TETRA'S MATH

数学と数学教育
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いま現在の状況

 スピノザについてイメージが膨らんでいるさいちゅうなのですが、それを言葉にするには、もう少し時間がかかりそうです。

 それにしても、スピノザのイメージを広げていると、やたらと郡司ペギオ‐幸夫のことを思い出すのですよ・・・。それがあたりまえのことなのか(あたりまえのことを自分の道筋で追っているのか)、意外なつながりなのか、大いなる勘違いなのか、よくわからずにいます。

 なんというのか、スピノザの「並行論」って、無限個ある順序集合(まったく同じ形のものなのだけれど、別々のもの)の対応の話のような気がして、それを考えていると、郡司ペギオ‐幸夫『時間の正体』で読みとばしていた「アジャンクション」という概念を思い出すのです。何しろスピノザも初心者ならアジャンクションについても理解しておらず、「なんとなくそんな気がした」程度の話なのですが。もしかしたら、17世紀にスピノザがユークリッドをお手本にして示そうとした「神」は、圏論っぽいもので、よりうまく表現できるのではないか・・・と、そんなことをシロウトながらにうっすら感じてみたり(それができたとして、だからどうなんだ、というのはよくわからないままに)。

 ほんでもって、アジャンクションについて調べていたら・・・ これはいわゆる「随伴」のことらしく、ウィキペディアに「スーパーヴィーン」の文字を発見・・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8F%E4%BC%B4  

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 出てきてたよこの言葉、上野修『スピノザの世界』にも。この言葉をタイトルにしてエントリを1つ書こうかと思ったこともあった。そうか、「随伴」って哲学用語でもあるんだ。

 だけど上野修『スピノザの世界』のスーパービーンは、むしろ「構造と素子」の話に近いような気がするのです。上記の対応関係とはちょっと違う。

 どちらも、いったい何次元で考えればいいんだ・・・??と、くらくらしてしまいます。

スピノザの神はこんなふうに観念連鎖の細部に遍在し、いたるところで知覚を生じている。そこには全体を高みから俯瞰する「神の視点」みたいなものはない。あるのは、いわば無限平面をびっしりと這い回る連鎖状の知性だけなのだ(第1部定理31)。
(上野修『スピノザの世界』 p.121/ルビ省略)
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