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私の縁起の縁起

 仏教の縁起が自分の宿題となったのは、魚川祐司『仏教思想のゼロポイント』を読んだときだった。縁起について書かれてある章を読んで、「自分がこれまで縁起に対してうっすらと抱いていたイメージは違う」と感じたのがその動機だった。

 そのうっすらとしたイメージは自分でも言語化できないもので、定義もなかったし、どういうものかもよくわかっていなかったが、「何かよいもの」のニュアンスを含んでいたと思う。というか、含ませていたことに気づいた。

 そして、なぜ自分がそういうイメージを縁起に抱かせていたのかがよくわからず気持ちわるくて、こだわることになったのだった。

 その「なぜ」については、結局、クリアにはわからずじまいだけれど、いちばん可能性が高いのは松岡正剛さんからの影響かもしれないなぁ、というところにいまは落ち着いている。そこに他の方の後押しも少し加わっていたのかもしれない。

 松岡正剛さんは千夜千冊のなかで「縁起」という言葉をたくさん使っておられる。仏教に直接関係するところでいえば、275夜『禅への鍵』ティク・ナット・ハン、846夜『空の思想史』立川武蔵、1021夜『インド古代史』中村元、1249夜『大乗とは何か』三枝充悳、1700夜『華厳の思想』鎌田茂雄において。

 縁起のことをある程度勉強したいまとなっては、このラインナップに納得がいく。

 まずはのっけからティク・ナット・ハンだ。インタービーイングにも触れられている。これについては「縁起」の問題が宿題になった経緯で書いた。そして『空の思想史』。もちろん龍樹が関わってくる。『インド古代史』はいったんおいといて、次は『大乗とは何か』、著者は三枝充悳。さらには『華厳の思想』。華厳哲学については宇井伯寿の縁起と華厳哲学で触れた。正剛さんは華厳経が好きなんだな、入れ込んでいるのだなぁと私は感じた。

 いったんわきにおいた『インド古代史』の著者は中村元。私はこの文章の最後の5行を読んだことをよく覚えている。だから、この文章をだいぶ前に読んでいたのは確か。このなかに原始仏教の縁起も少し出てくる。やはり正剛さんにとっての縁起の理解はそういうことであるらしい。

 千夜千冊からは何かと刺激をもらっていたので、私がこれらの文章に触れ、なんらかの縁起観を得ていたとしても不思議はない。しかも、仏教や縁起のことを直接学ぼうとして読んだわけではなく、他の興味からのアプローチだったので、かえって「なんとなくのイメージ」として縁起を受け取り、それを繰り返すうちに自分でも意識しない状態で縁起のイメージが形成されて定着しまったのかもしれない。そこにいつのまにか「何かいいもの」のニュアンスが醸成されてしまったのだろう。

 さらに、先日、ブログの整理中に鈴木健『なめらかな社会とその敵』についての読書記録を部分的に読み返す機会があり、「ああ、これもつながりの話だよな」と思っていたら、最後のページに「本書が目指すところは,仏教哲学のひとつの実装形態といっても過言ではないのかもしれない」と書かれてあったらしいことを自分のブログで思い出した(>鈴木健『なめらかな社会とその敵』を教育関係者に読んでほしいと思う理由)。すっかり忘れていた。

 おそらく、仏教の縁起の問題を超えて、上記のようなつながりのイメージとそれを肯定する気持ちが、自分の興味のいろいろなところにしみ込んでいたのだと思う。


(この記事を公開するのはだいぶ先になるだろうけれど、いまは2020年3月29日。不要不急の外出を控える東京の雪の日にこの文章の骨子を書いている。ということをメモしておきたかったので付記。)
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