TETRA'S MATH

数学と数学教育
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「比的率」は外延量という考え方(2)/問題意識

【「比的率」は外延量という考え方】
(1) 比的率とは何か



(2)問題意識

 遠山啓および数教協の量の理論は、度的な率までは説明がつきやすいのですが、肝心の比例の導入で飛躍があり、そこから比的な率および比につなげる流れが整理されていません。そして未完成のまま、部分的に現在の小学校教育に取り込まれていると私は認識しています。

 ちなみに、量の体系が未完成に終わったことが、遠山啓なきあとに発行された『心に広がる楽しい授業 第11巻 比例の考え 正比例・1次関数』(1989年)に如実にあらわれています()。監修が銀林浩と森毅であるにも関わらず。

 tetragonさんは高校の物理の先生であり、遠山・銀林らの「量の体系」に基づく物理の指導法を研究されているそうですが、やはり「比例の概念」と「倍の概念」の整理がつけられずにしばらくモヤモヤしていたそうです。しかし、比的な率が外延量だと気づいたとき、いろいろなことが繋がり、自分なりに整合性が得られたと感じたのだそうです。

 私自身は、遠山啓および数教協が内包量にこだわったのは、すべての子どもが高校で微分積分を理解できるように、という思いがあったからだと理解しています。最初からそのつもりではなかったかもしれないけれど、最終的には(未完成なりにも)そこへ落ち着いたのだろう、と。

 その内包量とは、かけ算を学ぶ段階で「1あたり量」として登場するものであり、小6〜中学校では「比例定数」や「変化の割合」として表れ、高校で「平均変化率」を経由して「微分係数」として結晶します。なお、遠山啓がかけ算を(1あたり量)×(いくつ分)と定義して累加を排除したのは、かけ算を小数や分数に発展しやすいようにするためだったので、この時点では高校の微分積分にまでつなげることを考えていなかったのかもしれません。しかし、連続量への移行を重視していたことは確かであり、関数を、対応や写像ではなく、あくまでも2つの連続量の関係という近代数学的な関数として扱おうとしていたと思います。

 もっといえば、正比例は線形代数にも発展させられるので、微分積分のみならず、今後の数学の基礎となるのが正比例だという感覚があったということは、森ダイアグラムからもわかります。また、遠山啓はベクトルを矢線ではなく多次元量で教えるべきであるとも主張していました。多次元量というのは、本来、ある物質もしくは物体の属性としての量をひきだしてくる方法だとして、重さ、体積、密度などをあげていますが、このように1つの物体のなかの2つの量の関係から作られる内包量が「度」ということになります。

 それに対して、「率」は、2つの物質または物体を必要とします。たとえば食塩水は、水に食塩を溶かしたものであり、食塩水の濃度は食塩と食塩水の関係を表した数値です。実際、計算するときには、(食塩の重さ)÷(食塩水全体の重さ)となります。どちらも重さ(g)なので、量の種類としては同じものなのですが、物体が異なります(食塩と、食塩水は別のもの)。このように、同種の量の商がつくる内包量には、2つの物質もしくは物体が必要なので、概念構成が「度」よりも困難だ、遠山啓は考えたようです。

 ここでいきなり本題に入ります。

 私が、tetragonさんのお話に、「あ!」と目から鱗が落ちる気がしたのは、次の2つの問題の違いを考えたときでした。

 ア 「100gの20%は何gですか?」
 イ 「濃度が20%の食塩水100gに含まれる食塩の重さは何gですか?」

 このイの「20%」は内包量だけれども、アの「20%」は外延量だという考え方。

 アはイを簡略化した問題文だとも考えられますが、食塩水の濃度という設定がありません。ただ単に100gの20%が知りたいだけであり、それは水100gの20%かもしれないし、塩100gの20%かもしれない。たとえば、100等分の目盛りのついた計量カップが2つあって、その片方にいっぱい水が入っていて、そのうち20目盛り分だけもう片方に移したとき、20目盛り分の水の重さは何gになる?ときいているようなものだ、と捉えてみたのです。単位を添えて式を書くと、100g/1個×0.2個分となります。

 だからアは、「100gの3倍は何gですか?」という問いと、同じ構造をしていると考えられます。tetragonさんに、このブログの2つの立場から考える、記号「×」「÷」の用法でスプーンを使っているのは重要と指摘していただいて初めて気づいたのですが、私はあの段階ですでに、「倍」の問題を「1あたり量」の問題に読み替えているのです。いままで気づなかった(かつて自分がそう考えていたことをすっかり忘れていた)。つまり、既測量を「1」とおくことは困難か?/「倍」としてのかけ算で2つに分けているかけ算は行き来可能であるということを、自分で示してしまっているわけです。そうだとしたら、「倍ともいいます」という教科書の記述に矛盾はないということになります。

 つまり、「100gの20%は何gですか?」という問いは、「100gの0.2倍は何gですか?」という問いと同じであり、「2cmの3倍は何cmですか?」という問いは、「2cmの300%は何cmですか?」と同じである、と。

 そして、この100gを「100g/1個」と考えれば内包量となり、20%や0.2倍は、「0.2個分」ということで「いくつ分」としての外延量になる、というのがtetragonさんの発見です。かつて、「倍」のかけ算は「内包量×内包量」であるという考え方(シカゴブルースさん)という考え方をご紹介しましたが、こちらは私が外延量と思っていたものを内包量と解釈する考え方でした。一方、tetragonさんの考えは、私が内包量と思っていたものを、外延量と解釈する考えです。したがって、tetragonさんの考えでいけば、「倍」のかけ算は、よくある形のように「倍」の数値をあとに書いても、「1あたり量×いくつ分」と同様に「内包量×外延量」の形になります。

 なお、シカゴブルースさんの考えのときにも、分母の「1」に悩みましたが、今回の「100g/1個」の「1個」、あるいは「100g/1」の「1」についても検討しなくてはなりません。これは後ほど考えることにします。いずれにしろ、このような「割合」を扱うときには、(もとにする量)×(割合)に見える形で書いたとしても、内包量×外延量の形をしていると考える道があるということが、目から鱗でした。割合ときくと無条件で内包量の仲間だと思っていたので。

 一方、イは、「食塩の重さ÷食塩水全体の重さ」で得られた20%であり、濃度は均等分布を考えられる率なので、「度的な率」です。したがってこちらのほうは、遠山啓も推奨していた形の式で書けば、0.2×100=20(g)が妥当ということになります。割合である20%を先に書いていますが、こう書いても、内包量×外延量。・・・面白いねぇ!

 アもイも出てくる数値は100gと20%だけなのに、アを100×0.2、イを0.2×100という式に表したとき、どちらも(内包量)×(外延量)=(外延量)という形をしていることになっちゃうのです。もちろん、アとイの問題の構造の違いを子どもたちに把握させるというような話ではありません。アとイはそっくりで出てくる数値も同じなのに、20%の量の種類が違っていて、数値が逆にも関わらず、(内包量)×(外延量)という順序になっていると考えられることが面白いのです。

 となると、このたび瀬山士郎『算数の目・数学のすがた』(日本評論社/1993)がきっかけで考えたことで浮上した私の疑問点に解決の糸口が見出せそうな気分です。私はあのとき「率」のことがよくわからなくなったのですが、実は境い目は、「度、率」と「倍、比」の間にあるのではなく、「度」と「率、倍、比」の間にあるのでもなく、「率」そのもののなかにあったのだ、と。すなわち、「度的な率」と「比的な率、倍」の間にある、と。瀬山先生はあのとき濃度を例にとりましたが、濃度は「度的な率」であり、ほとんど「度」として扱っていいものです。だから、y=axのaになれる。そして、最初から、y=濃度×xと書いていい。(ただし、tetragonさんは、「度」が大変扱いやすいのにひきかえ、「度的率」は2つの物体の1種類の量なので扱いにくく、むしろ「比的率」のほうがまだとらえやすいと考えておられます。となると、構造としての境い目と、難易度としての境い目が異なるということにもなるかもしれません。)

 そして、私が「割合」と「倍」の関係がわからなくなったのは、「度」も「度的な率」も「比的な率」もさらに「倍」も含めて「割合」と呼ぶから、わからなくなったのではなかろうかという気がしてきました。同じ20%でも、「度的な率」になる割合(内包量)と、「比的な率、倍」になる割合(外延量)があるから。もちろん、そのどちらの「率」であるかが微妙な問題も存在すると思います。

 そんなふうに、tetragonさんが「比的な率」ではない率は外延量ではないかと思いいたったのは、「度の三用法」と「割合の三用法」の第一と第三が入れ替わっていることに気づいたことがきっかけになったそうなのです。

(つづく)

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