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芦田宏直×本間正人 トークセッション『ソーシャルメディア時代に求められる人材像とは?』の動画を観て(3)

 芦田宏直さんと本間正人さんのトークセッションの感想を書いています。

 芦田宏直×本間正人 トークセッション
 『ソーシャルメディア時代に求められる人材像とは?』
 (芳林堂高田馬場店)

 http://www.ashida.info/blog/2013/11/post_427.html

 上記のページからもいけますが、YouTubeはこちらです。↓
 https://www.youtube.com/watch?v=k4X9uJCeUws



 動画の40分後以降は、「では職業教育はどうあるべきか」という議論になっています。これまでの本間さんの話を受けると、現在のキャリア教育の発想は、「いわゆるできない子(偏差値の高くない学校に進学するような生徒、学問の純粋な楽しさを味わえない生徒)に通用する職業教育」という流れになっており、逆に、職業教育というのはそんなにいい加減なものでいいのか、逆にできない子にはフォークナーをやらせ、できる子にはきちんとした職業教育をやるべきだ、と芦田さんは論じます。偏差値が70だから東大行こう、早稲田行こう、慶応行こうという学生に対して、人材をつくるようなカリキュラムが大学に存在していない、と。

 私がこの話をきいて思い出したのは、アクチュアリーというお仕事を知ったときに見つけた、東京大学理学部内の専用の教育プラムグラムのことでした。アクチュアリーという職業があること自体知らなかったし、「そっか、こういう世界があるんだ」としみじみ思ったものでしたが、やっぱ東大ってすごいんだなぁとも思いました。東大レベルになると、あるいはこのレベルの職業になると、職業教育に近いものが大学や大学院で行われているのでしょう。

 芦田さんも、国立大学ではまだ職業的なことを意識しているところもあるが、日本のほとんどの大学生をカバーしている私立大学には、優秀な学生が小躍りして集中するような専門家をつくるカリキュラムが存在しておらず、すごくもったいない状況になっている、と語ります。なので、職業教育を論じるのであれば、大学に人材を育成するような職業教育がないことを論じるべきだ、と。

 で、このあと「ピーマンの切り方」の話が出てきて面白かったです。芦田さんが顧問を務めておられる辻調理師専門学校に、四川飯店の陳さんのお弟子さんがいらしたときのこと。学校ではピーマンは繊維にそって切るように教わるのだけれど、四川飯店では繊維を絶つように切るのだそう。その時点で優等生で育ってきた専門学校生は萎えてしまう、と。そういう技術的・実践的なことは、小さな事業所では師匠のやり方が色濃くあるので、ちゃんと勉強してきている優秀な人ほどそこで萎えてしまうという状況がある。

 そして現場では逆に、食品衛生や食品の法規については疎い。なので、専門学校では、実践的な技術は教えておいてはほしいけれど、むしろ法規や理論といったことをちゃんと教えてほしい、というのが現場からの意見のようです。それを専門学校は気づいていないし、実践性ということの意味をはきちがえている、と。すばらしい職業教育をやっている辻調理師専門学校でさえそのような課題をもっているし、偏差値70の職業教育はまったく緒についていないと芦田さんは指摘します。

 また、専門学校には一流、二流、三流の分化さえない。サイズが違うだけでやっていることは同じ。大学の場合、三流があるということがプレゼンス(一流があっての三流なので)。専門学校は「(偏差値的に?)決着がついた人」たちしか受け入れる流れができてこなかった。それではだめだ、と。

 というわけで、芦田さんのここでの結論は、「できない子にはフォークナーを、できる子には在庫管理で100単位の授業を」というのが、キャリア教育の位置づけだということになります。

 それを受けて本間正人さんは、芦田さんとあまり意見は違わないと話を続けます。ジェネラルエデュケーション、リベラルアーツだけをやって、職業教育をやらない大学が全国に何校か聖域のようにあってもいいと思うし、旧制の大学のころは、一橋が東京商科大学だったり、秋田の鉱山や札幌の農学のように、それぞれの分野のひとつひとつの山の頂点だったのが、総合大学というくくりになってどこも似たような特色のないものになってしまった、いろんな大学があってしかるべきだと思う、と。

 しかし、偏差値70以上の子が生産管理で100単位といっても、2〜3ヶ月現場に行ってインターンシップを経験しないと机上の空論になるだろう、と本間さんは指摘します。現場との接続があってはじめて意味のある100単位になるのではないか、と。そういう意味でも、教室のなかだけの学びではなく、実地体験、実務体験とマッチングしたカリキュラムというのがあらゆるレベルで必要なのではないか、と本間さんはおっしゃいます。

 考えてみれば私の場合、教育系の学部の小学校教員養成課程に所属していたので、教育観察や教育実習といった、実地体験が重視されている学部だったとは言えます。確かに実習で学んだことは、(実際の教師という仕事からすれば意味があるかどうかわからないささやかな体験だとはと思うけれど)学生の立場としては意味が大きかったと思います。まあでもこれは特殊な例でしょうか。でも教育学部で特殊といってはいけないか。特殊と言うなら医学部かな?どうかな?(いまちょっと検索したら、医学部は医学部でいろいろ経緯があるようですね)

 本間さんの話を受けて芦田さんは、実際に仕事に出て行っても摩滅していないような体験性の核はなんなのか、ということを考えるのが学校における職業教育における実践性だ、と論じます。5年10年すればそのくらいだれでもわかっているよという実践性ではなく、40歳になっても大学のあの授業できいたことが生きている、それがなければ同じ職場にいても自分はこんなふうにはなれなかっただろうと思う要素を、大学の(たとえば)在庫管理のカリキュラムをつくる人たちは考えなきゃいけない、と。

 いまのインターンシップは、あってもなくても同じような1ヶ月になっていることがあり、提携する企業に要望を出すと、そんな面倒なことまでうちは学校ではないのでやっていられないよ、と言われたりもする、それが現状だと芦田さんは語ります。ほとんど時間つぶしのようになってしまっている、と。

 このあと、専門学校に関わってきた芦田さんの“空虚”な経験の話に入っていきます。専門学校で意味のない実習授業をやってきた子たちよりも、高卒で職場に行っている人のほうがはるかに仕事ができるというようなことになると、あの2年のカリキュラムなんだったのかということになる。これはもう、専門学校の資格主義的囲い込み。そんなふうにして、ただ単に社会接続と言っても、ややこしい問題がいっぱいあるよ、ということを芦田さんは本間さんに伝えます。

(以上は、40分後〜1時間4分後くらいの感想です。)

(つづく)

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