TETRA'S MATH

数学と数学教育
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これまで出会ったなかでいちばんわかりやすい圏論の説明

 久しぶりの更新らしい更新です。表題の件、さっそくリンクします↓

谷村省吾「物理学者のための圏論入門」
https://drive.google.com/file/d/0B-wUHJlJ-mgXRnFpcXE5Q1lVLUk/view

 ″物理学者のための…”と銘打ってありますが、物理学者ではない人もまったく臆する必要のないものです。

 このブログでは以前、谷村省吾さんの著書についてご紹介させていただいたことがありました↓

谷村省吾『理工系のためのトポロジー・圏論・微分幾何〜双対性の視点から〜』のp.24〜25とp.200に感動するhttp://math.artet.net/?eid=1421783

 それがきっかけとなり、谷村さんから直接メールをいただくというしあわせなできごとがあったのが昨年11月。その後、何通ものメールをやりとりさせていただき、このたび上記リンク先の文章を知ることができたのです。

 今年の2月に行われた研究会の講演をまとめたもので、後半では手書きのノートも公開されています。なお、谷村さんは現在、3か月に2回のペースで月刊誌『数理科学』に連載記事を書いておられます。

 谷村さんの文章に出てくる比喩はとてもわかりやすく、谷村節とでも呼びたい語り口調があって楽しいです。

 このような種類の文章にネタバレもなにもないのかもしれませんが、興味のある方は、まず全文を通して読んでいただければと思います。

***

 では、私の感想を書いていきます。

 読み始めていきなり「三種の矢」に目から鱗でした。「圏論のテキストたち、最初からそう言ってくれよ〜」と思うことでありました。私の場合、最初に時間をかけて圏の定義を理解しようとして、なんとなく「射」のイメージがつかめてきたところで「関手」や「自然変換」という用語に出会い、すでに「射」のイメージが固定的になってしまっているうえスタミナ切れで、「関手」や「自然変換」まで理解する気力がわかなかったのです。

 最初から「三種の矢」があるよと言ってもらうと見通しが立つし、そのことで「射」の理解もかえって進むのではないかと感じました。というか、そういうびっくりすることは最初に言ってもらうと助かる…という感じでしょうか。なぜ3つなのかについても触れられていてありがたいです。

 そして「4 圏論の考え方」、″谷村節炸裂”という感じで楽しいところです。自分の意識がいろいろな方向へぐーんと広がっていくのを感じました。なんだったら圏論をはなれちゃってもいいくらいの気持ちになりました。そんなことでいいのでしょうか。いいのでしょう。

 特に、「関係性があって初めて個性が定まる」というお話は、これだけでしばらくご飯が食べられそうな魅惑的なフレーズです。さらにその先の「木を気にせず森を見る」という表現については、最初は「なるほどなるほど」と能天気に読むだけだったのですが、読み返すうち、かすかな緊張感をともなう考え込みの時間をもつこととなりました。

 考え込むうち思い出したエントリを1つリンクします↓

倉田令二朗が、「遠山啓の現代数学観は反圏論的」という、その意味 http://math.artet.net/?eid=1421664

 そうしてその先、ようやく圏の定義が出てきて、いくつかの用語や図式の説明へと入っていきます。自然数の「大小関係の圏」「約数の圏」の例がとてもわかりやすいです。

 後半の手書きのノートには「ひらがなしりとり圏」と「カタカタしりとり圏」の文字も見えます。なるほどわかりやすそうです。檜山正幸さんのしりとりの圏については、私も圏論の学びはじめのとき大変お世話になりました。

 さらに普遍射のところでは、「肩書のないaさんがF社と取引をする話」が出てきていて、なんだか楽しそうでわかりやすそうです・・・

 と、「わかりやすい」を連発しているので、ちょっとここで話を変えます。そもそも「わかりやすい」というときの「わかる」とはいったいどういうことなのでしょうか。筋道が追えるということでしょうか。正しく理解するということでしょうか。

 私はブログを始めて10年以上たちましたが、昨年度は、「自分はブログでわかったふうなことを書きすぎてきたなぁ…ほんとうは何もわかっちゃいないのに…」と思うことがありました。

 しかし、このたび久しぶりに更新をするにあたり、思い出したのです。自分は「何かをわかろうとするプロセス」を書き記すためにブログを書いてきたのではなかったか、ということを。

 ふりかえれば「わかる」ということ自体についてもこれまで何度も書いてきました↓

わかるということ/岡潔『春宵十話』ふたたび
あとで考えたいことの整理(合理主義と経験主義、ハイデッガーとスピノザ)

 もしかして「わかる」ということは、「自分のものとして感じられる」ということなのかもしれません。ということであればつまり、わかりやすいということは、「自分のものにできそうな予感がする」ということなのでしょう。

 もっとも、自分のブログの昔の記事を、まるで人が書いたもののように新鮮な気持ちで読むことがしょっちゅうあります。

圏論 | permalink

この記事に対するコメント

試験的にコメント欄を設置しました。どんな感じになるのか自分で書き込んでいます。
tamami | 2017/04/06 4:52 PM
管理者の承認待ちコメントです。
- | 2017/04/06 4:54 PM
nameと画像認証だけで大丈夫です。email入力欄、消せないかな…
tamami | 2017/04/06 5:02 PM
どっちにしろメールアドレスは表示されないのかな?リンクはどんな感じなんだろう。
http://info.jugem.jp/?eid=11580
tamami | 2017/04/06 5:13 PM
リンクはそのままいけますね。次は削除できるかどうかの実験。上から2番目

もう一度、実験。
tamami | 2017/04/06 4:54 PM

を消してみます。
tamami | 2017/04/06 5:15 PM
削除じゃなくて非公開にしてみました。
なるほどそうなるのか〜。
tamami | 2017/04/06 5:17 PM
 私のノートを楽しんで読んでいただけたようで、嬉しいです。「三種の矢」というフレーズは、人に圏論をどう説明しようかと考えて編み出したフレーズです。圏論の本を落ち着いて読めば、たしかにわりと最初の方に「射・関手・自然変換」は書いてあると言えば書いてあるのですが、初読の際には、次々と思いついたように新しい矢らしきものが出て来て、相互関係が頭に入って来ないし、これから先も次々と新しい矢が出て来るのかしら?という気になって、本を読み進める気が萎えてしまう、というのが私自身の経験でした。
 たいていの著者は、ものごとを筋道立てて説明することは注意深くやっていると思いますが、おおざっぱにでもいいから話のゴールを先に見せてくれた方が初学者は助かる・途方に暮れずに済む、ということまでは、なかなかケアしてくれないですよね。著者にしてみれば「ゴールやそこまでの道のりを説明するために、結局、この本一冊書いている」というのも、真実に近いでしょう。
 でも、やっぱり学習者は、ゴール地点がどこらへんで、この先、いくつハードルや坂道があるか知って、どんなペース配分をすればよいか考えてから走りたいですよね。「そのために目次やまえがきがあるじゃん」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、目次やまえがきの案内くらいじゃわからないですよ。「第何章では何々について書いてあり、第何章は何々について書いてあり・・・という類のまえがきは、本を読み終わった後でしか役に立たないが、私もいちおうその類のまえがきを書いておこう」というようなまえがきのある洋書を見たことがあるくらいです。
だから、私は入門というつもりで話すなら役に立つガイドを話そう、書くなら役に立つガイドを書こうと思いました。
その著者 | 2017/04/06 6:25 PM
 著者さんからのさっそくのコメントありがとうございます!

 実は、まさにそのことが「緊張感をともなう考え込みの時間」に関わることだったりします。私は「俯瞰する教育」が嫌いだとこれまでずっと言ってきたのですが、そんな私にとって「三種の矢」がとてもわかりやすかったことの意味について考え込んでいます。

また、その他のことについてもつねに木に定位することをよしとしてきたつもりの自分の発想を再点検したい気分になっています。

 「木」は「森」があっての「木」、「森」は「木」があっての「森」、「局所」は「全体」があっての「局所」、「全体」は「局所」あっての「全体」、そんなことをうつらうつらと考えています。あとはどのスケールで見るかという問題もありそうです。
tamami | 2017/04/06 9:48 PM
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