TETRA'S MATH

数学と数学教育
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そしてカントへ、「予見不可能な生成」と「絶対的価値」

 近藤和敬『構造と生成1 カヴァイエス研究』の第1章を読んでいます。

 前回は、ライプニッツが、数学を「よく基礎づけられた現象」として定義したこと、しかし、数学的な実数連続体の基礎としての無限集合の実在性は、数学ではないもの、すなわち形而上学によって肯定されると考えていたことを見てきました。そして、このような数学を学問づけるのは、ライプニッツが理想的なものとして構想する論理学(普遍記号学)であり、数学は「基礎としての単純観念からなる原始体系の無際限に変化する組み合わせへと還元される」ということになります。

 カヴァイエスは、ライプニッツが数学を「よく基礎づけられた現象」として定義したところに「カントの図式論への道」を見出し、その一方で、ライプニッツが数学を「形而上学」によって基礎づけようとすることについては否定的にかんがえていたようです。したがって、かんがえられるべきはことは、数学に固有の領域とそれを基礎づけるものとのあいだの関係だ、ということになります。

(ちなみに近藤さんは、「かんがえる」という言葉を平仮名で書いておられます。引用のときにはもちろんそのまま書きますが、私は普段は「考える」と漢字で書くので、本文を参照しながら自分なりにまとめるときに、どっちにしたらいいのか迷うことしばしば。今後は、本文に近い形で抜き出すときには平仮名にしようかと思っています。)

 で、その、数学に固有の領域とそれを基礎づけるものとのあいだの関係を考えるにあたり、カヴァイエスが向かうのは、カント哲学における「アプリオリな綜合判断」に含まれる「予見不可能な生成」と「絶対的な統一」です。

 「予見不可能な生成」/「絶対的な統一」という二元性は、デカルト哲学でいえば、「延長」の観念あるいは「操作」としての「思考する作用」/「数」の概念あるいは代数方程式としての「知性的な観念」、ライプニッツ哲学でいえば、「よく基礎づけられた現象」/「単純観念からなる原始体系」という二元性に対応すると捉えることができます。

 ちなみにデカルトのところで出てくる「思考する作用」という言葉については割愛してしまっていましたが、やはりここをさけては通れないと(あたりまえのことながら)思うことであります。

 というわけでいったんデカルトにもどります。

 カヴァイエスは、「三角形の観念」という「延長」の観念は、「数」の観念である代数方程式そのものに尽きるものではなく、それを形成する「規則」という側面を含んでいるとデカルトはかんがえていたと解釈していたようなのです。言い換えると、「延長」の観念は、代数方程式には還元されない「思考の能動性」としての「作用」[acte]であると解釈できる、と。

つまり、「延長」を把握するがわである代数方程式としての「知性的な観念」あるいは「数」の観念と、その代数方程式によって把握されるがわである「三角形を作りあげる」構成操作ないし「思考する作用」(すなわち「操作」あるいは「延長」の観念)とのあいだに、思考の内部である種の二元性が存在していることを、ここでカヴァイエス見出そうとしているのである。

(p.33〜34)

 この「思考する作用」は、知的な「直観」とも言い換えられています(カヴァイエスの文中において)。なお、この話には「関係」[比]というものも関わってきます。

 いちばんわかりやすいと思った表現は、「思考する作用こそが思考されているのであって、思考の対象が思考されているのではない」という一文です。この一文がいちばんわかりやすいということが、この話は私にとってわかりにくいということを表しているように思います。なんとなくわかるんだけど、なんとなくしかわからない。

 だけど、これがカントのところにくると、わからない部分はわからないままに話はつながっていきます。

 「思考する作用」は、それが作用であるかぎりは、その展開をまたねばならず、展開をまたねばならないかぎりにおいて予見することは権利上不可能である。したがって、「思考する作用」には「予見不可能性」という特徴が付与される。

……、その一方で、作用の一般的な「関係」[比]の把握としての「思考」は、もろもろの作用のあいだの等質性と差異の把握であるがゆえに、あるいは作用の条件の把握というその作用にたいするメタ的な(あるいは上位の統一的な)把握であるがゆえに、絶対的だからである。

(p.40)

 そして、この思考の二元性を肯定的に解消するために、カントが導入した新しい概念が、「アプリオリな綜合判断」だとカヴァイエスは考えたようなのです。

(つづく)

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