TETRA’s MATH

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要素が矢印や線分でつながれた図を意識するようになった経過

 「→●→●→●→」「―●―●―●―」といった形の、要素が矢印または線分でつながれた図を意識するようになったのはいつからだったろう。

 過去の記録と記憶をたどったところ、いちばん古いのは論理学方向の興味からくるハッセ図の利用だった。論理学の幾何学的表現というブログの記事はいまも公開している。

 次のおおきなきっかけは、郡司ペギオ幸夫『時間の正体』だったと思う。p.57に出来事が矢印でつながれた「因果集合の例」が示されており、自分でも同じような図をかいてあれこれ考えたのを覚えている。

 一方、2009年11月に圏論の勉強を始めている。これも矢印の話といえば矢印だけれども、ハッセ図とはまた別の矢印への興味だったといえる。

 それからだいぶだった2015年に、『圏論の歩き方』を手にした。ほとんど理解できず部分的に読むだけだったが、p.208に「縁起」の文字があるのは見落とさなかった。丸で囲まれた「因」と「果」が矢印でつながれた図が載っている。

 さらに時をへだてて2020年、飲茶『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』の矢印と要素の図に出会う。ただし、この矢印は両端に向きがある。ちなみにここは龍樹について述べてある章。

 こうやってふりかえると、要素が矢印または線分でつながれた図への自分の興味は、大きく2つに分けられるように思う。

 ひとつは、「●―●」は「―●―」とも考えられるのではないかという視点。つまり、●と―を入れかえる発想。あるいは、「●―●」という状況は2つの点がそれを結ぶ1つの線分を作ったと考えることもできるし、1つの線分が両端の点という2つのものを作ったと考えることもできるのではないかということへの興味。

 もうひとつは、多くの●が多くの→でつながれた図への興味。

 これらのことをあえて数学にからめて語るとしたら、前者は双対性への興味につながることであり、後者は順序集合に関わる問題だったといえる。

 縁起の宿題に取り組むにあたり関係してくるのは後者なのだが、いまは数学とはまったく関係のないことを考えているので、順序集合からははなれることにする。

 ついでにいえば、両端に矢印の向きがある場合、つまりA⇔Bの場合、同値の記号に見えてくるし、実際、宮崎哲弥『仏教論争』でも、あることの説明のために同値という言葉が出てくるところがあるのだけれど、自分の縁起の宿題に同値は関係がない。

 というわけで、私にとっての要素と矢印への興味のポイントは、次の2つになる。矢印の向きの問題と、要素と矢印の数の問題。

仏教の縁起について | permalink
  
  

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