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数学と数学教育
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スピノザの「並行論」を台風で考える

 もう少し上野修『スピノザの世界』を読んでいきます。きょうは「4 人間」のなかにある「並行論」の話。これはスピノザに関わる有名な用語らしいのですが、どちらかというと「平行」という文字をあてられることが多いような印象をもっています(他の本や、web上で)。でも、こんなにも、「並行」でも「平行」でもいいと思える概念って、これまでに出会ったことがありません。とりあえずいまは上野修さんにあわせて「並行」の文字を使いたいと思います。

 さて、その「並行論」の前段階を、上野修さんは「台風」の例でわかりやすく説明しておられます。いま現在、まさに台風17号が北上している最中ですが、この台風はジェラワット(JELAWAT)という名前なのだそうです。>台風の名前はだれがつけている?

 なお、台風18号/イーウィニャ(EWINIAR)も発生していますが、番号・名前が違うので、これらは別々の個体ということになるのでしょう。

 気象庁のサイトによると、台風というのは、熱帯低気圧のうち、北西太平洋または南シナ海に存在し、なおかつ低気圧域内の最大風速(10分間平均)がおよそ17m/s(34ノット、風力8)以上のものをいうのだそう。

 台風の発生メカニズムについてちょっと調べてみようかなと思って検索したのですが、難しいので、ひとまずのぞくだけ・・・↓
http://fnorio.com/0042Typhoon1/Typhoon1.htm
http://www.jma-net.go.jp/nara/
knowledge/saijiki2/14typhoon.htm


 とにもかくにも、原因はあるのでしょう。でも、「われわれは到底その原因をすべてたどることはできない」と上野修さん。「が、自然の方ではすべてたどりきって現に台風を存在させている」と。そして原因があるということは、なぜその台風が存在しているかの説明がある、ということでもある。たとえわれわれには無理でも、自然の方ではなぜその台風がそんなふうに存在しているかの説明が尽くされていて、台風の存在が現に結論されている。

 これが、現実に存在する台風についての「真なる観念」だ、ということになるらしいのです。いってみれば、自然のなかに思考がある、ということになる。
自然の中に台風の真なる観念が生み出され、猛威を振るう台風と「同じものの異なった表現」になっている。自然の中に思考があるというのは変な感じがするが、われわれだって自然の一部である。われわれに思考があるのに自然にはないと言う方が実は変なのである。
  (p.111)

 スピノザはこんなふうにして、同じものが、対象とその観念と両方の位置で表現されていると考えていたようなのです。同じ事物が、真なる観念の中に対象化されてあるあり方と、事物自身の属性のもとで表現されるあり方、その両方のあり方をしている。

 私がなるほどと思ったのは、この説明でした↓

つまり「神あるいは自然」は、あらかじめ考えてから「よし、実行だ」というふうにはなっていないのである

  (p.112)

 スピノザは何かをなしうる力をポテンチア(potentia)、「力能」という呼び方をしたようなのですが、すなわち台風を生じさせる神の力能と、台風を知る神の力能とは厳密に同等で並行しており、一方が他方に先立つということはない、ということらしいのです。

 ほんでもって、話が前後するどころか、完全に話が逆転してしまいますが、上野修さんは上記の話のまえに、あらかじめ、「スピノザの話についていくためには、何か精神のようなものがいて考えている、というイメージから脱却しなければならない。精神なんかなくても、ただ端的に、考えがある、観念がある、という雰囲気で臨まねばならない」と書いておられます。

ちょっと不安になるが、しかし問題は「真なる観念」そのものであって、だれの持っている観念かということはさしあたりどうでもよいのである。じっさい、だれが考えるかでころころ変わるような真理は真理とは言わない。真なる観念はだれが考えていようと-----それが人間であろうと天使であろうと神であろうと-----同じ真なる観念だろう。だから、観念を真にする「対象との一致」は精神の能力によってでなく、観念そのもののあり方によって説明しなければならない。

(p.108〜109)

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