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数学と数学教育
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教育のなかで「多様性」をどうとらえていくか

 その後、「多様性」について考えています。この言葉は最近の---しかもけっこう長い期間---マイブームです。その意味するところは深いのでしょうが、いまは単純に、人々の多様性、「いろいろな人がいる」という意味での多様性について考えてみたいと思います。

 私という人間には様々な属性があります。年齢、性別、国籍、出身地、住民票をどこにおいているか、何の仕事をしているか、経済状況、家族構成、体重、身長、血液型、趣味その他もろもろ。ときと場合によっては、その属性において区別されることもあるでしょうし、それらの属性が自分の何かを決めている、形作っているということもあるかもしれません。

 先日まで読んでいた鈴木健『なめらかな社会とその敵』は、そのような区分をなめらかに考えていくこと、ひいては自分と他人の境い目もなめらかに、さらに自分自身のなかの多数性を無理に括らないことを基本姿勢にしていると私は理解しているのですが、そうはいっても、多様なものに多様なまま対応していくということは大変だし、ときには不可能です。

 たとえば、ひとつのクラスのなかに、5歳児、小学校3年生、中学校1年生、高校2年生、大学4年生が混じっている状態で、全員に意味のある授業をしろといわれたとすると、それはとても大変なことでしょう。不可能ではないと思いますが、なんらかのくふうが必要です。また、理解できる言語がバラバラの場合も、意思疎通をはかるためになんらかの対応が必要でしょう。

 こちらと並行してこどものちかくで「習熟度別学習」について書いてきましたが、「習熟度」というのも、区分のためのひとつの指標かと思います。習熟度というものではかれるなんらかの違いがあるのであれば、その区分で子どもを分けるのではなく、むしろその違いがあるからこそ、みんなに意味のある授業ができるのではないか、と私は思っているのですが、言ってみればこの考え方は、多様性をポジティブにとらえたものかもしれません。

 そしてこの場合の多様性は、実は、とてもせまい幅のなかでのグラデーションにすぎないのかもしれません。

 日本における習熟度別学習を、家庭の経済状況の格差、親の意識の格差とつなげて考えることは突飛なことではないでしょうし(実際、この視点をふまえた研究もあるようです)、逆に、限られたせまい範囲のなかで、優越感や劣等感が生じることもあるようです(>ここ数年の、習熟度別学習に対する意見(2)/教師の立場から)。しかし、広い視野にたってみれば、この違いはほとんどどんぐりの背比べ、もしかすると米粒の背比べかもしれない、と思えてきました。どの位置に立つか、どのスケールで見るかで、差異の意味は変わってくるでしょう。

 娘の通っている小学校は公立小学校なので、一般的に考えると、私立小学校よりは「いろいろな子どもがいる」状態と言えます。しかし、公立には地域の特性があるので、実は、一部の私立小学校より、似通った子どもが通っているという状況があるとも言えます。同じ東京都内の公立小学校でも子どもたちの雰囲気が違うことを、転出された先生からうかがったことがありますし、学校の規模なども、子どもたちに何らかの影響をあたえるでしょう。

 しかし、いずれにしろ思うことは、日本の小学校の場合、どんなに多様性があろうとも、アメリカの多様性に比べれば、幅はかなりせまいのだろうな、ということ。

 クレアさんのお話だと、アメリカの教育関係者は、多様性に対応するための努力を惜しまないそうです。きっとそうなんだろうなぁと思います。また、このたび導入された各州共通基礎スタンダード(Common Core State Standards)にも、アメリカで学ぶ子どもたちの多様性に、これまでとは違う視点で取り組もうとする背景があるのでしょう。

 言うまでもなく、クレアさんをアメリカの先生の代表として考えてはいけないし、クレアさんが知っている子どもたちは、アメリカの小学生のごく一部かと思います。また、私がブログに書いている日本の教室の風景も、あくまでも一例にすぎず、これが日本の小学校の代表になるはずもありません。

 でも、それはひとつの実例であり、風景であることも確かです。

 私は、統計をとったり、全国的・世界的な調査を行って、それを分析・考察する立場にはないので、身近にある小さな一例しか知りません。なので、そこから考え、そこから語ることしかできません。しかし、自分の目の前を見つめること、そこから考えること、そこから語ることで、できることはあるように思います。

 クレアさんは、日本の教育を知っているという自分のバックボーンを、いま現在接しているアメリカの小学校の教育において活かそうとされていますし、直接接している範囲にとどまらず、ブログを書いたり、web上の記事にコメントをつけられたり、また、こうして私にメールをくださったりして、自分の立場から、自分ができることを、やろうとされているのだと思います。

 私も、自分のすぐそばにある風景を、自分の感覚でとらえ、自分の言葉で表現していくことで、だれかに何かが伝わり、小さくても何かをなしうるのであれば、それはとてもうれしいことだなぁと思っています。
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