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2つの縁起論争のどこに興味をもったか

 以前、縁起についてネットであれこれ調べたとき、日本の大正から昭和初期のあたりで縁起についてなんか論争があったんだな、ということはなんとなくわかった。しかしそのときは中身までは確認せず「なんかあったらしい」ということだけ頭に入れただけだった。

 宮崎哲弥『仏教論争』では、その「なんか」について詳しく論じられている。論争は戦前と戦後の2回あったらしい。

 戦前の論争については第二章と第三章があてられていて、第二章のタイトルは「皮相な論争理解 ―― 第一次縁起論争の解剖(上)」となっている。その意味が最初はよくわからなかった。

 「皮相」という言葉から「表面的」というイメージを持ち、なんとなく概観のようなものと捉えていた気がするけれど、そういうときに皮相という言葉は使わないから、自分でもほんとによくわかっていなかったのだと思う。

 要は、戦前の縁起論争について「これこれこういうことが言われてきたけれど、それは違いますよ、私はこう解釈しますよ」ということがおさえられている章なのだ。

 しかし、論争に初めて触れる自分としてはなんとも判断のしようがなく、「はぁ、そうなんですね……」としか言いようがない感覚のもと読んでいくことになった。そもそも私は経典を読むこともせず、論争の登場人物が書いたものも、それに対する解釈の本も何一冊読むことをしないで『仏教論争』を読んでいるわけなので。

 なので、自分としては、どの説が正しいのか、どの話がブッダの説いた縁起なのかということよりも、どの話に興味がもてるか、というような視点で途中から読むようになった。

 もちろん、「自分の縁起観はどこから来たのか」という宿題も忘れないようにして。

 そういうふうにして読んでいった『仏教論争』で私が興味をもったのは、2回の論争のそれぞれの主役である木村泰賢と三枝光悳だった。といっても共感したという意味ではない。木村泰賢や三枝光悳の姿勢の背景に、時代の様相と個人の志向が強くあるらしいというところに興味をもったのだ。

 第一次縁起論争でいえば、宮崎哲弥さんは木村泰賢の縁起の捉え方に「大正生命主義」の反響を聞き取っている。大正生命主義という言葉をはじめて聞いたのだが、当時日本の知識界を席巻していた一大思潮であるらしい。

 木村泰賢が時代の思潮に直接のっているとしたら、三枝光悳のほうは思潮にもの申す形で時代から影響を受けていると私は読み取った。もちろん、論争の時期が違うので、時代の背景も異なる。

 そして、私がそう感じるのは宮崎哲弥さんの解釈を通してのことであり、その宮崎哲弥さんもまた、日本の近代仏教学から現代の“ポストモダン仏教”に対して「それはちがうだろ」と言いたい気持ちもあってこの本を書いているのだろうということが、第四章の後半で感じられる。

 この本の締めくくりにあるように、仏教は絶えざる問い返しで鍛えられてきたのだろうけれど、その絶えざる問い返しが「何が正しいのか」「真理とは何か」をめぐってのものではなく、ブッダが証悟したことはなんなのかという問いを基本にしているのが面白い。
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