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数学と数学教育
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芦田宏直×本間正人 トークセッション『ソーシャルメディア時代に求められる人材像とは?』の動画を観て(2)

 芦田宏直さんと本間正人さんのトークセッションの感想を書いています。

 芦田宏直×本間正人 トークセッション
 『ソーシャルメディア時代に求められる人材像とは?』
 (芳林堂高田馬場店)

 http://www.ashida.info/blog/2013/11/post_427.html

 上記のページからもいけますが、YouTubeはこちらです。↓
 https://www.youtube.com/watch?v=k4X9uJCeUws



 私は、ブログでけっこう理想論を語るほうだと自分で思っていますが、このトークセッションを視聴して、そして『努力する人間になってはいけない』の第7・8・9章を読んで、「私よりもさらに理想を語る人がいた!」とほっとすることが何度かありました。あるいは、芦田さんと私ではどちらのほうが理想がより高いのだろう、と。

 トークセッション動画の20分後からしばらくは、芦田宏直さんの「キャリア教育はくそくらえ」を受けての本間正人さんの応答が続きます。本間さんは、芦田さんの言うような純アカデミア的な学校が全国に3校5校(と聴こえるのだけれどそれでいいのかな?)あってもいいかもしれないが…という話をされています。じゃあ、その学校に行けるのはだれなんだ?と私はすぐに考えてしまうのです。その選別をどういう方法でやるのか、と。

 かつて生活ブログのほうで、『中学生や高校生が「市場から学ぶ」ということについての抵抗感』というエントリを書いたことがありました(現在は削除)。そのとき書いたように、ギリシャのポリスの「市民」ではなくても学ぶことができること、それが現代の学校であってほしいと私は願っているのです。というか、基本はそうなっているはずで、「願っている」という書き方をすることがすでに自分で怖いです。

 芦田さんは、できないやつほど大学に行くべきだ、と主張されています。私も同意します。が、芦田さんのお話は、細かいところを突っ込んでいくと時々微妙に矛盾している(どう考えているか、どうあってほしいかがわからない)ところがあります。結局、「学問」であればいいのは大学だけなんでしょうか、それとも、小、中、高校もいまのままではいけない、変えていくべきだ、ということなんでしょうか。ジェネラルエデュケーションはどうあるべきなんでしょうか。もちろん、段差はあるでしょう。でも、質的に異なるものなのかどうか。

 私は、初等教育も「勉強(学問)の純粋な面白さ」を味わえるところであってほしいと思っています。っていうか、子どもたちは十分にその素地をもっていると思うんですよ。「何の役に立つか」なんて考える前に、「これは何?」「それはどうして?」ということを知りたくてしかたない。

 小さなお子さんをもつ保護者のみなさんは、そのことを日々感じておられるのではないでしょうか。深爪さんのnoteのテキストをリンクしておきましょう(後半は有料なので購入しないとは読めませんが、いまは前半に意味があると思うので)。↓

 母と育児とコンドームと私|深爪|note(ノート)
 https://note.mu/fukazume_taro/n/n92084c1bcb2d

 そしてもう少し大きくなってくると、自分を取り囲むすべてに対して好奇心をもつというよりは、特に興味をもつジャンルが出てきて、そういう意味では取り入れたい知識が偏っていくことでしょう。しかし、自分が極めたいものを極めようとするとき、それ以外の知識も必要になると気がつく。あるいは、「これがやりたい」からといって、その枠内の知識があれば、あるいは「やりたい」という気持ちがあれば実現できるかというと、そうではないことがわかってくる。
   
  その好奇心や興味が、学校教育のなかで、なぜか活かされていかないという現状があるように思うのです。吉本隆明のいうように、大学教授を連れてきて話をさせれば、子どもたちは算数・数学の魅力に目覚めるかもしれません(と言いつつ、人によるかもなぁとも思う。話上手の人ならいいんだけど…)。大学教授ができることとは質が異なるけれども、学校でやっていることよりもプリミティブでオルタナティブな数学の肌触りを感じさせることを、たとえば森田真生さんのような“在野の”若い研究者がやっておられる。>http://togetter.com/li/377891

 大学教授が来ても、若い独立研究者が来ても、それは学校としてはゲストティーチャーによる非日常的なイベントになることでしょう。ほんとはそういうことを、学校の先生に日常的にやってほしい。でも、それはなかなか難しい。本間さんの「現実的には無理」という言葉も、否定できません。「それが理想ではあるけれど、そうは言っても……」と私も思う。本間さんがおっしゃるように、それをできる先生がどれだけいるか、と。芦田さんが「いるべきだ」と言ったとしても。

 ということで、公教育をあきらめたくない自分も、かつてこういうツイートをしたのでした。↓


 それから、開始22分40秒後くらいの本間正人さんの指摘は重要だと思います。私なりの言葉でまとめると、いまの時代は、いい大学に入ること、いい会社に就職するとが幸せにつながると実感できない、「がんばったらがんばっただけいいことがあるよ」と思えない、そういう時代なわけです。私たちの子ども時代とはそこが違う。

 また、現在においては、e−ラーニングなどをはじめとして、知識を得る機会が学校以外にもあるということも本間さんはおっしゃっています。トークセッションのこの場面では出てきませんが、芦田さんはe−ラーニングで学ぶことの困難についても本で書いておられましたし、私もそれは同意します。校門と塀に囲まれた学校空間の意義、そして教育には教師の存在が不可欠であるということについても。

 しかし、芦田さんと私とで意見で異なるのは、おそらくその先の部分、教室の中での授業の在り方です。「同年代の他者とともに同じ空間で学ぶ」ということは、学校教育の意義なのかどうか、ということ。たとえば、十分な経費があって、生徒数と同じくらい教員数・部屋数を確保できるとしたら、1対1、あるいは1対2くらいで学校教育を行うのも是なのかどうか。1対多になるのは、単に合理性の問題なのか。

 ここに意義を見出せるかどうかが、学校教育の存続の要(かなめ)だと私は思っています。それは、かつて個人指導塾や家庭教師で子どもたちに関わった自分の経験に基づいた考えでもあります。家庭教師は本当に面白かった。自分の人生で、もっとも意味があった時間だったと思える。何かをなし得たと思える唯一の経験と言ってもいいかもしれない。でも、その経験で、個人指導でできることには限りがあるということも知ることができたように思います(個人指導だけでそう思ったのではなく、別の経験とあわせて)。芦田さんにも、メソッドとしての『学び合い』といったようなものではなくて、上記のような視点で初等教育を考える機会をもっていただくと、とてもうれしいなぁ、と思っています。

 話をもどすと、本間さんがおっしゃるように、「とにかく勉強するんだ」という力技だけで子どもたちは勉強しないと私も思います。だけど、それの動機づけとして有効なのが「社会との接続」なのか?というところに疑問を感じるのです。

 しかし、ここでまた少々話がややこしくなるのですが、私は芦田さんがおっしゃるレベルで教育は社会と断絶しているべきとも思っていなくて、教育と実社会をつなげていくのは大切なことだと思っているのです。

 問題はそのつなげかた。

 職業教育は違うだろ、と思うわけであり。

 そんなこんなで、教育と結びつく実社会は、リアルタイムの実社会であるべきだと私は思っています。そのような結びつけ方は、外から講師を呼ぶのではなく、民間の協力を得なくても、本来、教師自身ができることだと思うのです。だって、教師だって、教育以外のジャンルの専門家ではなくても、「教師」というひとつの職業しか知らなくても、社会生活を営んでいるはずだから。子どもだって、まだ就職はしていなくても、社会的に自立はしていなくても、子どもとしての社会生活を営んでいるのだから。

 芦田さんもおっしゃっていました。「役に立つ」と言って学んでいても、大学を卒業するころには社会が変わっている、要求されることが変わってる、ということがいつでも起こり得る世の中になっている、と(18分22秒後くらい)。

 だから、もし教育に「実社会」を取り込むとしたら、それは自分たちが就職する頃、社会的に自立する頃をなんとなく見通した未来の「実社会」ではなく、いまの「実社会」であるべきだと私は思います。それが、芦田さんの〈新人論〉につながっていく、と。

 本間さんは、芦田さん自身の体験に対して、よい教師であり、よい生徒であり、そしてよい相性だったのだろうと思うけれども、それが普遍化できるかというと、なかなか難しいと思うといったようなことを書いておられます。私も難しいと思うし、「あきらめないで〜」と叫ぶだけではどうにかなるものでもないと思います。

 が。

 その状況を打破するのはキャリア教育ではないだろ、と思うわけなのです。外部の人材の品質保証の問題でもないと思う。学校教育に何を求めるかという、根本的な理念の問題だと思っています。

(以上は、20〜40分後を視聴して、いろいろ思い出しつつの感想です。)

(つづく)

 

〔2018年4月30日:記事の一部を削除・修正しました〕

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