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数学と数学教育
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『圏論の歩き方』第12章/比喩とは何か?

 『圏論の歩き方』第12章を読んでいます。

 3つ前のエントリで書いた「molと米原駅」の比喩の話は、先生と学生の会話調で進んでいくのですが、間をはさんでまた同じ学生さんが出てきます。どうやらその学生さんはmolのことがわかったようです。つまり、その学生さんの問題意識に対して、米原駅の比喩は効き目があった、と。

 molと米原駅の間に共通する本質なんてまったくないと言っていいにも関わらず、なぜ比喩として(一応は)成立したのか。

 それは,molおよびそれを取り囲む量の体系=「圏」と,米原およびそれを取り囲む旧国鉄の路線体系=「圏」の構造とが,似ているからです.
 つまり,わたしが苦し紛れに考え出した「比喩」は,「関手」だった,ということです.思い切って言うと,molと米原駅の例は,「比喩」を単に「対象レベルの関係」としてみることの不十分さを示しているのではないでしょうか.

(p.204)

 この最後の部分に欄外注があり、「比喩を関手としてとらえる」という考えは、本質的には、文芸学者西郷竹彦氏の文芸理論に基づいていることについて書いてあります。(「虚構の方法としての比喩」という言葉も出てきます)

 上記の指摘を読んで、私は2つのことを思い出しました。

 まず、遠山啓のこと。遠山啓がこの "比喩” に近いことを語っていたような気がして、それをブログに書いた記憶がうっすらとあり、検索してさがしてみました。が、どんぴしゃりなものは見つからず、このあたりのことかなぁ…と思ったのが次のエントリです。

現代数学は、本来は素人にわかりやすいはずのもの
http://math.artet.net/?eid=1421661

 さらに検索して見つけたのは、先日リンクしたばかりのこちら。

近代の「関数」から、現代の「群」へ
http://math.artet.net/?eid=1421656

 このなかの引用部分、
 しかし,ここで注意しておきたいのは,<もの―はたらき>の対立はけっして固定的なものではない,ということである。数学者はそこを自由自在に考えて,すこぶる融通のきくつかみ方をするのである。
のなかの、「数学者はそこを自由自在に考えて,すこぶる融通のきくつかみ方をする」というフレーズを思い出したかったかもしれません。ここは「比喩」についてではなく「ものとはたらき」の対立の話ですが、「molと米原駅って全然関係ないじゃーん!ただの比喩じゃーん!」と取り付くしまもないほど頑固に拒絶するような態度を数学(者)はとらないというイメージが、共通しているように思います。

 もうひとつは、思い出したというより、『圏論の歩き方』第12章の上記のフレーズを読んだあと読み直して、逆に上記のフレーズを思い出した記憶がある、銀林浩『量の世界・構造主義的分析』の第4章です。たとえば次のようなことが書いてあります。
 これまでの章を通じて,量と正比例関係とで1つのまとまった全体をなしていることがくどいほどわかったが,このことは純数学的にも保証されたわけである。
(p.161)

 私が現在理解している関手は、対象間の写像だけではなく、射たちの集まりの写像でもあり、そのことが『圏論の歩き方』第12章の先の引用部分や、『量の世界・構造主義的分析』の上記の引用部分につながるのかな?と感じています。その感じ方が的を射ているのかどうか、いまはわかりません。

 さらに上記引用部分に続けて、次のようなことも書いてあります。
 このことから得られる結論は何か? それは,正比例は量の体系と切り離しては考えられないということである。いいかえると,正比例関数はこの量圏の型射として扱われるべきものなのである。したがって,教育的にも,正比例関係は量の体系を構築してゆく手段として取り扱われるべきであるし,そうしてこそ初めて正比例というものの意義も理解されるということになる。
 ところが,これまで,正比例関係は y=ax というただの数学的パターンとしてのみ扱われていたし,量の世界の構築とは関係がなかった。一方,理科や社会科における諸量は,正比例を利用できないために,まったく非系統的にバラバラに,経験的にか天くだりにか与えられていた。これは,量にとっても正比例にとっても不幸な事態であったといわなければならない。
(p.161〜162)
 
 一方、『圏論の歩き方』第12章の先の引用部分に続く部分も、話の内容は異なりますが、教育について言及しています。
 教育においては適切な比喩というものが不可欠です.「比喩=関手」という理解は,したがって,教育においても重要になってくるのではないでしょうか.
(p.205)

 そして、数学内部における「比喩=関手」の効き目の一例として、ホモロジー理論の話が少しだけ出てくるのでした。

(つづく)

※ 読み落としや勘違いがあったときには、そのつど訂正させていただきます。
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