TETRA'S MATH

数学と数学教育
<< 非可述的定義のこと | main | 訂正 >>

カヴァイエスによる直観主義のアイデアの批判的継承

 近藤和敬『構造と生成1 カヴァイエス研究』の第2章を、自分の都合であっちこっちページをいったりきたりしながら読んでいます。ブラウアーの「自由選列」については中途半端になっていましたが、とりあえず「潜在無限」のことについてはおさえておかなければなりません。

 ブラウアーの「選列」は、つねに「未完」でした。列の要素はその選択の回数の分しか構成されていないので、その選択が再開されることによって、さらなる規定が続きます(「さらなる規定の可能性に開かれている」という表現が印象的でした)。そうして、未規定な潜在性としての無限が数学的に肯定されることになるわけですが、この点について巻末註で「潜在順序」の補足説明がついています。(「a<bでもa>bでもないが、そのことからa=bであるとはいえない」ということが成り立つという話)

 そしてブラウアーは、この「選列」の選択は「自由意志」のはたらきに任されているような「選列」としていましたが、カヴァイエスはこの点を受けとらなかったのです。つまり、直観主義の真理観とそれから派生する「構成」や「潜在無限」というアイデアを積極的に受容しつつも、この「意志の作用」と、それに基づく「自由選列」を認めなかった。

 では、カヴァイエスは直観主義のアイデアをどのように批判的に継承したのか。ということについて、第3章ではそのアウトラインが示してあり、「重要な箇所なので全文引用する」ということでけっこうな行数のカヴァイエスの言葉を引用したのち、6つの項目にまとめられています。その中から、3、4、5番目の項目を示します。

〈3〉 しかし、「自由選列」に認められる「任意性」(随意性)は、「問題」の真なる要求のなかに置きいれるべきではないのか、とカヴァイエスはかんがえている。
〈4〉 そして、「自由選列」の真の意義は、「数学者が不完全に規定された列のうえであっても、その列において規定されているもののみを考慮するかぎりにおいては、意味のある推論をおこなっている」ということを認めることではないのか、とカヴァイエスはかんがえている。
〈5〉 前項〈4〉のようなことは、まさにカヴァイエスが「一般化」と述べる手続きによっておこなうことであり、その創造の力を擁護することこそが、ヒルベルトの本来の狙いであったはずである。
  (p.77)

 重要なところらしいなので、もっと本文をしっかり読んだほうがいいとは思うものの、私はこのあとに続く近藤さんの第2章のまとめがすっかり気に入ってしまって、ついついそちらのほうに目が向かい、気がせいてしまうのでした。

 というわけで、カヴァイエスが考えていたことについては上記の3項目を引用するに留め、そのあとに続く近藤さんのまとめのうち、まずはこの2文を抜き出します。
したがって、生成は生命的な意志の流れのなかにではなく、「問題」と「解」の弁証論的生成をなす数学的経験において見出されることになる。
  (p.77)

 カヴァイエスにしたがえば、このような定義は、その定義が借定された歴史的プロセスのなかに位置づけられて、はじめてその真の意味を理解することができるものである。
  (p.78) 


(つづく)
近藤和敬『カヴァイエス研究』 | permalink
  

サイト内検索