TETRA'S MATH

数学と数学教育
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数教協が除法を「度の第一用法」で一本化しようとしていたとき (1)

 これまでたびたび話題に出している小豆の含有率の問題()は、遠山啓著作集・数学教育論シリーズ5『量とはなにか−機戮里覆に書かれてあるもので、初出は1960年です。どういう話かというと、小豆の含有率が3割の「米と小豆の混合物」4kgにふくまれている小豆の重さを、子どもたちが0.3×4=1.2という計算式をつくって求めたという話です。なお、実際にどういう形で問いを設定したのか、どういう数値だったかはわかりません。

 単純に割合の問題として考えれば、4×0.3のほうが一般的だと思いますが、子どもたちは実験から混合物1kgあたりに小豆が0.3kg含まれていると考えて、0.3×4という式をつくったようなのです。実は「割合×もとにする量」という形で書いていたというオチが絶対にないともいえませんが、おそらく「1あたり量×いくつ分」の発想だったのだろうと私も思います。

 遠山啓はこのことについて、p.133で次のようなことを語っています。

この考え方だと,率の第三用法もいままでとは考え方がちがってくる。含有量がPで,含有率がRであるとき,全体の量Sは,
   S=P/R
となる。いままでの考え方だと、
   P=S×R
の逆算と考えられ,拡張された等分除と考えられてきた。ところが,ここでのべているやり方によると,「1gあたりRgだけふくまれているから,Pgふくまれているためには,全体がP/Rgだけなくてはならない」という考え方になってくる。これは,等分除ではなく,包含除である。分数や小数で割るときには等分除より包含除のほうが考えやすいことを思い起こすと,この新しい方法のほうが考えやすいのではないかと思う。この点は現場の実践によって試してみるとおもしろい。

 しかしそれから数年後。数教協は2本立てになっている除法を「度の第一用法」で1本立てにすることを考えました。これについては遠山啓著作集・数学教育論シリーズ4『水道方式をめぐって』所収「除法の合理的なアルゴリズムとはなにか」に書かれてあります。初出は1964年。

 遠山啓は、最初の段落でこのように語っています。
加法にしろ乗法にしろ,その背後には無数に多くの現実的な過程が存在していて,それらを代表する一つのパターンにすぎないのである。
このことを念頭におくなら,算法をどのように意味づけるかの問題は,おのずから解決の方向が見い出されるであろう。

-----算法が代表する現実的な過程のすべてに,たやすく一般化できるような実例をもってくる必要がある。
-----将来,算法の意味の拡張が行なわれるさいにも,障害なく拡張できるものでなければらならない。
  (p.225)

 そして次の段落で「度の三用法」を出してきています。「度」というのは異種の2量の割合、つまり「単位量あたりの大きさ」のことです。たとえば密度を例にとると、次のようになります。

 第一用法  質量÷体積=密度
 第二用法  密度×体積=質量
 第三用法  質量÷密度=体積

 「割合の三用法」(遠山啓は「率の三用法」とよんでいる)と見比べる全体的に構造が異なっていますが、除法についてはひとまずおいといて、第二用法だけみると、「割合の三用法」とは式の順序が構造的に異なっていることがわかります。その違いを詳しく見るためには外延量と内包量の違いをおさえておかなければならないのですが、これがまた一仕事なのであとにまわすとして先を読んでいくと、「乗法の意味づけに第2用法が用いられることはいうまでもない。ほかに乗法は存在しないからである。ところが,除法になると,第1用法と段3用法のうち,どちらを選ぶかという問題がおこってくる」と遠山啓は語っています。

がんらい,第1用法は,その意味からすると等分除の拡張であるし,第3用法は包含除の拡張である。従来のように,等分除と包含除をたがいに氷炭相容れないような別物と考えるのは正しくない。少なくとも分離量の段階では同じ過程を別の角度から眺めたものと考える柔軟な見方のほうがよい。たとえば,12枚の紙を3人に分けるという問題は,意味の上からは明らかに等分除であるが,1人1枚ずつのトランプ配りの方法をとれば,包含除とみなすこともできる。
  (p.226〜227)

 というわけで、遠山啓は「6×4,4×6論争にひそむ意味」()という文章を書くよりも10年前に、すでにトランプ方式に触れています。「6×4,4×6論争にひそむ意味」では、6人の子どもに4こずつみかんを配るとき、「4こ/人×6人」という式だけが「1あたり量×いくつ分」の式ではなく、1人に1こずつ6こ配ることを4回くりかえせば「6こ/回×4回」というふうに、「1あたり量」と「いくつ分」の数値を入れ替えることができるじゃないか、という意味でこの話を出していましたが、除法の側からみれば、24このみかんを4こずつ6人に配るという状況は、「24こ÷6人=4こ/人」という等分除でもあるし、「24こ÷6こ/回=4回」という包含除でもある、というわけです。

 しかし連続量になってくるとこの2つは明らかに別物だ、と話は続きます。13Lのショウユを3人にわければ答えを分数で出すことになるけれど、13Lのショウユを3Lずつに分けるとあまりが出る。「ましてや,第1用法と第3用法になると,その意味のちがいはますます明瞭になってくる」と。

 そんなこんなで、除法をどちらで意味づけするかという問題は軽くみることのできない重要な問題だけれども、量の体系が出てくるまではこういう問題意識さえなかったし、量の体系が現われてからも明確な方針がなく、あるときは第一用法、あるときは第三用法というような形になっていた、と遠山啓は書いています。それが1963年あたりから、一貫して第一用法で除法を意味づけることの具体的な導入法が探究されるようになったようなのです。

(つづく)
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