TETRA'S MATH

数学と数学教育
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論理は人間を守ってくれるか

 先日、『考える人』2015年春号(新潮社)を購入しました。

 「数学の言葉」という特集が組まれていて、森田真生さんの文章(ヨーロッパ数学紀行)が掲載されていたからなのですが、意外にも、まず立ち止まったのは新井紀子さんの文章でした。ちなみに私はこれまで新井紀子さんの書籍を読んだことは一度もなく、今回はじめて新井さんのお考えに触れたわけですが、カラーの前編とモノクロの後編に分かれている前編のほうで、新井さんはこんなことを語っておられるのです。
 結局人間を守ってくれるのは、力でもお金でも友達の数でもなくて、「論理」なんだと。
(p.17)

 つまりはこういう話です。(以下、要約)

***

 数学アレルギーの人は多いが、自分も少女時代は数学が大の苦手だった。こんな人工的な問題を解く意味があるのか、と。

 「数学は言葉だ」と気がついたのは法学部時代の経験がきっかけ。具体的な話から始まる民法や商法は自分にはなじめなかったが、憲法と刑法は、公理のような大前提から演繹で筋道を通せるから、性に合った。

 大学では他に数学と経済をパラレルに習い始め、演繹的に考える方法論を、法律、数学、経済の三分野で経験した。

 ちょうどそのころ刑法の授業で、講演活動をされている冤罪被害者の女性に話を聞く機会があった。その方は終始、理路整然とお話しになり、どうしてこんな聡明な人が誤認逮捕されたのだろうと不思議だった。もしかしたら誤認逮捕されたときには、ここまでの論理の言葉を身に着けていなかったのかもしれない。刑法という公理と論理で闘う法廷で、真実を伝えるために論理を身に着けざるを得なかったのではないかと気づいた。

***

 というような話のあと、上の一文に続くのでした。

 いろんな考えの人がいて様々な言葉や価値観があるときに、対立が生じたり何が正しいのかわからなくなったりしても、検証する方法が確実にある。原理から検証できる方法こそ自分を守ってくれる。そういう感覚を新井さんは持たれたようです。

 さらには、誰もが論理を身に着けることができる、という前提で民主主義社会というものは成り立っているんだと思うに至ったとのこと。

 この話を読んだとき、共感するとかしないとかの前に、何かを思い出しそうになって立ち止まった私。

 で、その″何か”はすぐに思い出せました。こういうときブログを書いておくとメモになって便利です〜。これです〜。>スピノザ、三数法、わかるということ、合理主義者


 違った…。論理じゃなくて真理だったわ……。


 國分功一郎『スピノザの方法』に示されていた、デカルトとスピノザの真理の違いのことを思い出していたのです。

 デカルトにとって真理は論駁する力、説得する力をもつ強い真理でなければならない。これはデカルトが徹頭徹尾他者に向かっていたことを意味する。デカルトの考える真理には、他者がつねに陰を落としている。
 それに対し、スピノザは、自分がデカルトのように問い詰められるかもしれないことなど気にもとめず、「いや、何事かを知っている者は、自分が何事かを知っていることを知っている」と述べているわけである。

(國分功一郎『スピノザの方法』p.47/斜体は傍点付き)

 そんなスピノザが、神を示すにあたりユークリッドをお手本にしたというのは、面白い話だなぁ!とあらためて思います。>スピノザの『エチカ』、その幾何学的秩序

 もしスピノザが冤罪でつかまりそうになったら、神を示したのと同じ方法で自分の無実を示せたでしょうか!?笑

 新井さんは、民主主義社会では、論理で戦う枠組みだけは少なくとも備えられているので、そういった論理を持つ構えをすべての子どもたちに身に着けさせてあげたいと思うようになり、子ども向けに算数や数学に関する本を書くようになったのだとか。

 なお、『生き抜くための数学入門』という本では、中学や高校で、嫌なことがあったり先生の言うことが納得できなかったりするときに闘う方法としての論理をまとめたのだそう。戦うための、闘うための、論理なのですね。(だから私はこれまで新井さんの本に出会う機会がなかったのかしらん!?)

 ここでのお話はお話として(取材と文は編集部)、新井さんのお考えをもっとちゃんと知りたいのなら、著書を読んだほうがよいようにも感じました。

 いずれにせよ、論理で戦って、そして勝つためには、その論理を共有していることが何よりの前提となるのでしょうね。そして論理を共有できたとき、それは戦いではなくなっているようにも思います。

 あ、あとひとつ思い出したぞ。>構造構成主義に対する第一印象

 あらま、こちらは「論理」ではなく「信念対立」でした。

 新井さんは、数学は今でもそれほど好きじゃないそうですが、数学の言葉を身に着ける前に比べて圧倒的にチャンスが広がったそうです。そのことを、特に女の子たちに伝えたかったというのが、数学の啓蒙書を書くようになった動機なんだとか。

 「論理は私を守ってくれる」ということを、新井さんは自分の人生のデータから帰納したような、そんな印象も受けました。

 ちなみに前編では、新井さんが書いたと思われるホワイトボードの写真も掲載されており、そのなかに「ヴィゴツキー」と読める赤い文字があるのが気になっています。

 いったい新井さんは、どんな話をされていたのでしょうか。なお、示されている式は、下記リンク先のホワイトボードの内容と似ているようです。 http://dot.asahi.com/aera/2015012100106.html
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