TETRA'S MATH

数学と数学教育
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「算数のガラパゴス性」という表現について考える。

 考えたいことがいっぱいあって、うれしい悲鳴のきょうこのごろ。カヴァイエスや圏論のことはひとまずおいといて、初等数学教育における幾何学の意味もひとまずおいといて、「かけ算の順序」問題から派生する(あるいはそこに帰着しそうな)事柄を取り出してみると、次のようになります。

1.既測量を「1」とおくことは困難か?
  (「倍」としてのかけ算の再考)
2.二重数直線を全面的に採用した教科書は、
  何をねらい、これからどこへ進もうとしているのか。
3.かけ算の定義と、いわゆる等分除・包含除との関係
4.割合の三用法のお互いの関係(上記3.の問題含む)
5.モノ・ハタラキとかけ算、関数の関係

 以上は算数に直結する話ですが、あれこれ連鎖して、次の事柄にも興味がわいてきました。こうなると、もはや「かけ算の順序」問題とは全然別の話(興味)になっています↓

6.伝票の歴史のこと

 比較的最近の歴史でいえば、次のページ。
 (前半しか読んでいないけれど、ちょっと面白かった)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/
20091126/341161/

  
 ついでに、私の人生とこれまでまったく関係のなかった「ターンアラウンド型」という言葉を知りました。

7.そもそもガラパゴス化って何?

 算数教育に関してこの言葉が使われたのは、こちらが最初かな?↓
http://blogs.itmedia.co.jp/magic/2011/12/6886-2d5b.html

 本来はビジネス用語なのですね。ウィキペディアによると、
孤立した環境(日本市場)で「最適化」が著しく進行すると、エリア外との互換性を失い孤立して取り残されるだけでなく、外部(外国)から適応性(汎用性)と生存能力(低価格)が高い外来種が導入されると最終的に淘汰される危険がある、進化論におけるガラパゴス諸島の生態系になぞらえた警句である。

だそう。別のサイトで、「一般進化」と「特殊進化」というような言葉も見かけました。進化論か・・・まあいずれにしろ比喩ですね。

 ふと思ったのですが、「特殊進化」というならば、数学者の世界は算数ギョーカイの比ではなくそれが進んでいたりしないのでしょうか? 数学者に限らず、各学問の世界は・・・もしかすると各学問の世界の中にさらに細分化された括りがあり・・・その中でそれぞれガラパゴス化が進んでいるということはないのでしょうか? ・・・なんてことを勝手に想像したあと、「具体→抽象,抽象→具体」は遠山啓も言っているを思い出しています。数学は学問的に孤立する危険をもつも。あと、赤祖父俊一さんのことも思い出しました。

 具体性といえば、『時代は動く!どうする算数・数学教育』(国土社/1999) の佐伯胖「「タイル」で考えることはどこまで有効か」において、佐伯氏がこんなことも書いています↓(タイルはものの個数の世界での加法、減法、とくに、「くりあがり」や「くりさがり」までは実にすっきりしているとした上で)

しかし,それ以上の世界となると,まず大切なことは,一見「形式的」(単なる「約束事」の集まり)に見える「数の操作」でも,子どもたちが経験世界では「当たり前」に(それだけにほとんど無意識のうちに)やっている具体的な操作の世界(いわゆる「マイクロ・ワールド」)との結びつきを明確に意識したとき,子どもは真に納得する,ということである。それまで無関係に見えた世界の結びつきや一般化の可能性は,むしろ「具体性のなかに」潜んでいたことに目覚めさせるのである。

  (p.103)

 遠山啓が算数教育に「量」を持ち込んだのは、まさに実社会から算数・数学教育を孤立させないための大前提、出発点だったと思うのですが、学習体系を構築するうちにいつのまにか「方便」のようなものになってしまった面があるのかもしれませんね。
 
 なお、複雑系の思い出・02や、つい最近でもヒルベルトと「可解性」のこと/山口昌哉、林晋とあわせてで話題に出させていただいた山口昌哉先生の複雑系のレクチャー資料の裏面に、私はこんなメモをしています。

 「☆休み時間の会話☆ 
    数学教育は数学の下請け機関じゃない 
    研究
    そういう時期にきている」

 このことの意味が、いまでもよくわからずにいるのですが、おそらくもはや下請け機関にはなれないほど、数学の世界は進歩しているのだろうなぁ・・・と素人頭で想像しています。だから数学者になる人たちは、自分で勉強するんだろうな。

 だからといって、数学教育が“卑近な実用主義”(@遠山啓の生活単元学習批判の概要をもう一度おさらいしておく)になっていいかというと、そんなことはないだろう。

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