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数学と数学教育
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外延と内包の絶えざる往復と問いかけ

 谷村省吾『理工系のためのトポロジー・圏論・微分幾何〜双対性の視点から〜』(2006年/サイエ ンス社)の第1章の後半を読んでいますが、p.24〜25について書く前に、p.200のまとめをのぞいてみることにします。

 前回のエントリでは、円の外延的定義と内包的定義について触れましたが、第1章では、そのほか平面についても外延的定義と内包的定義が示されています。おもえば曲線や平面のまえに、直線で表される関係、すなわち高速エレベーターを題材に、比例の対応表について考えてみたときの対応表も、(整数だけを示しているとはいえ)ある意味外延的な表現であり、これをy=8xと表すことは内包的表現といえるのかもしれません。

 つまり、方程式は内包的性格のものであるのに対し、解は外延的性格のものであり、方程式を解くということは、内包から外延に迫ろうとするアプローチだと言えそうです。

 これを物理学の立場からいえば、物理法則は方程式で書かれ、物理現象は方程式の解で書かれる、ということになるのでしょう。「なるのでしょう」というか、そういうものの見方に私たちは慣れている、と。「チコ・ブラーエの天体観測データからケプラーが見出したものは,惑星の楕円軌道であって,万有引力の法則ではない.ガリレイは振り子の等時的振動を見たが、調和振動子の微分方程式を見たわけではない.」(p.200)

 という話をきいて私が思い出すのは、やっぱりバルマーの公式のことです(量子力学/バルマーとリュードベリの目のつけどころでもこの話題を書いています)。水素原子から発せられる4つの可視光線(赤、青、藍、紫)の振動数を1つの公式で表したものですが、この公式がうまれた背景には、外延から内包への強烈な意識、ひらめき、幸運があったのではないかと勝手に想像しているのでした。あるいは、ウィーンの輻射式からプランクの輻射式への流れも面白いなぁと思います。また、ハイゼンベルクの見えることだけ考えるという姿勢のことも思い出されます。

 こういうことを考えていると、おのずと「帰納と演繹」という言葉が浮かんできますが、実際この言葉はp.200のまとめの文章に出てきます。

あまたの現象から法則性を見出すことは,解から方程式への推察であり,外延から内包への帰納である.こうして基礎方程式が仮定され,その解が演繹され,実験・観察という手段でテストされる.そのような外延と内包の絶えざる往復と問いかけが自然界のありようであるし,人間が考えながら生きているということなのだろう.

 おそらくこのことは物理学のみならず、数学にもいえることなのだろうと思います。というより、物理学者にしろ数学者にしろ、あるいはどちらでもない一般人にしろ、みんな「自然の中で考えながら生きている人間」だと思うし、その「考える」ときに、物理学や数学といったいろいろなアプローチがあるのではなかろうかと思うわけなのでした。

 それはそうとして、上記の最後の一文に感動した私ではありますが、これだけだったら「そうだよねぇ」で終わっていたように思うのです。新しい発見まではいかなかったというか。でも、p.24〜25では、ちょっとドキっとすることが書いてあったのです。

(つづく)

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