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数学と数学教育
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鈴木健『なめらかな社会とその敵』に対する辛口批評について

 『なめらかな社会とその敵』(鈴木健/勁草書房/2013)は、かなり話題になっている本のようなのですが、私はつい先日まで知りませんでした。でも、それはいつものこと、あたりまえのことで、話題作に気づくのに2年くらいかかっても不思議ではないのが常、一生気づかない話題作も星の数〜σ(^^;

 確かに、この本に対するAmazonでのカスタマーレビューの評価は高いです(>該当ページ)。ひとりだけ「★1つ」となっていますが、まあ、ありがちな評価で、1個くらいはこういうのがあったほうがバランスがとれていいだろう、というような内容です。内田樹さんもレビューをつけているようですね。

 でも、巷で見かける書評の専門家たち(?)の批評は、辛口なものもそれなりに目立つという印象があります。私がこの本を知るきっかけになった佐々木俊尚さんや、あるいは養老孟司さんは好意的でしたが。それからもちろん、森田真生さんはある意味で身内だと思うので、わかりやすく、なおかついちばん深く踏み込んだ書評を書いておられると思います。

■佐々木俊尚
http://www.pressa.jp/blog/2013/03/post-9.html

 とてもわかりやすいです。「八重の桜」がマイブームの私としては、タイムリーでもありました。

■養老孟司
http://mainichi.jp/feature/news/20130324ddm015070002000c.html

 生物としてのヒトから始めるヒト社会、そしてネット社会という観点からコンパクトにまとめてあります。

■森田真生
http://honz.jp/23020

 佐々木さんの内容と養老さんの内容をあわせもち、さらに、この本の本質にせまる書評を書いておられます。
複雑な世界とつき合うために、膜は世界の複雑さを縮減する。一方で、世界の複雑さをそのまま環境の方に押し付けてしまう、という手がある。認知的な負荷を環境に散らすために、自分でしなくて済む計算を、環境の方に押し付ける。自分で計算をする代わりに、環境がうまく計算をしてくれるように、環境を作り替えてしまう。これこそ、複雑さとつき合うために生命が編出した「第二の手段」であり、筆者はこれを、広い意味での「建築」と呼んでいる。

 『なめらかな社会とその敵』のトークショーが、「荒川修作+マドリン・ギンズ」建築の「三鷹天命反転住宅」で行われるものなるほど納得です(行ったことはないけど)。
http://www.rdloftsmitaka.com/201302talkevent


 しかし、このような好意的なものだけではなく、辛口書評もあるわけです。

 まずは、軽く触れるだけでいいかな・・・という感じの池田信夫さんのブログから。

■「なめらかな社会とその敵」
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51849456.html

 よくわからなかった、ということなので、まあそういうことで・・・ 書評を書かなくちゃいけない事情があったのでしょうか。

 次に、小飼弾さんのブログから。

■「いいね!だが断る - 書評 - なめらかな社会とその敵
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51859467.html

 タイトルからしていきなりですね。佐々木さん同様、メタファーとしてのシグモイド曲線を紹介していますが、書評としては、「複雑な世界を複雑なまま生きる」という言葉にひっぱられたまま終始しているように私は感じました。PICSYや分人民主主義についての具体的な反論は一切なし。高橋誠『和算で数に強くなる!』の書評に「数覚」という言葉を与え、甲野善紀さんを話題に出すような感性をもっておられる小飼弾さんも()、森田真生さん書評の上記引用部分までは思い至らなかったようです。でもまあ、著者とのつきあいはないでしょうから、その違いは大きいかもしれませんね。

 そしてもっとも驚いたのが、山形浩生さん。こちらは2つ。まず、本来は上に含ませるべきかもしれないブック・アサヒ・コムの記事から。

「社会を変革する遠大な思考実験」(2013年3月24日掲載)
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013032400004.html

 これは鈴木健さんもツイッターで紹介していて、ヒース『ルールに従う』とともに取り上げられていることを喜んでおられたと思います。

 ところがもうひとつ、ご自分のブログで別の書評を載せているのです。

「鈴木『なめらかなその敵』ヒース『ルールに従う』:社会の背後にある細かい仕組みへの無配慮/配慮について、あるいはツイッターでなめ敵とかいって喜んでる連中はしょせんファシズム翼賛予備軍でしかないこと」
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20130326/1364268478

 何かの検索中に、「ファシズム」という言葉を含むページがひっかかってくることには気づいていたのですが、特に読むこともなく流していました。で、最近ようやく、これも実は山形浩生さんの書評と知ったしだい。同姓同名の別人!?と最初は不安だったのですが、朝日新聞に掲載されたほうの書評もあるので、ご本人のようです。
ぼくがこの程度ですましてあげると思った?
 私にとって山形浩生さんという方は、「浅田彰『構造と力』のなかのクラインの壺モデルを批判した人」であり、自分が苦手なタイプの人だろうと思っていたのですが、朝日新聞掲載の書評でその印象が少し変わりつつあったところ、やっぱり苦手だと再認識。

 書評のお仕事の世界って、こういうことがアリなんですね・・・。なぜ朝日新聞はこのような方に書評を頼むんだろう?と不思議に思ったのですが、考えていくうちに、だから頼むんだな・・・と納得しました。実際に掲載されたほうは、きれいまとまっていますものね。PICSY効果のある社会では、このような書評で売れた書籍があらたな生産性を生めば、評者の貢献度もアップすることになるでしょうか。でも、当人としてはこれだけじゃ不本意なので、ホンネを「個人ブログ」で発表されたのでしょう。

 ただ、個人ブログのほうは分量も多く、他の辛口書評よりも内容につっこんでいます。つっこんでいるからこそ、「そうじゃないんじゃないかな?」と思うこともできます。そして実はとても真面目。問題は、山形さんが書いておられることに「そういうことじゃないんじゃないかな?」と思う一方で、では私自身は鈴木さんが提案している「なめらかな社会」でしっくりと暮らせるだろうか・・・?と自問したときに、考えこんでしまうことです。そのことを言葉でまとめるまえに、実際のPICSYや分人民主主義の具体的な仕組みを理解しようとしているのでした。山形さんがいうところの「無視してかまわない」数式をコツコツ追いつつ。

 それはそうとして、このたび気づいたのですが、私、山形浩生さんとおないどしのようです。ああ、だから、書評のなかに出てくる感覚に、ある程度の共感を覚えるのかもしれません。ムラ社会の話や、想定している社会の人々の意識、システムの「自走」を危惧するところなど。そして、自意識や他意識の在り方。しかし書評としてはちょっとズレているというか、ご自分の感覚にひきずられているように思いました。もちろん、山形さんにとっては、ズレているのは「ぼく以外の人間」、特に私が最初にリンクした、好意的な書評を書いておられる人のほうなのでしょうが。

 『なめらかな社会とその敵』に取り組みながら、ときどき、「鈴木健さんは10歳年下で、森田真生さんは20歳年下なんだよなぁ・・・」と、自分の年齢をふりかえることがあるのですが、気分的には養老孟司さんに近いです。(養老さんよりはだいぶ年下の私だけど)
若い世代がこういう本を書く時代まで生きたのは、年寄り冥利に尽きるというべきか。
 森田真生さんのことを知ったとき、「時代は動いている、しかもいい方向に」と感じて、明るい気持ちになりました。森田さんのような感覚が広がり、そういう人が増えると、算数・数学教育も根本的なところから変わっていくかもしれませんね!

 TATA-STYLEのほうに書いたことですが()、山形浩生さんも、「シアワセで、とんでもない時代を生きた」お仲間なのかもしれません。たぶん私たちの世代、ろくなことできなかったんじゃないかな・・・って、あらま、こんな話で終わっちゃったわ・・・
鈴木健『なめらかな社会とその敵』 | permalink
  

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