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数学と数学教育
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『圏論の歩き方』第12章/molは米原駅みたいなもの

 『圏論の歩き方』第12章を読んでいます。

 まずはじめに前回の補足ですが、長浜バイオ大学の入試のページや twitter でいただいた情報から考えると、微積分やベクトル・行列をほとんどやっていない新入生がいるというのは、不思議なことではなさそうだと思うにいたりました。

 で、「量の計算ができない」話です。掛けたらいいか、割ったらいいか、わからないまま適当にやる学生がしばしば見受けられるという状況があるらしいのです。「これはもちろん,恐るべきこと」だとも書いておられます。試薬の分量を間違えたら命にかかわることだってあるわけで。

 しかしなぜ「量の計算」ができないのか。職場の教員の方々と著者が至った共通認識は、「量には単位があるということの認識が薄いから」というもの(物理的ディメンションについての欄外注がついてます)。これは彼らのせいではないということも添えられています。
単位を意識するということはたしかに自然科学では重要とされていますが,それを「数学的構造」としておさえることは,よほど意識の高い先生に出会わない限りほとんどないのだろうと思います.その結果,頭が計算モードに入った途端,「量の計算」ということを忘れ,数値ばかりに目を奪われてしまう.
(p.197〜198)

 量の単位に着目すれば、「掛けたらいいか,割ったらいいか」は本来間違えようがないはずなのに、とのこと。

 そこで著者も次第に、こういうことを数学においてもきちんと位置付けるべきだと考えるようになったそうなのですが、ある日、「掛けたらいいか割ったらいいかわからない」学生と話をしていると、目の前に圏が舞い降りたのだとか。

 その学生は物質量の単位「mol」というものがなかなかスッキリわからなかったようなのです。いろいろ説明を試みたけれどなかなか伝わらない。で、思いついた喩えが、米原駅。

 何がどう比喩になるかというと、米原駅というのは京都・名古屋・長浜をつなぐ駅であり、一方、化学で物質を扱うときに出てくる基本単位「g」「L(本とは表記を変えています)」「個」は、「mol」という単位を持ち込むことでうまくつながるので、molは米原駅みたいなものだ、という話です。

 そのそれぞれについて図が示されています。「米原」を中央におき、「京都」「名古屋」「長浜」をまわりに配置して、それぞれ「米原」と2本(2方向)の矢印で結んだ図と、「mol」を中央におき、「g」「L」「個」をまわりに配置して、それぞれ「mol」と2本(2方向)の矢印で結んだ図。

 molのほうの矢印は、「根元1あたりの先端の量」を意味しており、

● 矢印の先端を根元で割れば,矢印がわかる.
● 根元に矢印を掛ければ,先端がわかる.
● 先端を矢印で割れば、根元がわかる.

という形で量の計算原理を表現している、と。

 ここでいったん自分の感想をはさみますれば、むかし懐かしアクリル毛糸圏(もどき)を思い出しましたです〜! もう、「もどき」をとっていいのかしらん!?

   
 「アクリル毛糸の量の圏」を作りながら思ったこと
 http://math.artet.net/?eid=1349680


 ほんでもって、先の計算原理の説明をし終えた瞬間、著者ははっとしたそうなのです。この小さなシステムは、

● 和が定義できる「量の集合」(線形空間,あるいはその一般化である加群)を「対象」として
● その間の「正比例関係」(線形写像,あるいはその一般化である準同型写像)を「矢印=射」として

定義されるような圏(の一部分)を書きだしたものだ、と気づいたから。そして合成としては、

● 「正比例関係」の合成=1あたりの量の掛け算

をとるので、結合律も満たしている、と。

となると、あとは「恒等射」です。

(つづく)

※ 引用部分以外は我流でまとめています。読み落としや勘違いに気づいたときには、そのつど訂正させていただきます。
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