TETRA'S MATH

数学と数学教育
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A(アンペア)が先かC(クーロン)が先か

 まず、最初に訂正を。前回、SI単位系という書き方をしていましたが、これはちょっとおかしい書き方だとあとで気づきました。国際単位系と書くか、SIと書いたほうがよさそうですね。今後しばらくは国際単位系と書いていきます。

 さて、前回、W(ワット)という単位がつく量について考えました。これがもし外延量だとすると、合併が加法につながる量だということになります。はたして、Wのつく量をつなげることはできるのか?

 そこではたと思ったこと。エアコンと衣類乾燥機とドライヤーを直接つなげることはできないけれど、エアコンと衣類乾燥機とドライヤーを一緒に使うと、わが家のブレーカーは落ちるじゃないかということ。契約アンペアが20Aなのです。

 そう、今度はA(アンペア)という単位が出てきます。堂々のSI基本単位。そうなるとV(ボルト)も気になりますが、こちらの単位を確認してみたところ、W/Aから導き出された形でした。
→ m^2・kg・s^(−3)・A^(−1)

 Wという単位がつく能力をもつ電化製品も、使い始めたとたん、Aという単位がつく量に変わるのでしょうか。あるいは、使い始めたとたん、Wにsがかかって、電力量という量になるということなのでしょうか。

 考えてみれば、エアコンにしろ衣類乾燥機にしろドライヤーにしろ、電流そのものを直接私が使っているわけではなく、それを温度変化なり風なり回転なりなんなりの形に換えてくれたものを使っているわけであり、その「なんなりの形」がそれぞれの家電の役割ということになるのでしょう。

 そう考えると、自分が生活をするなかで、ほんとうにいろいろな量に関わっており、また、それらの量たちがお互いに絡み合っているのだなぁ…としみじみ思います。

 さて、銀林先生の『量の世界・構造主義的分析』では、p.131で A=C/s という式が出てきます。この式の形をみると、アンペアがクーロンで説明されているように見えます。電流は単位時間に流れる電気量(クーロン)によって表される、と。

 しかし、1948年の国際度量衡総会の決定では、むしろ、この電流アンペアを基本単位にとって、電気量クーロンは、1アンペアの電流が1秒間に運ぶ電荷と定義している、と話は続くのです。実際、2006年の文書でもC(クーロン)の単位はsAと表されています。

 消費電力が高い電化製品を同時に使うとブレーカーが落ちる“Aという単位がつく量”は、私にとってはいかにも外延量的なのですが、A=C/sという式は、普通に考えれば内包量を表す式ということになるのでしょう。>補足

 そういうふうに考えていくと、外延量・内包量の区別で量を考えていくのは難しくなってきます。もちろん、いま私がやりたいことは、この区別にとことんこだわることではなく、否定することで何かの主張をなし得たと思うことでもなく、自分をとりまく豊かな量の世界を感じ、それについて考えようとすることです。

 そのひとつの手がかりとして、外延量・内包量という区別を採用してみたわけですが、そんなこんなで、そろそろはなれようと思います。がしかし、はなれる前にひとつ書いておきたいことがあるのです。

 このエントリのタイトルの「A(アンペア)が先かC(クーロン)が先か」の「先」というのは、存在としての先ではなく、定義としての先を意味したものでした。したがって、「鶏が先か卵が先か」の話とは違うと最初は思っていました。しかし、違うといえば違うけれど、つながっている話ではある…と思いなおしました。

 私は国際単位系を意識しはじめたばかりのころ、メートルの定義に秒が含まれていることがひっかかったり、微妙に循環論法に感じられる記述があるのが気になったりしていました。

 しかし、ウィキペディアの「国際単位系」のページに「単位の定義に求められるのは何より実用性、すなわち現在の社会生活に必要かつ十分な精度を持ち、定義値が容易に実現できることである。このため、定義の独立性は意味を持たない」と書かれてあるのを読み、「そうだよなぁ」と納得したのでした。

 実際、国際単位系の2006年日本語版にも、七つの基本量は便宜的に独立であると考えられているけれども、多くの場合、互いに依存しているということを知っておく必要がある、といったことが書かれてあります。
NMIJ>https://www.nmij.jp/library/units/si/R8/SI8J.pdf

 折りしも、「鶏が先か卵が先か」という言葉の、それこそ「鶏」と「卵」のどちらが先なのかわからなくて検索していたら、ウィキペディアの「鶏が先か、卵が先か」のページで、「工学や科学での循環参照」に触れてあることを知りました。

 こういう話になると、山口昌哉先生のことを思い出します。>自己言及

 それで、私が書きたかったのは何かというと、内包量の存在のことです。内包量の定義は難しく、こと数教協の文脈でいくならば「外延量どうしのわり算で得られる量」だとするのがいちばんわかりやすいと私は思ってきました。

 なお、遠山啓はそのように定義はしておらず、“強さ”の量とか、合併から加法がでてこない量とか、そんな感じの説明をしています。また、算数に出てくる内包量は外延量÷外延量の形になるものが多い、という書き方をしていることもあります。(遠山啓著作集・数学教育論シリーズ5のp.108、110)

 ちなみにこういう話のときに合併という概念が出てくるのは、初等教育でとりあつかう量は、なにかの物体もしくは物質の一側面を表す指標であり、物体もしくは物質そのものではない、と遠山啓が考えるからだと私は理解しています(同上p.107)。逆にいえば、量の背後にはかならず物体もしくは物質が存在している、ということになります。

 そういうわけなので、内包量を、外延量÷外延量で得られるものととりあえず定義しているのは私なのですが、もしそうだとしたら、内包量は外延量のあとにくるものだということになります。しかし私は、内包量は内包量そのものとして存在しているのではないか…と考えていることを、書いておきたかったのでした。

 このあたりの話は、結局、内包量そのものと、内包量の数値化を同じと考えるかどうかという話に帰着するのかもしれません。

 さて、それはそうとして、量の単位の関係を考えていると、これらの関係を図に表したくなってきます。実際、銀林先生の本でも、電気関係の単位の系統が図示されているところがあります(p.191)。本に書かれてあるものを自分でかきおこしてみました↓



 「E」は電界の強さを表す単位だと思うのですが、どんな記号なのか、なんとよむのかわかりませんでした。国際単位系にも見つけられず。上の図のなかでは単位の記号を示していると思うのですが…。そうそう、量の話を読むときには、心をしっかりしておかないと、量記号と単位記号がごっちゃになりそうになります。>補足

 それにしても、単位って、人の名前からきているものが多いですね。先ほど、内包量はそれそのものとして存在していると思うと書いたばかりなのに、やっぱり量が量となるのは、人の営みとともにあるからなのかもしれなぁ…と、さっそく前言を撤回…まではいかないけれど、保留にすることになりそうです。

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