TETRA'S MATH

数学と数学教育
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遠山啓を、だれも乗り越えられていない。

 筑波大学附属小学校算数研究部企画・編集の『算数授業研究 VOL.80(かけ算を究める)』(2012年)を読んでいます。



 TOPICのトップバッターは前早稲田大学教授の杉山吉茂さんです。たぶん私、ナマの杉山さんのお姿を、一度だけ遠くから拝見したことがあります。記憶・記録違いでないのなら、2000年の数教協全国研究大会(東京)において。当時、日本数学教育学会の会長を務められていたはず。いまは名誉会長。

 杉山吉茂さんと、当時、数教協委員長であった野崎先生と、実行委員長の小澤先生の鼎談があったのです。おそらく数教協の大会に日数教の会長が招かれる&参加してもらえるというのは画期的なことだったんでしょう。

 『算数授業研究 VOL.80(かけ算を究める)』に収められている杉山さんのTOPICの本文タイトルは、「かけ算の意味」となっています。現在の教科書の多くは、同数累加の立場に立ちながら、その姿勢は見せないようにしていること。小数の式をつくるときにも、自然数のときに作られたことばの式に有理数を当てはめるという安易な対応をしていて、意味の拡張などしていないことなどを指摘しています。教師の多くもそれを疑わないですましているようだ、とも。

 その原因は文部科学省にもあるとして、平成10年の学習指導要領解説p.132の記述を引用しています。
「……その際,数量の関係が同じ場所では,整数の場合に成り立つ式の形は,小数の場合にも同じように用いていくという考えにより,小数の場合の式をつくっていく。
 例えば,1メートルの長さが80円の布を2メートル買ったときの代金は,80×2という式で表せる。同じように,この布を2.5メートル買ったときの代金は,80×2.5という式で表せる。」

 これに続いて,「こうしたことから,整数や小数の乗法の意味は,(基準にする大きさ)×(割合)=(割合に当たる大きさ)とまとめることができる。」と書かれているが、整数の場合の式に当てはめて小数のかけ算の式を作っていて、このようなことがわかるだろうか、と杉山さん。

 そして話は平成20年の学習指導要領解説に移ります。算数的活動として「小数についての計算の意味や計算の仕方を,言葉,数,式,図,数直線を用いて考え,説明する活動」をあげ,「120を1と見たとき,2.5に当たる大きさを120×2.5と表す」(p.146)という記述があるけれど、これは、本来、本文に書くべきことであろうと杉山さんは書いています。

 この発想は、既測量を「1」とおくことは困難か?/「倍」としてのかけ算で示した、倍としてのかけ算の発想です。これを本文に書くということは、学習指導要領において、乗法が小数に拡張される際には「倍の概念」を使って乗法を定義しなおすということになろうかと思います。

 前回のエントリで「どっちやねん!?」と書きましたが、実は辻褄があっていて、結局、自然数の段階では「同数累加」で乗法を扱い、小数に拡張されるときには「倍(割合)」の発想で定義しなおしたらどうか、という話だと私は理解しました。ここに「1あたり量」は一切からんでいないのに、「1つ分の数×いくつ分=全体の数」は健在なのです。つまり、数教協の名残が残っている。

 しかも、数教協の方法論に賛同している人が多い中で残っているわけではなく、メインストリームの人たちは賛同していなくて、それなのに残っているのだから、なおさら厄介。

 そして、田中博史さんの「研究発表」のほうの文中に、4マス関係表の発想の源は中世ヨーロッパの「三数法」にあるという話が書いてあって、いろんなことが腑に落ちました。

 かつて、Double Number Line と化した二重数直線に対し、

なんだか、中世ヨーロッパの商人の三数法と同じレベルのものを、日本から輸出しているような気がするのは私だけでしょうか。

と書いたことがありましたが、気がするだけじゃなくて実際にそうなってました。これは二重数直線の話ですが、4マス関係表と根は同じでしょう(ちなみに礒田正美さんの論考中に、比例数直線をデカルトと絡めて論じた部分がありましたが、これについては後日触れる予定でいます)。

 「意味が大切だ!!」と、これでもかこれでもかと声高に叫ぶ一方で、「問題が解ければそれでいいじゃん」という発想の方法論が採用されており、このねじれがさらにめんどくささを生んでいるような気がします。

 数教協の「量の理論」は確かに大きな問題を含んでいたと私も思います。そして、おおもとが未完成のうえで、中途半端に教科書に取り入れられてしまったのでしょう。しかし、時代としても、登場人物としても、団体としても、あのときのようなうねりを起こせる状況には、もはやない。

 結果、遠山啓および数教協批判はできても、それを乗り越えることはまだだれもできていないのだと、しみじみ感じます。もちろん、私自身も。何しろ系統的な学習は、最初からから最後まで筋が通っていないと達成されません。そして結局、「よくないところ」だけが受け継がれてきているのだと思います。

(つづく)

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