TETRA'S MATH

数学と数学教育
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『圏論の歩き方』第12章/見える矢印、見えない矢印

 『圏論の歩き方』第12章を読んでいます。

 次のセクションのタイトルは「見える矢印,見えない矢印」となっています。Q&Aの前の締めくくりであり、冒頭の問い「なぜ数学を教えるか」に向かって思い切り冒険的なことを考えてみたところです。

 著者が接しているのはバイオ系の学生さんなわけですが、その問題意識に肉薄したいと思い、著者はよく生物学の本や論文を眺めることがあるそう。そのとき非常に印象深いことは、「矢印のシステム」がいたるところに書いてあることなのだそうです。たとえば代謝のネットワーク、あるいは遺伝子発現の機構など。

 これらは、いってみれば「見えない矢印」を、「見える矢印」によって表現し、理解しようとしているわけであり、細かいことを除けば、まさに関手をつくりだそうとしているのだといってよいでしょう、と著者は語っています。(その最後のところに欄外注がついていて、哲学者田口茂氏のお名前が出てきます)

 これらの「見えない矢印」は実にさまざまの意味をもっていて、中でも重要なのは、矢印A→Bが、

    AがあるからBがある/AがなければBがない

を意味する場合ではないでしょうか、と話は続きます。これは、一見数学における「AならばB」と似ているようでありながら、異なるものであり、“むしろ「反対向き」であり,かつ,「順序」や「時間」といったことを捨象しない立場”というかっこ書きが添えられています。

 たとえば、AがあるからといってBが「必ず」あるとは限らない。むしろ、「蒔かぬ種は生えぬ」といったような関係をあらわす矢印と見るのが適切とのこと。

 そしてなんと、ゴーダマ・ブッダの「縁起」の話が出てくるのです。

 つい先日、別のことがきっかけとなり、noteで「無」がない話というテキストを書いたばかりなのです。考えてみれば『圏論の歩き方』第12章で縁起が出てくるのはすでに知っていたので、頭のどこかで意識していたのかもしれません。ちなみに私がnoteに書いたテキストは、中村元『龍樹』を参考にして中観派の考え方を少し取り上げたものであり、論敵であった説一切有部と何が違ったかについて「縁起」の話を出しています。

 『圏論の歩き方』第12章の著者である西郷さんは、ブッダの縁起を出す前に、先ほどの矢印のA、Bについて、

決定論とは注意深く切り離したうえで,これを「因果関係」と呼ぶことはさほど的外れではないでしょう.

(p.207)

と書いておられます。そして、丸で囲んだ「因」から、丸で囲んだ「果」へ矢印が出ている図が示されていて、その上に「因があるから,果がある」、下に「因がなければ,果がない」と示されています。

 ゴーダマ・ブッダが「縁起」を説いた際、「因果関係」をこの定式でとらえ、それに基づいた論理を駆使していたという話には欄外注があり、哲学者石飛道子氏のお名前が出てきます。

 縁起に触れられているのはほんの少しで、このあとは因果関係についての矢印の重要性のこと、まったく異なる分野である仏教と医学の共通点のほか、震災、原発事故といった言葉も出され、わたしたちはこれからますます、いままで見過ごしていた「見えない矢印」を「見える矢印」にしていく必要があることと、消し去るべき矢印を消し去る必要もあることについて語られています。さらに、アメリカ・インディアンの「自分の矢は自分でつくるしかない」という諺も示されています。

 著者は、数学は(圏論に限らず)その矢印を引いていくヒントを与えると信じるとのこと。というわけで、なせ数学を教えるのかという問いに対する著者の現在の答えは、「すべての人に矢印を引いて欲しいから」というものになっています。

 さて。

 さきほどお名前を出したおふたりの哲学者についてです。

 田口茂さんについては、西郷さんとの接点について検索してみたところ、神経科学者の土谷尚嗣さんとの共著である論文を見つけました。がしかし英文でございまして、いまは読み解く気力がなく…。もっとも、日本語でもわからなかったような気がします。ちなみにタイトルからしてすでに「Using category theory …」になっています。

田口研究室>2016年 01月 06日 Paper accepted
http://taghoku.exblog.jp/25242984/

 石飛道子さんについては、検索しても西郷甲矢人さんとの接点は見つけられませんでした。そのかわり余計なものを見つけてしまいました(と一瞬思ってしまった)。三浦俊彦さんと何か論争になっているのでしょうか? 三浦俊彦さんのお名前ってどこかで見たぞ、どこだっけ……とこのブログを検索して解明。クワインに興味をもったときに参照させていただいた方でしたか。こちらも、これ以上のことを調べる&読む気力がいまはなく…。

 ただ、西郷さんが哲学者の方々と議論をしながらご自分の考えを進めていっておられるということに対しては、興味津々です。いずれ機会があったら、さらにその先の話を読んでみたいです。

 それはそうとして、因果関係の矢印と聞いて思い出すのは、郡司ペギオ幸夫『時間の正体』を読んだときに出てきた因果集合のこと。あのとき本を参考にして自分で作った図がこちら↓(因果集合は、順序集合より)

   

 なんか当時それなりにがんばってましたね私〜。マルコポーロさんの論文も参照しようと努力したし。でも、がんばったわりに、結局、なんにもわからなかったというか、なんにも残っていないというか、少し何かつかめたかもしれないけれど、すっかり消えてしまっております。いま読んでもわかる気がしない…(涙)

 私にも「矢印プリーズ!」と言いたいけれど、自分の矢印は自分で作るしかないし、矢印はどうしたら作れるのかも自分で習得していくしかないのでしょう。

 以上、『圏論の歩き方』第12章を読んでいきました。このあとのQ&Aは割愛させていただくことにして、第12章についてはこれで一区切りにしたいと思います。


※ 読み落としや間違いに気づいたときには、そのつど訂正させていただきます。
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