っている。

 現在の私としては、圏論の経験をまたひとつ重ね、しかもそれがたいへんに良質の経験だったので、よかったなぁと感じている。特に、「恒等射」「同型」「自然変換」について、新しい、よい体験を重ねることができた。

         *     *     *

 最後に第一章について。

 最初の章について最後に書くというのもなんだけれど、第一章はとりあえず読まないと話が始まらないところだし、第一章なのでまだ元気もあるから、読めばいいと思う。って、だれに言っているかといえば……(同上)。

 実は、この本の存在を知ってから実際に手に取るまでに(電子版だけど)、少し時間がかかった。気になりつつなんとなく気が向かなかった。それにはいくつか理由があるのだが(たとえば書名のこととか)、そのうちのひとつは「また二重スリットから始めねばならぬのか」という億劫さもあったように思う。

 二重スリットの実験については巻末注があり、粒子性を含めた実験は現代的なものとして参照のためのURLと書籍が示されている。
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