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数学と数学教育
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森村修「多様体と微分法」を読んでいく [3]/コーヘンと田邊元の「内包量」概念

 『多様体と微分法―田邊元の「多様体の哲学」(2)―「多様体の哲学」の異端的系譜(2)』森村修
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/6372/1/ibunka10_morimura.pdf

を読んでいます。



 前回読んだ第3節の最後では、こんなことが書いてあります(19ページめ/p.105)。
田邊が〈微分法の形而上学〉について、西田と共に影響を受けたコーヘンは、極限法が微分法を追い落とした後もなお、数学の中に〈形而上学的=超物理学的思考〉を介入させようとしていたのだった。
 というわけで、きょうは、田邊元がそのコーヘンからどのように影響を受けたのか、第4節を読んでいきます。

 森村修さんいわく、田邊元は、「微分法の哲学的な意味を考える際に、コーヘンの〈微分法の哲学〉とベルクソンの「純粋持続」の概念を重ね合わせた」と。

 田邊元はことあるごとにデデキントの「切断」問題を取り上げ、その哲学的意義を評価しているそうです。デデキントの切断については、検索するといっぱいひっかかってきますが、ひとまずこちらをリンク↓
http://www2.math.kyushu-u.ac.jp/~hara/lectures/05/biseki4-050615.pdf
(かつて、順序集合(A,≦)の意味、下方集合の意味がつかめなくてあれこれ調べていたときに、「Dedekindの切断? え、そういう話になっていくの??」とびっくりしたのですが、いまならそこにつながるのもわかります。)

 田邊元が上記のように考えた背景には、「切断」に関する連続/非連続の問題が、ベルクソンの「純粋持続」の哲学と密接に関わっているという理解があるからだ、と森村さん。

 デデキントは、有理数の連続系列を「切断する」にあたって、有理数以外の数(無理数)を予想しなければならないと考えたのだけれど、田邊元は、有理数などの数の無限連続が単に分割可能な均質=同質な量(外延量)として理解されるべきではなく、内包=強度量として理解されるべきだと考えたのだとか。このあたりにコーヘンの影響があるらしく、コーヘンは外延量を内包量から区別し、内包量が外延量を発生(erzeugen)させるとしていたようです。ということは、外延量よりも内包量が先なのですね。

 ラッセルが内包量を認めなかったことについてはすでに書きましたが、田邊元も、強度量〔内包量〕という概念を怪しむ認識論的な傾向をもっていることはもっていたようです。しかし、ラッセルによって徹底的に批判されたにも関わらず、コーヘン哲学を手がかりにして、田邊元なりの特異な思考に即して、「内包量」概念の哲学的意義を見出そうとしていたとのこと。また、田邊元の思考は、ベルクソン‐ドゥルーズ哲学と近親性をもっていたけれども、ベルクソンともドゥルーズとも、そしてコーヘンとも一線を画したものであり、それは西田哲学の影響が色濃く反映していたからである、とも書いてあります。

 コーヘンや田邊元にとっての「微分」は、大きさをもたない点ではなく、無限に小さくなる「線分」を表現したものでした。ライプニッツに端を発する「微分=無限小」概念は、ある一定の大きざを有する「線分」であり、「線分」を限りなく小さく分割していっても、「点」にまで行き着くことはない。たとえそれを「点」であると考えたとしても、単に数学的に定義された、いわゆる場所をもたない「点」ではなくて、「方向を含んだ点」、つまり「生産点(dererzeugendePunkt)」としてしか考えることができない、と。そして、数学的思考にとっては不可能な「生産点」、つまり形而上学的(=超-物理学的)な「自発自展なる点があってはじめて、連続的体系、曲線が生ぜられる」というふうに考えたもよう。

 卑近(?)な例で恐縮ですが、私は「生産点」の話を読んだとき、グラフィックソフト「花子」の「矢印」のことを思い出しました。曲線の先に矢印があるような場合、私は、まず曲線を描いて、その先に矢印をつけるのですが(もしかして直接描く方法がある?)、点で指定はできないので、曲線の先に1mmくらいの直線の矢印を重ねています。点をうつときには点でいいですが、矢印の場合は直線で示さないといけないので。それはつまり、方向を示すということであり。速度の矢印を刻々と組み合わせたような曲線の画像がないかなぁと思って検索してみたものの、意外とどんぴしゃりのものが見つけられませんでし(たぶん、検索ワードがどんぴしゃりじゃないのだと思う)。これが少し近いかな?↓
http://topicmaps.u-gakugei.ac.jp/physdb/dyna/velocity.asp

 こういう話になると、メタメタの日から、次のエントリをリンクしておきますね(^^)。
「線の端は線の端である。」
点と線の歴史
無理数の発見と「大きさの無い点」の創造

(つづく)
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