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数学と数学教育
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実際にスピノザ『エチカ』をちょいとのぞいてみる/第1部定理11の導出(図あり)

 上野修『スピノザの世界』をおもな参考文献にしながらスピノザについて考えているところですが、ここらでちょっと、当の『エチカ』をのぞいてみることにします。もちろん、訳本(畠中尚志訳、岩波文庫)。

 のぞくのは第1部「神について」。前回書いたように、第1部では8個の定義、7個の公理、36個の定理が出てくるのですが、定理はおいとくとしても、定義と公理を全部書くと、もうそれだけでイヤになっちゃいそう・・・。なので、気になる定理から逆にたどっていくことにしました。

 なお、上野修『スピノザの世界』のp.79に、第1部の定理導出の様子を矢印で示した図がのっていて、これを見たとき私はドゥルーズによるベルクソン『記憶と生』の全体像・2のことを思い出し、「自分でもやってみたーい!」と思いました(できれば定義・公理も組み込みたい)。だけど、実際にやろうとするとかなり大変な作業になりそう・・・ それだけの時間をかける意味のあることかしらん?

 なので、ひとまず、すでにできているこの図を参考にさせていただきつつ、『エチカ』を確認しながら、定理導出のごく一部を抜き出してみることにしました。なお、定義・公理・定理とも、番号は算用数字を使わせていただきます。

 抜き出す定理は、「神」が初めて出てくる定理11。

[定理11] 神、あるいはおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、は必然的に存在する。

 この定理には3通りの証明と、長い備考がついているのですが、ひとまず最初にあげられている証明を読んでみますと、こんな感じです。↓

[証明] これを否定する者は、もしできるなら、神が存在しないと考えよ。そうすれば(公理7により)その本質は存在を含まない。ところがこれは(定理7により)不条理である。ゆえに神は必然的に存在する。Q・E・D・

 あらま、背理法でしょうか? とにもかくにも、この証明には公理7と定理7が使われていることがわかります。なお、上野修さんの図によると、定理2も定理11の導出に関わっているとされているのですが、私は最初の証明に直接それを見出せませんでした。ひとまずそのことはおいといて、公理7を読んでみますと、

[公理7] 存在しないと考えられうるものの本質は存在を含まない。

となっています。そして、定理7とその証明は、こんな具合。↓

[定理7] 実体の本性には存在することが属する。

[証明] 実体は他の物から産出されることができない(前定理の系により)。ゆえにそれは自己原因である。すなわち(定義1により)その本質は必然的に存在を含む。あるいはその本性には存在することが属する。Q・E・D・

 「系」というのは定理から容易に導かれる命題のことのようです。なお、定義1は、

[定義1] 自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられえないもの、と解する。(注:斜体は傍点付き)

 そして、定理6の系は公理1、定義3・5、定理6から導かれ、定理6は定理5・2・3から導かれています。

 まだまだ続くよ〜

 定理5は定理4・1、定義3、公理6から、定理2は定義3から、定理3は公理5・4から、定理4は公理1、定義3・5・4から、、定理1は定義3・5から導かれていて、ここで終わり。実際は、その逆方向に話は進んでいくわけですが。
 
 順番を考慮せず、登場する定義・公理・定理をピックアップすると、定義1・3・4・5、公理1・4・5・6・7、定理1・2・3・4・5・6・7となります。たぶん。

 こりゃ、やっぱり、図示せんと全然わからんな・・・


 図示してもさっぱりわからんな・・・

(余談:この作業をしていたら、郡司ペギオ幸夫『時間の正体』のことを思い出しました。出来事系列からできごとを1つ抜き出しているみたいなので。)

(つづく)
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