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数学と数学教育
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母を送る夏(教師人生篇)

 8月23日(22日深夜)、母が永眠しました。

(どこかで起きていて、バリバリ何かやっているような気がするので、この書き方は少々抵抗があるのですが…^^;)

 生活ブログで概要篇気持ち篇を書いたので、こちらでは教師人生篇を書いてみたいと思います。



 本日、常体にて。

 母は81歳で逝った。現役教師を退いて約20年。父は約10年前に亡くなっているし、姉も私も故郷をはなれているので、通夜・葬儀の参列者は親戚のほかは母の関係者のみということになる。

 連絡をしたのは、祖母の時代から大変お世話になっている方と、長く住んでいた地域でお世話になった方、そして母のふるくからの教師仲間で私が連絡先を知っている方。

 新聞広告も出した。ご縁が深かった(けれども連絡のとりようがなかった)方々に届くことを祈って。

(しっかし、あのサイズであのお値段なんですねぇ、新聞広告って。ちょっとびっくり。でも、こういうときにはやっぱり、ネットではなく紙媒体が頼りになる気がする。)

 電話で連絡が届いた方や、新聞を見てくださった方が、お通夜、葬儀・告別式に参列してくださった。新聞広告を出したのは大正解で、私が連絡先を把握していなかった同窓会の方々も来てくださっていた。

 告別式が終わってから、「ああ、あの方にも連絡すべきだった…」と後悔した場面もあったけれど、いまとなってはどうしようもない。いざというときの準備をしようしようと思いつつ、結局なんにもやらないままそのときを迎えてしまった。そういうものかもしれない。

 総括するに、どうやら母は、いろいろな人に影響を与えた教師であったらしい。もちろん、参列していただいたことをデータ抽出と考えると、かなり偏りがあるので、これをもってして「母は非の打ち所のないすばらしい教師だった」と結論を出すわけにはいかないのだが、少なくとも参列してくださった方にはそれぞれの思いがあるようだったし、これだけの人にこれだけの影響を与えたのなら、やはりよい教師だったのだろう。

 母の勤務校は7校くらいだったと思うが、いろいろな時代の教え子さんが来てくださっていて、年齢もさまざまだった。なかには独身時代の母に教わったという方もいらした。現在、教師になっている教え子さんもいたし、私たち娘が小さい頃にいっしょにキャンプに行った教え子さんもいた。

 参列された方はそれだけの思いがあるということだから、たとえばここに来られていない方で、母と相性が合わなかった方々というのはもちろんいるだろう。しかし、現役を退いて20年たって、教師仲間はもちろん、直接連絡をしなくてもこれだけの教え子さんがお別れに来てくださったのだから、やはり母はしあわせな教師人生を送ったのだと思う。

 母の葬儀をお願いした葬儀社の対応は、完璧だった。「仕事っていうのはこういうふうにやるんだよ」と、母が安置されていた○○病院に言いたいくらい。救急で休日で忙しい(死んだ人より生きている人、助かるかもしれない人優先ということ)ならよくわかるが、様子を見るにつけ、そういうことでもないように思われた。

 葬儀社の方々は、担当責任者をはじめとして、すべてのスタッフの動きがよく、接していて安心感があった。このような状況に慣れているプロだからあたりまえといえばあたりまえなのかもしれないが、この仕事に関わる全員がそうではないことを、私たちは父のときに知っていたから、なおいっそう、そう思えた。(思い出すと父が少しかわいそうだ)

 式場の入り口に、母の思い出の写真を貼ったボードを立ててもらえるようになっていて、その横に、折鶴を折るための色紙が置かれていた。参列者の方々に折っていただいて、棺におさめるものらしい。で、母といえばユニット多面体ということになるのだが、悲しいかな娘たちはユニット多面体を本を見ずに折ることはできない。いや、本を見てもすぐには折れない。

 実家にはかつて夥しい数のユニット多面体があって、プラスチックケースなどに大量に収納されていたのだが、家を引き払ったときに全部処分してしまったらしい。少しは残していたんじゃないか?という話になったのだが、どこにも見当たらない。

 で、折鶴用の色紙を置いている場所に「ユニット多面体を折れる方、よろしくお願いします」的なことを紙にちゃらっと書いて本とともに置いていたら、葬儀社のスタッフの方が見つけてくださって、その紙に装飾をほどこしてくださって、「こういうのですか?」と、なんと、ユニット多面体をもってきてくださったのだ。星型の、比較的面数が多いものだった。葬儀社の営業の娘さんが折ったもので、フロント(?)に置いてあったものらしい。

 「そうです、そうです、こういうのです!」とお借りして、見本として置かせてもらった。

 が、さすがにあの時間枠のなかで、ユニット多面体を折ってくださった方はいらっしゃらなかったと記憶している。簡単なものでも時間がかかると思うし、せめてベースとなる紙の準備をしていないと、すぐに折れるものではないだろう。ちなみに姉は角香箱的なものを折り、私はいわゆる風船を立方体に仕立てた。娘は犬を折り、それとは別に″友だち”の絵を描いた。葬儀の日は友引で、気にする方は人形を添えるということで、人形のかわりに娘が絵を描いたしだい。

 出棺の前、棺にお花を入れるときに、お借りしたユニット多面体をお返しすべく別のところにおいていたら、担当責任者の方が気づいたらしく、いっしょにおさめてかまわないということで、そのユニット多面体も母に添えさせていただいた。折り紙の本と、それから数学にまつわる別の本も入れた。そして、たくさんのお花も添えた。

 生活ブログの「気持ち篇」でも書いたことだが、棺の母に花を添えながら「いろいろあったけど、まあ受け継いでいくよ」という言葉が口をついて出たと記憶している。何をどう受け継いでいくのか自分でもわからないが、すでに否応なく引き継いでいるような気がするし、それは母のためというより、努力してというより、自然とそうなっているような気がする。たとえ教師という道は選ばなかったとしても。

 なお、8月上旬に帰省したときに、母は酸素ボンベのお世話になっていて、だいぶ痩せていて、それなりの衰えを感じていたのだが、話をしてみるとわりとしっかりしていたし、老人ホームのスタッフの方のお話だと、本を読むときにはしゃんとされているとのこと。

 で、老人ホームの個室でなんとなく居心地がわるかった私は、「ばーばvs.娘」で、簡単な問題を使って数学対決をさせることを思いつき、そうしたらあっというまに場がなごんだのだが、これが最後の思い出となった。数学の問いに答えるときの母は、一瞬、昔にもどったようだった。

 結局、母は、数学が好きで、そしてたぶん、数学を好きな自分を好きだったんだと思う。

 本望だったと思う。
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