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数学と数学教育
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遠山啓の「外延量・内包量と微分積分」(1979年)を読んでいく (4)/「量の理論」に対する個人的な想い

 遠山啓著作集<数学教育論シリーズ6>『量とはなにか−供‖深仝砧漫θ分積分』(1981年/太郎次郎社)に収められている、「内包量・外延量と微分積分」(p.78〜91)という文章を読んでいます。



 そして話は、「内包量と微分積分へ」と入っていきます。ここを読んでいると、『数学の目・算数のすがた』(瀬山士郎/日本評論社/1993年)の第1章を思い出します。なお、『数学の目・算数のすがた』のブック・ガイドで示されている本は、森毅『微積分の意味』(日本評論社)と田村二郎『微積分読本』(岩波書店)です。

 遠山啓のこの文章は、東京地区数学教育協議会合宿研究会での講演速記とのことですが、講演が行われた日は、高校部会で微分積分をどう教えるかということが中心テーマだったのだそうです。「まさに、微分を教える困難は内包量を教える困難であり,小学校から内包量をしっかりと教えておかないと,高校で微分がわからない,という結論になったようです」と書いてあります。

 先に自分の意見を書いておくと、高校ではどうかわからないけれど、少なくとも小学校に関していえば、小学校で内包量をしっかりと教えることが高校での微分積分の理解につながるとは到底思えません。データをとって統計的にそう思っているわけではなく、感覚的に。内包量に限らず、遠山啓あるいは数教協のこの基本認識に、私は賛同できないのでした。

 それなのになぜこんなに遠山啓にこだわっているかというと、私は遠山啓の思想と数学観に興味をもっているからです。「自然」と「社会」につながる、開かれた動的な数学に興味があるからです。「自然」と「社会」をさらにまとめれば、「生きていること」といってもいいかもしれません。生きていることと直結している数学。それを感じさせてくれるひとりが、遠山啓だからなのでした。

 そのことと、実際にカタチにされた数学教育論、吉本隆明に“徒労にも似た”と言わしめた()数学教育の方式の創設と実行とは、別の問題だと思っています。だからときどき、遠山啓や数教協を批判するようなことを書いています。私が疑問をもっているのは、昔の数教協の系統学習的発想であり、その後の数教協の教条主義(のようなもの)であり、算数・数学教育を「教える立場」から考えようとする基本姿勢なので。

 あれは、20代後半か30代前半くらいのこと(1990年代半ばくらい?)だったと思いますが、久しぶりに数教協の全国研究大会に行ったとき、母に、「数教協の大会って10年に1度行けばいいね」と皮肉を言った覚えがあります。なんにもかわっていなかった。時間がとまっている。そのときだったか、それより以前だったかは忘れましたが、分科会にブラックボックスで関数を学んだ若い教師が参加していて、しかしベテランの先生たちはあいかわらずブラックボックスを画期的なものと思っているらしく、その対比をまじまじと眺めたことがありました。また、特殊な例ではありましょうが、「8+7」をめぐる個人体験について、水道方式にまつわる個人的な思い出で書きました。いまはそんなことないかもしれないけれど、一時期、「数教協という組織への帰属意識」に重きをおいていた教師は、きっといたと思うのです。

 そういうなかで育まれてきた方法論は、ある種の問題を抱えざるをえないと思うわけであり、そのようなもののために、遠山啓の思想や数学観さえも捨て去られてしまうのは(というか、そもそもほとんど理解されていないのではなかろうか・・・)、とてももったいないと私は思っています。

 1980年代初めに、森毅はこんなことを書いていました()。

じつは,雑誌『ひと』で「遠山啓論」を公募しようかという案のあったとき,ぼくは時期尚早という説だった.予想としては,「チャチな遠山批判」と「フツウの遠山賛美」が来て,相対的にマシな「賛美」のほうをとりあげる結果になっては,あまりにも品がないからだ.しかし,これから本格的な「遠山啓論」の出てくることを,期待している.

 その状況は、水で薄めた状態でいまも続いているのかもしれません。ただし、フツウの賛美ももうなくて、それと知らないまま、あたりまえのこととして無自覚に残像を身に纏っているか、批判のための批判のどちらかでしょうか。その双方が、同じものを見ているように私には思えます。「かけ算の順序問題」が右と右の戦いに見えるのと()似ているかもしれない。私が見たいものは、もっと別のものなのでした。

 個人的な意見がだいぶ長くなってしまいました。

 長くなったので、ここでいったん投稿します。

(つづく)

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