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数学と数学教育
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『圏論の歩き方』第12章/間奏:ホモロジー理論(に苦戦する)

 『圏論の歩き方』第12章を読んでいます。

 いやー、なまじ理解しようとすると大変。きょうはとんちんかんなこといっぱい書くと思いますが、とりあえず投稿して、「そういうことだったのか〜」とわかったら、また訂正・追加したいと思います。(いろいろ疲れたので、記号の斜体指定は今回はナシということで)

 次は何の話かというと、数学内部における「比喩=関手」の効き目を見る一例としての、ホモロジー理論の話です。

 ホモロジー理論とは、「位相空間を対象とし,連続写像を射とする圏」(あるいはそれに類する圏)から,「加群を対象とし,その間の準同型写像を射とする圏」(あるいはそれに類する圏)への関手を用いる理論だというふうに、ここでは説明されています。

 さらに大雑把に言うなら、「図形の世界」の話を「量の世界」の話に翻訳するような「比喩=関手」を活用する理論だ、と。

 1ページ半強を使っての“間奏”なので、詳細なことは書かれておらず、ある命題の証明とブラウアーの不動点定理について触れられているのですが、私は「???」がとびまくり、その半分くらいしか回収できずに現在にいたります。

 話は、ある関手H があるとして、次のようになることのみを認めるところから始まります。

  H(円板)=0 (0のみからなる加群)
  H(円周)=Z (整数全体からなる加群)

  ※ イコールは本当は同型と言うほうが
    適切である旨コメントあり

 最初に別の本で加群について確認しておきます。参考にさせていただくのは、またまた谷村省吾『理工系のためのトポロジー・圏論・微分幾何 双対性の視点から』です。(p.82〜83)

 Mが群であるとは、任意の2つの元 x,y∈M の積 xy∈M が定まり、結合律、単位元の存在、逆元の存在という条件が満たされていることでした。

 そして加群(module)とは可換な積を持つ群であり、つまり任意の x,y∈M に対して交換律 xy=yx が成立するような群Mのことで、このような場合は積 xy の代わりに x+y と書くことにし、x+0=x なる元0のことを単位元と呼ぶ代わりに零元と呼び、x+ x´=0 となる逆元x´のことをーxと書く、ということのようです。

 あらま、では加群というのは、可換群、アーベル群のことなんでしょうか。英語表記も別々だし、加群は「○○ group」の形でもないし、なんかそういうイメージがないのですが。そもそもなぜ違う名前がついているんだろう? と思いきや、定義は同じだけど、文脈や付与された性質の違いによって使い分けられるということか。ふむ。

 加群について、もやもやしつつもとりあえずの確かめたところで、先の2式にもどると、H(円板)が0のみからなる加群でH(円周)が整数全体からなる加群というのは、単純に考えると不思議な感じがしました。逆のほうがイメージとしてはしっくりくるので。と感じる私は、たぶん根本的なことがわかっていないのでしょう。

 では、命題です。

=====
 
命題 円周から円板への埋め込み(つまり,円周上の点を円板上の点として見直す連続写像)を i とおく.円板から円周への連続写像 r であって、r i =id円周 となるものは存在しない. 
 
=====

 言い換えれば「円周上の点を動かさずに,円板内の点をすべて円周上にもってくるような連続写像」は存在しない(※)という命題のようです。直感的に言えば、円周のかたちをした枠に柔らかい膜を固定して張ったとき、膜を「破ることなしに」枠へ寄せてしまうことはできない、ということで、「それはそうだろう」と思うけれど、それをキッチリ示すのは結構難しい、と。

 最後の「それはそうだろう」というのは物体の感覚でそう思えますが、私にとっては命題そのものとそれの言い換え(上記※)と直感的いいなおしの間に、それぞれの断絶があるように感じられて、なかなか理解できませんでした。というかいまも理解できていません。

 とりあえず先に進むと、関手Hという「比喩」によって、「連続写像の話」を「準同型写像の話」に翻訳してみるということで、証明に入っていきます。

=====

証明

そのような r が存在すると仮定して矛盾を示す。H( r  i )に着
目する.
 まず,
  H( r i )=H( r )H( i )
となるが,これは「すべてをゼロにつぶす」準同型写像となる.
というのも,H( i )はZから0への準同型写像ゆえ「すべてを
ゼロにつぶす」し,H(r)も準同型写像ゆえ「ゼロをゼロにうつ
す」からである.
 一方,
  H( r i )=H( id円周)=idz
でもある.これは矛盾である.        (証明終わり)

=====

 上の証明に含まれている式は、関手の関手たるところだなぁと私でも感じられるので、「合成は合成に,恒等射は恒等射にうつす」という定義はさりげないようでありながら、比喩の効き目を保証しているという話には、なるほどと思えます。

 しかし、証明の中身がなんだかキツネにつままれたような気分なのでございます。前提が大胆なわりに、キッチリに感じられないというか。

 H( i )は「円周上の点から円板上の点への連続写像」が"関手によってうつされた”「射」、つまり写像であり、これはZから0への準同型写像ということになりますが、0のみからなる加群の元は0しかないので、とにもかくにも全部0にうつされると考えればいいのでしょうか。だから、「すべてをゼロにつぶす」と。ここで自分は加群の準同型写像がわかっていないことが発覚。

 というわけで、準同型写像について「物理のかぎしっぽ」さんのページで確認させていただきます。

物理のかぎしっぽ>準同型写像
http://hooktail.sub.jp/algebra/Homomorphic/

 ああ、自分が何にこんがらがっているのか少しわかった気がします。「射」と「関手」と「位相空間の連続写像」と「準同型写像」がごちゃごちゃになっているんだ。いまは、円板、円周に対する「連続写像」が「関手」によって「加群どうしの準同型写像」にうつされているのですよね?

 「円板」「円周」は、いまは「対象」。これらは、同じ「圏」の対象なんですよね?

 ということを確認したうえでわからないのは、やはり加群どうしの準同型写像。H( r )の場合は先ほどの逆で、0からZへの写像ということになるから、「0のみからなる加群」の対象である0から、Zのなかの対象である0へうつすという意味での「ゼロをゼロにうつす」ということなんでしょうか…って、なんかとんちんかんなこと書いている不安でいっぱい。
 
 円板、円周という「位相空間」と、円板上、円周上の「点」の区別、それぞれの「加群」と「元」の区別もついていないようですワタクシ。

 それから、最初の段階で、紙数の関係もあるから関手の構成法については一切述べないよ〜と書いてあるのはわかっているけれど、あの2つの式がなにゆえ認められるのかが納得できていないのも「???」の要因かもしれません。

 いろいろわかりませんが、先に進みますれば、いま証明した命題を用いるとブラウワーの不動点定理が証明できると書いてあるのです。
 
=====

ブラウワーの不動点定理) 

 円板から円板への連続写像 f は必ず不動点(f(x)=xとなる点)をもつ.

=====

 もし不動点がなければ、「f(x)からxへと引いたベクトルを延長して円周と交わった点をr(x)とする」ことによって、たった今存在を否定されたような r を作りだせることになるから…ということのようです。

 ただでさえよくわからない状態なんだからよせばいいものを、「ブラウワーはこの証明を認めるのだろうか?」と余計な疑問をもってしまいました。>直観主義論理が認めないもの (っていうか、このブラウワーってあのブラウワー?人違い?勘違い?)

 先ほどの証明って背理法ですよね? r については否定導入型(Aを仮定して矛盾が出る、それゆえ¬A)の背理法とみなしてOKと考えていいのでしょうか。でも、不動点が「ある」こと自体は、不動点を構成してみせないとあるとはいえない立場をとるのが直観主義論理だったのではなかったか。不動点がなければ、先ほど証明されたことと矛盾する。だから、不動点はある。これをブラウワーは認めるのか?っていうか、そもそも本人はどう証明しているのでしょうか。ウィキペディア>ブラウワーの不動点定理をのぞいてみるものの、さっぱりわからず。

 ・・・って、いやいやいまはそんなことを考えている状況ではないのですーっ。

 いろいろわかりませんが、この本が与えてくれるのは情報の洪水とトライアンドエラーの機会なので、立ちどまらずに先に進みたいと思います〜。

(つづく)

※ 間違いに気づいたときには(いっぱいありそう)そのつど訂正させていただきます。
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