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数学と数学教育
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杉山吉茂「かけ算の意味」から、比例について

 筑波大学附属小学校算数研究部企画・編集の『算数授業研究 VOL.80(かけ算を究める)』(2012年)を読んでいます。



 杉山さんは、かけ算の意味について4ページ分の文章を書かれているのですが、そのうち丸々2ページを比例の考察に割かれており、まずは2ページめ(p.5)の最後でこう語っておられます。
 かけ算は,最終的には「比例する2量の一方から他方を知る計算」と見ることができる。もう少し丁寧に言えば「yがxに比例するとき,比例定数kを知って,kとxからyを求める計算がk×xである」と言える。比例であることがわかっていれば,xが自然数であろうが,有理数であろうが,このことは成り立つのであるが,この域にどのようにして達するかが問題である。

 かけ算は、比例する2量の一方から他方を知る計算「である」というわけではなく、「そう見ることができる」というのがミソだろうと思っています。そして実際、算数の教科書は、かけ算を比例につなげることを強く意識して組み立てられています…というか、組み立てられているはずでした。

 遠山啓がいた時代には明確に意識されていたであろう(そして未完成に終わった)比例までのつながりを、現在、どのくらい意識したうえで教科書が作られているのか、私にはよくわかりません。考えているかどうかわからないけど、都合よく“使って”いる。

 たとえば、かけ算の計算を小数に拡張するときに、「針金の長さと重さの関係」などが使えるのも()、この2量に比例関係があればこそであり、大根やにんじんを題材にすることはできません。また、かけ算を分数に拡張するときに“ペンキを塗る”のも同じことです()。

 小学校では、比例の定義を「2つの数量A,Bがあり,一方の数量が2倍,3倍,……と変化するに伴って,他方の数量も2倍,3倍,……と変化するとき,AはBに比例するという」としていますが、これを杉山さんは次のように関数の式を使って確認しています。

  nに対応する値をf(n)とすると、mを自然数として,
     f(mx)=mf(x) …[1]
  この定義に基づくと、
     f(ax+bx)=f[(a+b)x]
           =(a+b)f(x)
           =af(x)+bf(x)
           =f(ax)+f(bx)…[2]

 xを1とすると、[1]から、f(m)=mf(1)
        [2]から、f(a+b)=f(a)+f(b)

 これらのことから、
  f(2)=f(1+1)=f(1)+f(1)=2f(1)
  f(3)=f(1+1+1)=f(1)+f(1)+f(1)=3f(1)

 つまり、自然数のときは、かけ算は同数累加と考えてよい、というわけです。2回たすことを「2倍」、3回たすことを「3倍」ということにし、2倍、3倍、……の値を求めることを「かけ算」といい、×2、×3と表すことにする、と。

 有理数についてもこの式が成り立ち、f(x)のxを1・xと見て、f(x)=f(m/m・x)から式変形をして f(1/m・x)=1/m・f(x) までもっていって、このあと f(n/m・x)=n/m・f(x) を導く式が書いてあります。

 n/m が問題になるのは小数のかけ算の意味を考えるときであり、自然数と自然数の間でも比例になっていることを確かめる必要があるとして、皿にリンゴが5つずつのっている場合、欠けた皿にはふつうリンゴはのっておらず、欠けた部分は比例関係が成り立っていないから、かけ算を使ってリンゴの個数を求めることはできない、という話が示されています。

 途中を省略して先に進むと、比例の定義の式 f(mx)=mf(x)の両辺をmxで割って、

  f(mx)/mx=mf(x)/mx=f(x)/x=f(1)…[3]

が得られ、この比の値は比例定数であるが、左辺を見ると異種の量の割合なので内包量と見られるとして、数教協の話に入っていきます。→数教協の人達は、わり算を(外延量)÷(外延量)で(内包量)を求める計算とし、(内包量)×(外延量)で(外延量)を求める計算をかけ算と考えている(から、自然数でも有理数でも区別することなくかけ算が使えるという)。

 そして杉山さんは、[3]の式の右辺のf(1)は「一当たり量」を示しており、f(x)/x=f(1)から、比例の式 y=f(1)・x が導かれることからも、(一当たり量)×(いくつ分)という式が得られ、内包量と見なくてもすむ、と書いておられます。が、私にはその意味がよくわかりませんでした。f(x)/xというのは、数教協風に言えば、外延量/外延量ではないのでしょうか?

 で、このあと「私は、内包量の考えは,かけ算の前にわり算があるようであり,一皿分を内包量と見ることが不自然な気がする」という例の記述につながるのでした。

 ちなみにその直後で、

同数累加のほうが自然な気がするのと同時に,きめていたことが不都合になったときには,それまでのことも含めて新しい事態に対応することを考えるという経験をすることも大切に思う。

(p.7)

と書いておられます。私もこのことには同意しますし、そう書いてきました。たとえば、累乗の指数の拡張にも、同じことが言えるのではないでしょうか。

 さて、それはそうとして。

 上記の f(1) は何かというと、x=1のときのf(x)の値であり、ここに重きをおくのがまさに「帰一法」と言えます。このことはむしろ、多次元量の拡張された帰一法で考えるとわかりやすくなるかもしれません。

(つづく)
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