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数学と数学教育
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「比的率」は外延量という考え方(11)/図形における比率から、「デカルト座標平面線分算」へ

【「比的率」は外延量という考え方】

(1) 比的率とは何か
(2) 問題意識
(3) 「割合の三用法」の組み換え
(4) 国際単位系SIと「単位1」
(5) 「単位」の深みにはまる
(6) 割合のイメージ
(7) 比例の式のとらえ方
(8) 遠山啓の「水槽」について考える
(9) 倍がつくる正比例関係 
(10) 複比例のこと



(11) 図形における比率から、「デカルト座標平面線分算」へ

 遠山啓および(昔の?)数教協の「量の体系」では、同種の2量から作られる商のことを「率」とよび、このうち含有率のように均等分布が考えられるものを「度的な率」、均等分布が考えにくいものを「比的な率」とよびました。その「比的な率」としては、打率や三角比などの例があげられています。ちなみに、小学校で「割合」を学ぶときには、シュートの成功率など、「比的な率」に近いものから学びはじめることが多いのではないかという印象をもっています。

 もう一度、何が違うかを確認しておくと、「度的な率」は、たとえば20%という数値が与えられた場合、いま問題とされている数量のどこをとっても20%という率が保たれていて、いわば20%の率が“遍在”(「偏」ではなくしんにょうのほうの「遍」、どこにでも存在しているほうのヘンザイ)している状態です。濃度が20%の食塩水が100gあったとき、その100gから何gかすくいとっても、やっぱり20%になっているという、そういう「率」です。

 一方、シュートの成功率が20%という場合は、蹴ったボールがゴール手前で1個につき100個に分裂して、そのうちの20個が入るわけではないので(^^;、「率」が遍在しているとは考えにくいです。

 では、図形の中の比率はどういうふうにとらえることができるのか、考えてみることにします。

 遠山啓は、三角比について、「対辺:斜辺」では不十分で、対辺/斜辺=sinAという率にまで高めておくほうがよい、そのためにはsinAを比の値としてより、斜辺が1の直角三角形の対辺の長さそのものにしておいたほうがわかりやすい、と言っています(『量とはなにか―供p.22〜23)

 これは、たとえばA=60度のときに、対辺:斜辺=√3:2では不十分であり、対辺/斜辺=sinA=√3/2という率にまで高めておく、そしてこれを比の値としてとらえるのではなく、「斜辺が1のときの対辺の長さ√3/2そのもの」としてあつかったほうがわかりやすい、と言っているわけですよね。こうなると、「1あたり量」っぽくなってきます。

 つまり、斜辺の長さをx、対辺の長さをy、sinAを比例定数aと考えると、y=axが成り立ち(話を逆にした言い方になっていますが)、角度Aが決まれば比例定数aが決まります。このaを、斜辺1のときの対辺の長さそのもの(√3/2)にするということは、斜辺1cmあたりの対辺の長さを√3/2cmと考えるようなものであり、x=4cmのとき、y=√3/2(cm/cm)×4cm分と考えるようなものだと思うのです。√3/2は遍在しているから。

     

 ほんでもって、(7)で話題に出した「いくつ分」が比例定数になる問題、つまり「1辺の長さがxcmの正方形のまわりの長さycm」という比例関係を、ちょっと形を変えて考えてみることにしました。1辺の長さを1本の青い棒の長さで表現し、正方形のまわりの長さを赤い1本の棒の長さで表現することにして、次のような逆L字型を考えてみたのです。   

     

 そして、この逆L字型の相似形を考えていきます。



 この図で考えると、x=5cmとなったとき、もちろん、y=5cm×4倍(もとの正方形でいえば、y=5cm/辺×4辺分)と考えてもいいのですが、y=4cm×5倍と考えてもいいような気がしてきます。そうなると、同じ「倍」という言葉を使っても、2通りに考えられるわけだなぁ・・・と思ったしだい。「4倍」というときの倍は、1つの図形の中で考えた「倍」。「5倍」というのは、2つの三角形の関係で考えた「倍」(相似比)。

 で、こういうふうに考えていくと、岐阜新聞URLのお知らせでちょっと触れた、亀井先生のお話を思い出します。それは何かというと、微分・積分についての統一的理解のために導入されている「デカルト座標平面線分算」のこと。亀井先生はまず、微分と積分は逆の演算といわれているが、接線の傾きと面積に逆のイメージがあるだろうか?という問題提起をされ、そして、積と商には2つのイメージがあるとして、積について、ユークリッドの面積型とデカルトの線分型を示されます。

 面積型というのは、「たて3、横2の長方形の面積」を3×2という積に対応させるイメージであり、デカルトの線分型の場合は、1と3の比をもつ直角三角形を2倍にした相似形を考え、3のほうの辺が3×2になるというイメージです(もちろん、2×3でもいい)。すなわち、デカルトのほうは、面積ではなく、線分に積のイメージを対応させているものであり、これが解析幾何の基礎になっている、というお話です(なお、デカルト自身は線分の長さにプラスマイナスの意味づけはしていないそうです)。

 これを先ほどの逆L字型で考えると、「4×2」というかけ算を、青が2のときの赤の長さそのものとして考える、ということになります。

     

 青を1としたときの赤の長さは1次関数の変化の割合(グラフの傾き)そのものですね。そして、青を変化させていったときの赤の長さは、yの増加量そのものになります。となると、この逆L字型をすごーく小さくしたときに、青の長さはx、赤の長さはyと表され、その青の長さを1としたときに赤の長さはy/x、極限とってdy/dxとなり、微分の話につながっていきます()。先ほどのの逆L字型は、平均変化率をつくる直角三角形の直角をはさむ2辺というわけです。なお、亀井先生はこのあと、コンピュータを使って、導関数の縦棒グラフを書いていく作業を示されています。

 正比例関数に話をもどすと、この青1の三角形は、比例のグラフでは“遍在”しています。実際、中学校のグラフの学習ではよく描く図ではないかと。(事情により現在「ペイント」で図を描き起こしているので、詳しい図を示す気力がなく・・・。こういう図はきっとだれかが描いてくれているに違いないと他力本願で検索したら、ありましたありました↓)
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/e1math/e1nika/e1kan2g2.jpg

 上記リンク先の図の「2」、つまり比例定数(あるいは1次関数における変化の割合)は、「ともなって変わる2量をともなって変えさせるための留め具」のようなものなんだなぁ・・・とあらためて思ったしだい>ちょっと比例の話を広げてみる>エレベーターとアクリルたわし圏もどき

 この「留め具」になったときに、「内包量」になれるかもしれない・・・ということを、このたびはじめて考えたわけなのです。つまり、比例の対応表で、上下の関係になったときに、はじめて「内包量」の資格をあたえられるというか。1つの正方形について、「正方形のまわりの長さは、1辺の長さの4倍」といっているうちは、「4倍」は外延量。これは、「1cm/辺×4辺分」でも、「1cm/1×4倍」でもいいし、どちらも「内包量×外延量」という形として考えられる。しかし、関数としてy=4xになったとき、4は「留め具」として「内包量」になれる。そう考えると、外延量と内包量は、ものの見方しだいで入れ替わっていけるものなのかもしれません。「ほ〜ら、だからそんな区別なんてナンセンス、そんなものなどはじめからない」とは私は思っていなくて、また、そんな区別が「実在」するかというと、また実在論の深い森にさそわれてしまいそうなのでわきにおいといて、とにかくそういう区別(色眼鏡といわれてもまったく否定しない)をつけたから、見えてくるものがあったように感じています。たとえ幻影だとしても。とにかく、無条件で内包量と思っていたものが、外延量とみなせるかもしれないということは、目から鱗でした。

 そういえば遠山啓も、モノとハタラキは固定されていないといいましたが(>かけ算、関数、モノとハタラキ (2))、それは、ある場面ではモノであり、ある場面ではハタラキということであって、モノはその場面で同時にハタラキでもある、といっているわけではないのですよね。ということにも、いまさらのように気づいたしだい。より高次な場面で、元ハタラキであるモノへのハタラキも考えることができる、ということですよね。たとえば圏論の「射」が、“1つの圏の中で”「射」であり「対象」でもある、ということはないのですよね(どうなんだろう?)。

 天井と床のたとえを借りるならば、学校の靴箱を作っている1枚の横板が、出席番号1〜10番の子どもにとっては「床」であり、出席番号11〜20番の子どもにとっては「天板」である、ということはあっても、出席番号1〜10番の子どもにとって、「床」でもありなおかつ「天板」でもある、ということではないのだよなぁ、と。


(つづく)

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