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数学と数学教育
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「見渡す」方法としての公理的方法の歴史的変遷

 近藤和敬『構造と生成1 カヴァイエス研究』の第3章を読んでいます。

 というわけで、まずは、「見渡す」方法としての公理的方法とその歴史的変遷についてみていきたいと思います(ここではボニファスという人の文献がおもに参照されているようです)。 

 最初にヒルベルトの公理的方法以前の公理および公理系について。登場するのは、アリストテレス、エウクレイデス(ユークリッド)、フレーゲの3人。いろいろ詳しく書かれていますが、要点のみ。

 まず、アリストテレス『分析論後書』においては、「論証」の出発点となるのが「原理」であり、これは「それ自身は論証されない第一のもの」ということらしいです(つまり、論証そのものが、論証されえない原理を積極的に必要とするということが見抜かれている)。

 そして「原理」は、「公理」(諸学問に共通の原理)と「定立」(各学問に固有の原理)の2つに分類されます。たとえば、「線とはこれこれのものである」という原理は幾何学を学ぶためには必要だけれど数論を学ぶのであれば必要ないので、こういうものは「定立」ということになります。

 さらに「定立」は、「基礎定立」(存在主張を含む定立)と「定義」(存在主張を含まず意味にのみ関わる定立)の2つに分類されます。「基礎定立」で、その学問によって考察される存在者の類が規定され、「定義」によって、その学問でもちいられる用語の意味が規定されるというわけです。

 エウクレイデスの『原論』においても、アリストテレスの分類とほぼ同じ分類がもちいられているようなのですが、「基礎定立」のかわりに「要請」という語が使われているようです。

 で、それからはるか2000年以上の年月を経て、フレーゲの時代にいたっても、表面上の用語の用法に変化が見られ内容が洗練されているとはいえ、それらのあいだに本質的な変化は見られないとボニファスさんは指摘しているそう。ここを読んだときに、「え? フレーゲのときにぐわーんと変わったんじゃなかったっけ?」と思いきや、ここは単に(公理的方法の組み立てを考えるうえでの)用語の話なのでしょう。そしてボニファスさんはフレーゲの段階でどのような変化があったかを、次の2点として示しています。

 1つは、アリストテレスにおいて「公理」と言われていたものは、フレーゲにおいて「論理法則」と呼ばれるようになったこと。もう1つは、アリストテレスにおいて「基礎定立」と呼ばれていたものが、フレーゲでは「公理」と呼ばれるようになったこと。

 というわけで、ヒルベルト以前(ボニファスさんによると、実際には1898年前後の頃のヒルベルトを含む)においては、諸学問における「共通の原理」と、学問内の知識の対象となる存在者の存在を主張する「固有の原理」の2種類があり、前者は学問の全体を、後者は各学問の内部の全体を見渡しているという意味で、共通点をもっています。

 しかし、1899年以降のヒルベルトの公理的方法では、ある部分において根本的な違いが出てきます。それは、「なにごとかがあるとか、ありはしないとか」にかかわるような「原理」が含まれていないということ。(>ヒルベルトは最初から2次的な構成だったことと、無定義の意味

 その結果、ヒルベルト以前とは「俯瞰」の意味がかわってきます。つまり、ヒルベルトの公理的方法の「俯瞰」のしかたは、存在については措定しないまま、「しかじかの性質をもっているという条件に当てはまるものはなんであれ」俯瞰するという設定になっており、学問に固有でも、学問に共有(普遍)でもありません。物理学であれ、数学であれ、電磁気学であれ、宇宙物理学であれ、なんであれ、公理系が記述する条件に当てはまりさえすれば、その学問の固有の原理が措定する存在者の類は問われない、ということになります。しかし、その条件に当てはまらないものは除外されるので、すべての学問がそれに該当するわけではない。これを近藤さんは「条件的な性質の全体性」と呼んでおられ、これを見出したことがヒルベルトの公理的方法の独創性である、と書いておられます。

(つづく) 
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