TETRA'S MATH

数学と数学教育
<< スピノザ/無神論者と非難された人が説いた汎神論 | main | 実際にスピノザ『エチカ』をちょいとのぞいてみる/第1部定理11の導出(図あり) >>

スピノザの『エチカ』、その幾何学的秩序

 スピノザの主著『エチカ』は、正確には

   『幾何学的秩序で証明されたエチカ[=倫理学]』
   Ethica Ordine Geometrico Demonstrata

というのだそうです。ordinaが「秩序で」に対応するのでしょうね。このordinaから私が思い出したのは、デカルト『精神指導の法則』のordo(順序)のことでした>今後のためのメモ3/遠山啓とデカルト。たぶん、ordina も ordo も、ラテン語なのだろうと推測していますが、ということはordinaはordoが変形したものなんでしょうかね? ちなみに、國分功一郎さんは、「幾何学的秩序」ではなく、「幾何学的順序」と訳されています。

 いずれにしろいえることは、『エチカ』のタイトルには「幾何学的“方法”」という言葉はないということ。私も意識して気を張ってないと、ついつい、「へぇ、スピノザって、幾何学的方法で神の存在を証明したんだ〜」と言ってしまいまそうになります。この点について、上野修さんもそれなりにページ数を割いていますが、特に國分功一郎さんのほうは『スピノザの方法』ですから、“方法”のなんたるかはメインテーマなのでしょう。

 そんなスピノザ研究を脇においといて、おそれ多くも私が(素朴に)思ってしまったことは、「幾何学的ってそういうことなん?」ということ。いっそ、「『エチカ』って数学みたい」と言ったほうが、一般的には通じるのではないかと。でも、ユークリッドは「幾何学の父」と言われているそうなので、幾何学がそういうことじゃないんじゃくて、私の思う幾何学が幾何学じゃないってことなのでしょう。

 何がどう幾何学的かといえば、スピノザの『エチカ』は、定義・公理・定理で構成されているのです。第一部「神について」でいえば、まず定義が8個、公理が7個出てきて、36個の定理が証明されていくしだい。証明のあとにはQ.E.D.が示されて。(そのほかに、備考や付録もある)

 私みたいに『カヴァイエス研究』が読みたいから・・・というような何らかの理由なしで、また、上野修さんや國分功一郎さんのようなガイドもなしで、『エチカ』をさらさら読んで楽しめる人がいたら、私、尊敬しちゃいます。普通は、「何言っているんだろう、この人?」となると思う。

 だけどスピノザは、これがいちばんわかりやすい書き方と考えたようなのです。先入観を誘う綾が入らないよう、賛成か反対か、好きか嫌いか、誰がそれを言ったのか、という人間的な反応を誘わないように。

 哲学的真理に関する限り、どこの誰が言ったかはどうでもいい。何がどうなっているかだけが問題。そのためには、呆れるほど単純な、少数の自明の事柄から出発し、あとは事柄自身に語らせればよい。だから哲学は弁じ立てない、薀蓄も説教もたれない、ごちゃごちゃ言わず、ただ、できるだけ速やかに事物自身の語りに到達すること・・・

 「下」まで読めるかどうかわからなかったので「上」しか入手していない『エチカ』の著者に対して、ミニマリストという形容をあてられると、「???」となってしまうわけなのですが、なるほど、上野修『スピノザの世界』を読んでいると、だんだんその意味も頷けるようになってきます。

 ところで、ウィキペディアのユークリッド幾何学をのぞいてみたら、「現代数学に近い形式をとっており・・・」というフレーズが目に入り、これを読んで私は、友人からきいた微笑ましいエピソードのことを思い出しました。

 その友人のおかあさんが、あるとき、「おとうさんは○○○に似てるねぇ」と言ったのだそうです。○○○というのは友人の名。それをきいたおとうさんが、「○○○が俺に似てるんだろっ」と怒り出したという話。まあ、おかあさんの感覚もわからないではないですが・・・(^^;

 別々に発展したものを付き合わせるのならいいけれど、もし、ユークリッド幾何学と現代数学が近いとしたら、とりあえず先にできたほうに敬意を表して、現代数学はユークリッド幾何学に近い形式をしており・・・と書くほうがいいのかもしれないなぁ、なんて思ったしだい。そんな書き方が適切がどうかはおいといて。以上、余談。
 
 とにもかくにも、スピノザにとって、お手本はユークリッドでした。そして、スピノザにとっての「神」は、そこから始めるものではなく(スピノザは神から始めるとよく言われるそう)、むしろ、公理から演繹されてどうしても出てきてしまう、ある種さけがたい論理的帰結だったようなのです。

(つづく)
スピノザ | permalink
  

サイト内検索