TETRA'S MATH

数学と数学教育
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手島勝朗さん、杉山吉茂さんを手がかりに、「1あたり量」の問題点について再考する。

 筑波大学附属小学校算数研究部企画・編集の『算数授業研究 VOL.80(かけ算を究める)』(2012年)を読んでいます。




 前回書いたように、この冊子には遠山啓の「量の理論」がけっこう出てきていて、なかでも手島勝朗さんのまとめはシンプルで、勉強になりました。

 先に私の言葉で説明を加えておきますと、たとえば4mで9.2gの針金があったとき、1mあたりの重さは 9.2÷4=2.3(g)で、これがいわゆる「1あたり量」になるわけですが、小学校2年生の段階では、わり算を使わずに「1あたり量」をもってこなくてはならないので、「1なんとか」にあたる「容器」を準備しなければなりません。当時でいえばウサギのお面の部品の本体がその一例でした。いまでいえば「お皿」や「ふくろ」がその"容器”にあたるかと思います。

 手島さんはこのことを、次のようにまとめておられます(罫線で囲まれている部分は[ ]でくくりました)。
1あたり量は,例えば,
[3個で60円のみかん,1個のねだんは?]
の単価にしても,
[3時間で120km進むバスの速さは?]
などの時速にしても,そこには,わり算が介在する。1あたり量を理解させるには,わり算の知識を抜きにしては語れない。しかし,この段階の子どもたちは,わり算の知識を学習していない。そこで,水道方式では,自然に,直観的に付随する,1あたり量が認識できる素材を特定してきた。
(p.14〜15)

 そうしてこのあと、ぞう2頭のイラストの下に「(ぞう1頭あたり鼻1本)×2」「(ぞう1頭あたり足4本)×2」という式が示されているのでした。手島さんはこの前の部分で、「1あたり量に関し,水道方式はそれなりの問題点を抱えてきた。それは,[1あたり量そのもののとらえさせ方]である。」と書いておられますが、上記のような"とらえさせ方”のどこがどう問題なのかまでは踏み込んでいません。(ちなみに直接異を唱えているのは、「小数×小数」→「整数×小数」→「小数×整数」という水道方式のカリキュラムに対して)

 また、杉山吉茂さんは、p.7で、  
 私は,内包量の考えは、かけ算の前にわり算があるようであり,一皿分を内包量と見ることが不自然な気がする。 
と書いておられます。

 結局、手島さんも杉山さんも、遠山啓の「1あたり量」を、分離量から導入することが受け入れられない(不自然だと感じる)のだと思います。

 遠山啓の「量の理論」を理解しようとするとき、「内包量」を「実在する量」と認めるかどうかがかなり重要な論点になると私は思っているのですが、そこには「わり算」をどう見るかも関わってくるでしょう()。だから、遠山啓は森毅とさえ意見が分かれたのだろうと私は認識しています()。

 で、わり算というプロセスを念頭におかない「1あたり量」に無理があるとするならば、やはり「倍」でかけ算を導入したほうがいいんじゃない?いう方向に考えは進みます。いいかわるいかはおいといて。つまり、4×6を、「みかんを1人に4個ずつ6人に配ったときのみかんの総数」ではなく、「4個の6倍」と考える。そうすればここに「1あたり量」は絡まない。4個そのものが「1」だから。>既測量を「1」とおくことは困難か?/「倍」としてのかけ算

 なお、手島さんは、遠山啓の「量の理論」を説明するまえに、文部省発行の指導資料(昭和55年)をとりあげています。この資料では、乗法を累加の簡便算として意味づけしようとしているのですが、このような意味づけでは×小数や×分数に対応できないということを説明したうえで、(時代は逆にさかのぼってしまうけれど)昭和26年の学習指導要領で×小数、×分数が中学校にまわったこと、その後、基礎学力の低下ということもあって昭和34年に再び小学校に戻ってきた経緯などについて説明されています。

 というわけで、昭和30年代の算数教育界では、×小数、×分数をどのように取り扱えばよいか大きな話題を呼び、その流れの中で登場してきたのが、水道方式でよく知られる遠山啓氏であった…というふうに「量の理論」に入っていくのでした。すっかり話を逆転させてしまいましたが。

 あれから時は流れ、算数教育界の重要な位置におられる方が「(整数の段階での)1あたり量って不自然」と感じておられるのなら、いっそ乗法を「倍」で定義するところにもどればいいのに、どうしてそうならないんだろう?と首をかしげてしまうのでした。こんなに、なんでもかんでも二重数直線で説明しちゃうんなら、いっそ、倍で定義して、そのまま割合にもっていけばいいのに、と。

 結局そうなってないのは、過去の流れを断ち切る勇気がないだけかもしれないな、と勝手に想像しています。「1つ分の数×いくつ分」に切り替えたときと同じ勇気をもっている人が、教科書業界のまわりにいないだけなのかもしれないな、と。

 ただし、守屋義彦さんは、"倍概念"の考え方については、あまり初期の段階で子どもたちに提示しないほうがよいのではないか、と述べられています(p.40)。その理由としては、同数累加の考え方とのちがいがはっきりせず、倍概念も同数累加で処理してしまう恐れがあり、結果的に小数や分数のかけ算で混乱させてしまうことになりかねない、と。

 乗法・除法を加法・減法と切り離し、最初から加法を絡ませずに乗法を定義する数教協方式でいくか、小数、分数が出てきたときに、あらためて乗法の意味を拡張させるのか、というのが数教協と文部省の対立点であったような記述をされている方もいらっしゃいましたが、対立点はもっと深いところにあったわけで、そこまで踏み込んだ解説はさすがに見つけられませんでした。また、それを求める場面でもないことでしょう。

(つづく)
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