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龍樹の縁起と矢印

 飲茶さんの『史上最強の哲学入門』、『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』は、どちらもとても読みやすくて面白い。歴史の流れや哲学の変遷のなかで、それぞれの哲学者たちをざっくり知ることができる。バキを知らなくても面白いが、バキを知っていたらもっと面白いのだろうか。

 東洋編は、インド、中国、日本という章立てで、インドからはヤージュニャヴァルキア、釈迦、龍樹が取り上げられている。それぞれの人物の項目の見出しには「得意技」が示されており、釈迦の得意技は「無我」、龍樹の得意技は「空の哲学」となっている。

 龍樹の項目では般若心経についても詳しく書かれてあるし、相互作用としての縁起の説明もある。そして、たくさんの要素が複数の矢印でつながれた図が出てくる。この図のおもな目的は、「網の目から切り出して現象を名付けている」様子を示すことだといえる。

 2016年に縁起の問題が自分の宿題になったとき、中村元『龍樹』の文庫本を手元に持っていたので、目次に相互依存の文字が示されているのはおそらく確認したことと思うし、縁起の「双方向矢印」と龍樹はなんらかの関係があるということはなんとなくわかっていたことと思う。しかし、「なんとなく関係があるのかな?」くらいの認識でいた。

 いまとなっては、龍樹の“得意技”である「空の哲学」を考えるとき、双方向矢印としての縁起には説得力があるとしみじみ感じる。双方向ということは相互に関係性があるということであり、あらゆるものはそれらの縁によって起こり、生滅をし続けており、確固たる実体としてそこに存在しているわけではない、という考え方がわかりやすい。もちろん、この解釈が「正しい」のかはわからない。

 『仏教論争』においても、もちろんこのような縁起観の説明はあり、とにもかくにも龍樹以降の大乗仏教では、上記のように空と縁起を不可分のものとしてみているらしい。

 ここで疑問が2つ生じる。

 ひとつは、初期仏教の縁起観はどうだったのかということ。

 そしてもうひとつは、たとえ上記のような相互依存の縁起観があるとしても、そこに「何かいいもの」のニュアンスは含まれていないということ。

 私が縁起に含ませていたニュアンスは、いったいどこからきたのだろう?
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