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芦田宏直×本間正人 トークセッション『ソーシャルメディア時代に求められる人材像とは?』の動画を観て(7)/質疑応答(その3)

 芦田宏直さんと本間正人さんのトークセッションの感想を書いています。

 芦田宏直×本間正人 トークセッション
 『ソーシャルメディア時代に求められる人材像とは?』
 (芳林堂高田馬場店)

 http://www.ashida.info/blog/2013/11/post_427.html

 上記のページからもいけますが、YouTubeはこちらです。↓
 https://www.youtube.com/watch?v=k4X9uJCeUws



 質疑応答の4つめ(動画開始1時間31分後くらい)は、「グローバル化、グローバル人材」について。

 芦田さんはまず、グローバル化によって高卒の労働市場が消えたことに触れます。低位なジョブ職、製造業や、IT、女性労働、非正規雇用によって肩代わりができる部分が国内から消えた、と。だから、高卒、短大卒、専門学校卒の就職場所がない。

 大学卒の就職率は、好不況の波と相関しているけれど、専門学校や一部専門学校的な短大の就職率は好不況と関係なく落ち続けている。それはなぜかというと、2年間のスキル教育くらいで通用する市場が国内から完全に消えてしまったから。

 だから、グローバル化対応というのは英語の勉強の問題ではなく、非正規雇用に打ち勝てるような人材を新卒の状態でつくれるかどうか、ということ。そのためには、「高度職業人」の育成が学校教育体系のなかにビルトインされていく必要がある、と。

 つまり、グローバル化対応というのは、日本の若者を、アジア全体の若者のリーダー、センターにしていくということ。偏差値40の人も、日本では部長になれないけれど、中国やインドネシアなら課長や主任になれるかもしれない、そういうところで考えていけばいい。高いところから低いところまで有為な人材になるように。

 アジア全体の若者の労働センターとして日本が主導権をにぎっていこうと思ったら、高度な超一級の新卒の職業教育体系から、低位な(中国やインドネシアなら課長や主任になれる)ところまで、全体を考えていかなくてはならならず、アジア全体の労働偏差値を考えていかなくてはならない。そのときに、日本の技術力、教育力がどういうふうに活かされるのか、というのが芦田さんの構想のようです。そのためには、超一流の高度職業教育がないとだめだ、と。(最後の部分は私がかなり我流でまとめています。)

 一方、本間さんは、悲観的というか、大変な状況だなぁと考えておられるようです。子どもの数が減って、大学経営としては留学生を入れなくてはいけない状況になっているというのがグローバル化。このことによって、これまで遊んでいた大学生が、学習意欲の高いアジアからの留学生に接して、ヤバイと思って背筋を伸ばす、これはいいことだと思う。

 しかし、(実際に仕事に就く場合について考えるとき)東大や京大や早稲田が日本のトップだと思っていたのが、気がついたらシンガポールにインシアードが来ていたり、イェール大学がアジアに進出していたりして、そっちのほうが国際的な偏差値が高いじゃないかということになって、日本は大学もガラパゴスになっていたのね……とならないように舵をきらないといけない、ということをすごく思っていると。

 そのために大事なことは何かというと、本間さんは大学のバリエーション、多様さだと考えておられるようです。ジェネラルエデュケーション、リベラルアーツでとことんやる大学があってもいいし、秋田の国際教養大学のようにとことん英語でやるようなところがもう2つ、3つあってもいいと思っている。文部科学省が旗を振ったらみんなそっちに向いてしまうというのは、事実的?自立的?(すみません、よく聞き取れませんでしたが、どちらでも意味は通りますね)に考えていないということであり、そういう大学経営者があまりにも多すぎるという危機感のほうをむしろ強く持っている、というのが本間さんの感触のようです。

 そして5人め、ラストの質問は、「大学生に対して、何をやったらいいか、アドバイスをいただけたら…」というもの。

 本間さんは、一人一人に対して違うから、みんなに共通して言えることはほとんどない、と答えられます。コーチングというのは個別的な対応であり、相手によってまったく違うことを言っているので、と。

 これに対して芦田さんは、「学校の外へ出るな」というシンプルな答え。夏目漱石全集など、ひとりの全集を全部読むくらいのことをやれば、そこらへんのいい加減な社会人には必ず勝てるから、一歩も出るな、と。

 そしてこのあと芦田さんは、先ほどの質疑応答の本間さんの回答をふまえて、このような話をされます。大事な話なので、という前置きのもと。

 先ほど、日本の一流とされている大学(←私の勝手なまとめ)は実は三流なのではないかという話があったが、その指摘はずっとされていて、世界基準でいえばすごくうしろのほうであり、自分はアジアを見下すようなことを言ったが、実はアジアの大学ほうがはるかにグローバル化していてレベルも高いという議論はよくある。

 それはそれとして事実だと思うけれども、実は日本にはすごく大きな資産があると思っている、と芦田さんは続けます。それは何かというと「消費偏差値」の高さ。
(※ この話は『努力する人間になってはいけない』にも出てきますし、芦田さんのブログでも読めます→http://www.ashida.info/blog/2012/06/post_417.html

 日本の若者は小さい頃から高度な消費社会を生きてきて、商品やサービスはどうあるべきかということがわかっている。つまり、商品やサービスに対する批評力を身につけていて、細かいことを要求する。これは大きなパワーで、(学力の)偏差値の高い低いと関係ないものであり、日本がもっている非常に大きな国力だと思う、と。

 その消費偏差値の高さを逆手にとった、それこそカウンセリングもコンサルティングも含めて、いろんな道筋で日本の若者をきちんとした社会人にしていくルートというものはあるのだけれど、その価値を教育側は全然気づいていない、と芦田さんは指摘します。大学のレベルが低いということはあるけれど、消費偏差値を大事にして教育体系にうまく取り込んでいく職業教育体系はできると思う、と。

 そして、楽天の幹部から聞いたという話が出てきます。楽天は北京大学などアジアの大学の優秀な人をいっぱい採用しており、彼らは頭はいいからなんでも言ったとおりやるのだが、なぜこれをやるのかを説明するのがとても大変だ、と。日本の若者はバカでもそこだけはわかる。その理由はわかっているけれど、どうしたらいいかがわからない。それが偏差値の問題なのだけれど、どちらからアプローチするかはそんなに簡単じゃないと、楽天のような少しずつグローバル化しつつある企業の人たちもそう思っている。

 ここの価値を企業の人たちはわかっているが、肝心の教育側がバカはバカだと思っている。大学の先生たちはバカな連中を憎んでさえいる。なぜ自分たちがこんなひどいやつを教えないといけないか、経営側は誰でも入れろと言うし、と。

 大学の価値という問題と、日本の若者が自然に身につけている消費文化レベルのようなものとの関係をちゃんと考えていかないと、国力としての教育がトータルに考えられないのではないかと思っている、そういうことの提案もこの本のなかでさせていただいている、と芦田さんは発言をまとめられます。

 トークセッションのまとめは以上です。

 質疑応答を含めて、いい感じの締めくくりになったなぁ、と思いました。

 で、せっかくいい感じでまとまっているのに恐縮ですが、楽天の話が出たのでひとこと。楽天本体ではなく子会社の話ではありますが、楽天さんは「消費偏差値の高い」日本の若者をもっと採用して、進出するジャンルによってどうあるべきかの感覚を働かせ、利用者がイラッとするようなことをやめたほうがよいと思います。私は、いくつか不快要素はあったのだけれど、あることに背中をおされて楽天をやめました。それ以来、楽天経由では意地でも買い物をしないようにしています。芦田さんがおっしゃるように、消費者は黙って去るのです(この場合、私はやめる理由をひとこと書いて退会しましたが)。

 私のほうはなんだか妙な締めくくりになってしまって若干残念ですが、ちょうどよい機会だったのでひとこと添えさせていただきました。



 と言うわけで、長いこと『努力する人間になってはいけない』に関連した話を書いてきました。とても面白かったです。そして、次に考えたいことも湧いてきました。中学生の保護者としては、これから高等教育に向けて考えを進めていきたいし、自分の当面のライフラークとしては、引き続き初等教育を中心に考えていきたいと思っています。

 

 

〔2018年4月30日:記事の一部を削除・修正しました〕

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