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数学と数学教育
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『構造と生成 カヴァイエス研究』(近藤和敬/月曜社/2011)

 近藤和敬『構造と生成機.ヴァイエス研究』を購入しました。手にして最初に読んだのは「あとがき」。そして、前から順に全体的にざざざっとめくったあと、巻末注釈を読みつつ前から読み直しています。

 予想に反して読みやすい、というのが第一印象です。これまで、数はそれほど多くないものの書籍やブログで近藤和敬さんの文章をいくつか読んできた印象から、ある程度の難しさ、読みにくさは覚悟していました。しかし、思っていたよりかなりわかりやすいです。第一印象としては。親切とも言えるかもしれない。もちろん、この読みやすさを助けているのは、自分の興味の持ち方だと思います。そして、読み込むうちに全然わからなくなる可能性もおおいにあると思います。

 引用したくなる魅惑的なフレーズがたくさんあります。ただ、部分的に引用しちゃっていいのだろうか?という気持ちもあります。かといって前から順に感想を書いていったら、すごい量になりそうだし。とりあえず、近藤和敬さんのブログを見つけていなかった頃の自分を想定して、「あなたが興味をもちそうなこんなことが書いてあるよ」ということを伝えるつもりで、しばらくこの本について書いていこうと思います。




 私は、近藤さんのブログを見つけるまで、カヴァイエスという人名を知りませんでした。でも、それも不思議はないのかもしれません。この本は、カヴァイエスの思想をあつかった、おそらく日本でのはじめてのまとまった研究書である、とのこと。

 なぜ近藤さんがカヴァイエスにたどりついたのかというと、現代思想と呼ばれる一連のフランス現代哲学を理解しようとするなかで、ある疑問を抱き、フランス哲学の論者たちがなにげなく参照している戦前の(とくにあまり知られていない)哲学者たちを中心に調査を開始したところ、カヴァイエスにたどりついたらしいのです。

 つい先日、クワインに興味をもったときに、三浦俊彦さんの書評を読んだ私は、「フランス思想だけが現代哲学じゃないんだよ〜」というニュアンスのメッセージを感じたのですが、近藤和敬さんの場合、フランス現代哲学に共通しているあることに注目し、それをさかのぼって、ある1人の(日本ではその存在すらあまり知られていない)数理哲学者にたどりついたというのがまず面白いと思いました。ちなみに、謝辞に名前があるのはおふたりで、1人は指導教官の檜垣立哉氏、そしてもう1人は月曜社の小林浩さん。
本書のようなマイナー哲学の研究書は、その思想史的意義を理解してくださっている小林さんのような編集の方が存在しなければ、絶対に実現不可能な類のものであることは間違いないのだから。

そうなんだろうな、と思います。

 で、いきなり「あとがき」にとんでしまうのですが、あとがきには、「むしろ容易にファッションと消費のなかに沈む危険のある現在の思想とかかわるわたし自身にたいする戒めであり、警告なのだ。」といたようなことも書かれてあり、面白いです。いきなりここを引用してしまうと、本全体の印象を誤って伝えてしまいそうで、「なんでいきなりそんな話??」ということになるかもしれませんが。この「あとがき」には、「そもそもこの本はいったいどういう本なのか」という副題がついており、本人も「このような蛇足は一切破棄すべきではないのか」と迷いつつ書いていて、「近代にどう始末をつけるのか」という問題意識について述べてあり、大変興味深いです。松野孝一郎『内部観測とは何か』のあとがきとは別の趣の「切実さ」があります。こういうところに研究者の“痛み”を感じて、こういう痛みを感じるときに、何かほっとするもの、未来を感じる私なのでした。ほんと、たった3600円だ。

 

〔2018年3月18日〕記事を整理・修正しました。

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